メディア掲載  エネルギー・環境  2024.10.07

水力発電が立ち並ぶ大井川上流域、厳しい自然に立ち向かった先人の知恵をどう次代につなぐか

JBpress2024922日)に掲載

エネルギー・環境

静岡県の大井川上流域を視察する機会に恵まれた。豊かな自然環境と険しい地形を持つ地域だ。大井川鐡道井川線や畑薙ダムなどの観光スポットで知られる一方、この土地では水力発電や砂防事業が長年にわたり行われてきた。今回は、そんな大井川上流域の歴史や現状について詳しく紹介したい。リニア中央新幹線建設に伴うトンネル工事や土砂問題についても解説する。

一般車通行禁止の先は落石だらけ

SLで知られる大井川鐡道井川線の終着駅のほとりに井川湖がある。この上流にある畑薙(はたなぎ)第一ダムから先は、電気事業や林業などの事業用車両は入れるが、一般車は通行禁止になっている。

自動車で登っていくと、なぜそうなのか分かる。

なにしろ落石だらけなのだ。ガードレールも落石がぶつかってひしゃげている。私はこれまで、こんな道を通ったことがない。

岩がもろく、雨が多く、また地形が険しいので、どんどん崩れてくるとのこと。地層をみると、ぐにゃぐにゃに褶曲していて、もともと水平だったものが垂直になっているところもある。そして、それがボロボロと剥がれ落ちる。ちょっと手で触るだけでも崩れてくる。

至るところで土砂崩れが発生しており、ひどいときには道路ごと、土砂が持って行ってしまっている。私が通ったときも、修復のために、あちこちで工事が行われていた(写真1)。

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【写真1】土砂崩れで道路が崩壊した現場では修復工事が行われていた。筆者撮影(以下も)


崩れ落ちてきた石の切り口は鋭利だ。うかつに車で乗り上げるとパンクするので、慎重に石を避けながらのドライブとなる。

大井川流域はどこもそうだが、川には砂利がこんもりと溜まっている。畑薙第二ダムから上流に向かうとほどなく畑薙第一ダムがある。巨大なダムの堤体を過ぎて、ダム湖に沿って7キロメートルほど上流へ行くと、湖の対岸に行くために建設された畑薙橋がある(写真2)。

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【写真2】上流方面から畑薙橋を望む


この橋は、なぜこんな低い位置に建ててあるのか?

毎年、東京ドーム1杯分の土砂が流れ込む

種明かしをすると、この橋ができた当初である昭和37年には、川はこの25メートルほど下を流れていた。だがその後、土砂が押し寄せて溜まり、今ではもうこのあたりはすっかり埋まってしまった。もうすこしで橋も飲み込まれてしまいそうに見える。

これだけ大量の土砂がどこから流れてきたか。

それはこのすぐ上流の赤崩(あかくずれ)までいくとよく分かる(写真3)。

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【写真3】赤崩。写真上の方にある峠の直下から土砂が剥き出しになっていて、いったん沢で細くなって、最後に広がっている。手前で土砂が平らになっている部分は畑薙第一ダムのダム湖


ここは巨大ながけ崩れ現場といったところだ。この赤崩とそのすぐ上流にあるボッチ薙の2カ所だけで年間14万立方メートルもの土砂が発生している。

さらにその上流からの分も含めると、畑薙第一ダムに流れ込む土砂の量は年間90万立方メートルもあるとのことだ。東京ドームの容積が124万立方メートルだから、毎年、それに匹敵する莫大な量が流れ込んでいるわけだ。

この大量の土砂のために、畑薙第一ダムは2022年のデータによると貯水容量の50%がすでに失われているという。とはいっても、もともと建設時には1億立方メートルも容量があったので、今後すぐに水があふれてしまうことはない。

かつて昭和30年代から40年代にかけては建築や埋め立てのために年間100万立方メートルを超える土砂を大井川から採取していたこともあったが、いまは行われていない。

それでどうするかと言えば、できるだけ土砂が発生しないよう、沢に沿って砂を止める砂防ダムや砂防堰堤を建設し、他方では、溜まってしまった砂をさらう浚渫工事をしている。

井川ダムよりやや下流にある長島ダムでは、溜まった砂を浚渫し、大井川河口近くの海岸にまでトラックで運んで、砂浜の造成に用いている。

というのは、ダムができたことで川から砂が供給されなくなったのに、砂浜は波や海流によって浸食され、どんどん失われているからだ。

水力発電はかつての主役、大井川にも多数建設

このようにして砂浜を人工的に維持することを養浜事業といい、

日本では全国津々浦々で行われている。かつては大井川が自然の流れで運んでいた砂をトラックで運んで、以前にあった砂浜を回復するわけだ。

ときどき聞く言説で、ダムは土砂に埋もれてしまうから無駄だ、というものがある。

だがこれは正しくない。もしもダムがなければどうなるか。

土砂は川に堆積してゆく。そうすると、川底が高くなって、川は氾濫を繰り返すようになる。これこそが人類が土木工事をする以前の「自然」の姿であり、そもそも我々の住んでいる平野というのは、そうして氾濫を繰り返して形成された沖積平野がほとんどである。

それが自然だからといって、大昔の状態に戻せばよいというものではない。

現代的な生活を送りたければ、川は決まった場所を流すようにしなければならない。そのために川には堤防を造らねばならない。川に土砂が堆積するのも何とかしないといけない。

水害を防ぐという観点からすれば、ダムに土砂が溜まっていく方が、ダムがなくて下流にそのまま土砂を流すよりは、はるかに優れている。

先人たちが大井川上流の険しい地形に挑戦し開発をしたのは、電力が欲しかったからである。

いまでこそ水力発電は日本の全発電量の1割ほどしかないが、かつては日本の発電の主役だった。

大井川では今から100年近く前の昭和31928)年に、最上流部に田代ダムが建設された。それ以来、大井川では水力発電所が多数建設され、流域で利用可能な水力エネルギー(=正確には河川水の位置エネルギーで、水量×高度)はほとんど余すところなく電気に変換されるようになった。

地形が険しいことに対応して、発電所はそれぞれ個性豊かな設計になる。

リニア中央新幹線のトンネル工事で発生する土砂は…

田代ダムでは、県境にある峠をくりぬいて山梨県側に水を落とし、800メートルを超える落差を用いて発電する。大井川の上流なので利用できる水量は毎秒5トン以下と少ないが、これだけ落差があると発電量としてはかなり稼げる。

田代ダムよりやや上流に建設された二軒小屋発電所では、発電所は地下に設置されており、そこに行くためのトンネルを通っていかねばならない。

畑薙第一ダムでは、外見ではコンクリートの塊に見えるダムの堤体が中空になっていて、その中に水圧鉄管が設置してある。いずれも先人がそれぞれの地形に合わせて知恵を絞った跡だ。

二軒小屋発電所は、ちょうどほぼその真下をリニア中央新幹線のトンネルが通る予定になっている。リニアといえば、静岡県の川勝平太・前知事が水問題などを理由に猛烈に反対していたが、新しい鈴木康友知事になってからは早期着工に向け調整が進展している。

いま論点のひとつになっているのは、トンネル工事をする際に発生する土砂の置き場である。

JR東海の計画では、370万立方メートルほど発生する土砂のうち、そのほとんどとなる360万立方メートルをトンネルから3キロメートルほど大井川沿いに下ったツバクロ地区に盛り土するとしている。

360万立方メートルというとかなりの規模に思えるが、土木工事ではこの程度の盛り土をすることは珍しくない。新東名高速道路の清水パーキングエリアでもほぼ同規模の350万立方メートルの盛土をしている。富士山静岡空港ではさらに大規模となる2600万立方メートルもの盛土をしている。

またツバクロの盛土の地点は、かつて発電所の建設のための骨材工場に利用されたものであって、原生の自然ではない場所を選んでいる。自動車で行ってみると、建設工事の終了後に更地に戻した上に植林もされたので、いまでは樹木が鬱蒼と繁っている。リニアのためにまた新たな盛土をしても、やがて年を経れば青々とした風景に戻すことができるだろう。

田代ダム完成以来100年、先人たちの知恵

トンネル工事から発生する土砂の残りの10万立方メートルは、さらに13キロメートルほど下った藤島地区に盛土される計画だ。これも自然環境への配慮として、かつて水力発電開発の際に利用された地点を選んでいる。ただし重金属などを含む要対策土ということで、その対応についてはいまJR東海と県の間で協議が続いている。

重金属といっても外から持ち込むのではなく、トンネル工事で発生する自然の土砂由来のものであるが、周辺の環境に影響しないよう、JR東海は二重遮水シートを敷くなどの対策を施すとしている。これを認めないとすれば、100キロメートルも離れた処分場までトラックで輸送することになると報じられているが、それよりも、私にはこの藤島地区への盛土が現実的な解決策に思える。

大井川上流域の開発を巡っては、田代ダム完成以来、100年近くにわたり、多くの先人が険しい地形を前にして知恵を絞ってきた。盛土の計画についても協議が順調に進めば、ほどなくリニアが走る日が来るだろう。次の100年の幕開けを飾るにこれほど相応しいものはない。