コラム  外交・安全保障  2024.10.15

戦時下におけるロシアのプロパガンダと変容するロシア語

ロシア

86日にウクライナ軍によるロシア西部クルスク州への越境攻撃が始まってから、2カ月が経過した。プーチン政権がウクライナ国内で侵略を続けるのとは逆に、ロシア側が一部領土を占領され、住民13万人以上が避難を余儀なくされている状況だ。ソ連時代を通じて初めて外国軍に自国領土を占領されるという極めて深刻な事態だが、それでもプーチン政権は、この軍事攻撃をウクライナのテロリスト集団による「テロ」という位置付けから変えていない。

ウクライナ軍による攻撃や占領をそれと認めない背景には、いくつかの理由が考え得る。ひとつには、事態をより軽度な出来事であるかのように矮小化させることにより、越境を許したロシア軍の失態を覆い隠し、国民が感じる脅威認識のレベルを低下させるという政権の意図もありそうだ。事実、プーチン政権下におけるロシアのプロパガンダ空間では、今日、クルスク州の事例に限らず、様々な言葉がその本来の意味や用法から外れた形で用いられているからだ。特に20222月のウクライナ全面侵攻以降は、この変化が急速に進行している。

興味深いのは、戦争プロパガンダのみならず、一見プロパガンダとは無縁に見える日常的なニュースを語る言葉にまで、ロシア語の語彙や構文に明確な変化が起こっている点である。今、この変容するロシア語をロシアの独立系メディアや言語学者、社会学者らは、ジョージ・オーウェルの『1984』になぞらえ、プーチン版「ニュー・スピーク」(新しい言語)だとして警鐘を鳴らしている。

戦時下におけるニュー・スピーク

オーウェルが『1984』で描いたニュー・スピークとは、国家が国民を操りその思考を制限するために、作中の全体主義体制国家の指導部が導入した新しい言語体系のことである。一方、プーチン政権下のニュー・スピークは、プーチン大統領自身が発するナラティブをはじめ、政府高官や政治家、国営メディアが国民向けに発信する戦争プロパガンダのなかに顕著に見ることができる。

ウクライナへの全面的な侵略戦争を「特別軍事作戦」と呼ぶのも、その典型的な例のひとつだ。20223月の法改正では、この戦争を「特別軍事作戦」ではなく「戦争」や「侵略」と呼べば、「フェイク」情報流布の罪で禁錮刑に処すことも可能となった。戦争を戦争と言うことは、今のロシアのニュー・スピークの下では、フェイクであり犯罪なのである。

「特別軍事作戦」という言葉には、本来の「戦争」という言葉が持つ血なまぐささはなく、ロシアの政治学者デニス・グレコフによると、むしろ軍事的な意味合いのない無色の概念である。したがって、一般のロシア国民はこの言葉を耳にしたり自ら口に出しても、罪悪感や臨場感を感じずに済むのだという。さらに、今ロシアではこの「特別軍事作戦」という言葉は、頭文字を取って「SVO」と略される場合がほとんどだ。その結果、プロパガンダの言語を研究する社会人類学者アレクサンドラ・アルヒポヴァによると、アルファベットの羅列に過ぎない「SVO」という略語からは、戦争の面影はますます薄れ、日常的でありふれた響きになりつつあるという。

SVO」のような略語の積極的な活用という点においては、ナチスが用いたいわゆる「第三帝国の言語」との類似性も指摘し得るかもしれない。ただし、アルヒポヴァは、ナチスの言語が「人々を戦争へと駆り立てるための道具」であったのに対し、プーチンの言語は、むしろ、「人々から感情を消し去る作用に重点が置かれている」と分析する。もちろん、ウクライナや欧米諸国への憎悪を煽るための言葉も用いられてはいるものの、ロシアのニュー・スピークの主たる目的は、戦争にまつわる恐怖心や嫌悪感を人々から消し去ることに向けられているのである。

戦争に関連する多くの言葉が、例えば「前線」の代わりに「接触線」、ウクライナの町を「占領する」ではなく「コントロール下に置く」というように、よりマイルドで中立的、あるいは肯定的な言葉へと置き換えられる、といった具合である。アルヒポヴァによれば、2022年の8月には、「特別軍事作戦」の報道に際して具体的にどのような言葉を用いるべきか、ロシアの大統領府から国営メディア向けに細かな指示書が配布されたという。

プーチン大統領のニュー・スピーク

冒頭で述べたウクライナ軍によるクルスク州越境攻撃を伝える報道でも、婉曲的な表現が多用されてきた。例えば攻撃を受けたクルスク州の中心都市に急遽建造された「防空壕」は、地元メディアでは「セキュリティ施設」と報道され、戦争と直結するような言葉は巧みに避けられている。また今年7月、クルスク州に隣接するヴォロネジ州では、ウクライナの無人機攻撃によりロシア軍の弾薬庫で大規模な爆発・火災が発生したが、その時も、同州のグセフ知事はSNSで、「ウクライナの無人機に関連して出来事が起こった」(傍点筆者)など、非常に曖昧で具体性のない言葉の組み合わせによる発信に終始した。

ロシアの野党政治家マクシム・カッツによれば、こうした婉曲表現の目的は、地元住民らにプーチン大統領が始めた戦争が自分たちの土地にも降りかかってきたことを気づかせないためのものだという。ウクライナのメディアも、こうしたニュー・スピークの意図は、「政権の戦争犯罪を隠蔽し、損失を損失でないかのように見せかけ、政権が事態を掌握しすべてが計画通りに進んでいるという幻想を国民に抱かせる」ことにあると分析する。

そもそも、この戦争を開始したプーチン大統領が発する言葉自体が、ニュー・スピークそのものでもある。プーチン氏は、ユダヤ系のゼレンスキー大統領を「ネオナチ」と呼び、現下の「特別軍事作戦」は、「ロシア嫌悪症」に満ちた、「悪魔崇拝的」な「集団的西側」が目論む「ロシアの壊滅」あるいは「植民地化」に対抗するための「積極的な防衛」に過ぎないと説明してきた。こうした表現は、従来の言葉が持つ意味に、プーチン氏自身の偏った歴史認識や倒錯した被害者意識を色濃く反映させた新たなニュアンスが与えられたものだが、ロシアの官製メディアや公の言論空間においては、こうした「プーチン大統領語録」が規範となり、ある種の慣用句として繰り返し用いられている。

プーチン大統領は「言及を避ける」という手法も好んで用いる。ロシアの反体制派で今年2月にロシアで獄中死したアレクサンドル・ナヴァリヌィーの名前を、プーチン氏が決して口にしようとしなかったのは有名である。今回のクルスク州への越境攻撃も、プーチン大統領は「クルスクでの状況」、「あの出来事」、「ウクライナによる挑発」と言及するのみで、事態を明確な言葉で名指しするのを避けてきた。あたかも都合の悪い人物や出来事の存在自体を否定するかのようなこうしたプーチン氏の態度もまた、アルヒポヴァによると、存在を忘却させる、あるいは事態を矮小化させて見せるためのプロパガンダの有効な手法の一種だという。

日常に入り込むロシア語の変化

プーチン政権下で進められるロシア語の変容は、戦争プロパガンダにだけ見られるわけではない。例えば前出ナヴァリヌィーのような反体制派は「過激派」(テロリストと同列の扱い)に、政権の意に沿わない発信や研究を行う独立系メディアや学者などは「外国の代理人」(外国の「スパイ」を意味する)に指定され、ロシア国内での活動が禁止されるか著しく制限される。戦争反対を訴えた人物が、「過激派の活動ほう助」の容疑で拘束された例もある。つまり、ロシアのニュー・スピークでは、反体制派や戦争反対派は過激派と同義であり、独立系のメディアや学者は外国のスパイと同義なのである。なお、前掲のアルヒポヴァもカッツもともに「外国の代理人」に指定されている。

また、こうしたニュー・スピークによるプロパガンダの手法が、一見プロパガンダとは無関係に見える日々のニュース報道のなかで、幅広く採用されている点にも注意が必要である。よく取り上げられる例として、ロシアの近年の報道では、「爆発」という言葉の代わりに「フロポク(打つ音)」という言葉が用いられる。「爆発」という言葉は、大惨事や人命の損失というイメージを伴うが、「フロポク」は単なる音を示したものであり、そうしたニュアンスはないからだ。従って、「モスクワのアパートでガス爆発が起こった」というニュースは、ロシアでは数年前から、「モスクワのアパートでガスの打つ音(フロポク)が起こった」という表現で伝えられ始めた。

同様の語彙や用法の変化は、その他の事故や自然災害を伝える報道や政府高官の発言等、数多く上げることができる。飛行機が「墜落した」は「硬着陸した」、ヘリコプターが「空中で衝突した」は「空中で急な接近が起こった」、「洪水」は「浸水」、「火災」は「燻り」といったより婉曲的な言葉に取って代わられようとしている。侵攻直後のロシア経済の混乱を伝える報道でも、「価格の高騰」の代わりに「価格の補正」、「所得の低下」の代わりに「否定的な所得の伸び」といった表現が次々と生みだされてきた。

静かなるプロパガンダ

アルヒポヴァは、こうした日常的なニュース報道において繰り返されるニュー・スピークにより、プーチン政権は国民に一種の隔離された世界を作り出そうとしていると指摘する。同氏によれば、政権がロシア国民に語りかける言葉は、人々に今何が起こっているのかについて理解を促すためのツールではなく、逆に理解を破壊することに向けられたものだ。人々はこの隔離された「現実」にいる限り、安全に暮らしていると信じることができるのである。

国民に戦争の大義を喧伝し敵に対する憎悪を植え付けるような、いわば直接的で動的なプロパガンダに比べ、こうした日常のニュー・スピークは、それを用いたり耳にしたりする人々の心理に静かな形で巧妙に入り込み、意識を内側から操作するものだ。ソ連時代のイデオロギー的な「ソビエト語」とも異なり、いわば静的なプロパガンダと言ってよいだろう。ロシアの社会学者レフ・グトコフは、こうした手法は国民の心理操作の手段の一つとして、世論形成において非常に効果的な手段になっていると指摘する。

「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」――これはオーウェルの『1984』で作中の全体主義国家が掲げるスローガンだが、この矛盾に満ちたニュー・スピークの世界の一端が、戦時下のロシアにおいて現実味を帯びつつあるのかもしれない。