コラム 国際交流 2024.09.02
小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない—筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。
先端技術開発を巡る欧米・中国間の競争に関して、友人達と情報交換を行う毎日だ。
7月初旬に上海で開催された世界人工知能大会(WAIC)や8月下旬に北京で開催された世界ロボット大会に関する情報交換を毎日行っている。本来なら訪中して情報収集を直接行わなくてはならない。だが、ビザ等の渡航手続きの問題、そして現地で行動を制約される事に対する不安があり、二次情報や友人達からの連絡という形の情報収集・分析しか出来ない状況だ。制約された形で収集した情報の中から判断出来る事は、AIやrobot、またchipやbio等の中国先端技術開発が同国のマクロ経済の状態とは異なり“熱気”に溢れている点だ。だが、この状態が何時まで続くのか、如何なる成果を生むのか、また如何なる形で国際関係に影響を与えるのか。これらの点に関して引き続き注視する必要がある。
中国の技術開発に関して、過去の小誌の中で触れたHarvard大学の雷雅雯教授の本や北京出身だが、学部学生から博士号取得までHarvardで一貫して学び、完璧な英語を話す金刻羽LSE教授の本等を基に議論した。両書は中国の熱気溢れる「“追い抜き(弯道超车)”戦略に関し皮相的な観察を避け個別事例を基に判断すべき」と述べている(前者の本がThe Gilded Cage: Technology, Government, and State Capitalism in China/«镀金的笼子: 中国的技术国家资本主义»で後者の本がThe New China Playbook: Beyond Socialism and Capitalism/«新中国策略: 超越社会主义和资本主义»)。
欧州では8月20日、TSMCの工場建設がドレスデンで開始された。式典には魏哲家会長と並んでフォン・デア・ライエン欧州委員会委員長やショルツ首相が出席し、“シリコンで栄えるザクセン州(Silicon Saxony)”の門出を祝った。「半導体は21世紀の燃料(„Halbleiter sind der Treibstoff des 21. Jahrhunderts“)」)と題した演説の中でショルツ首相が語った言葉に接し「国が企業を育てる」だけでなく「企業が国を選ぶ」という時代に生きている事を実感している—彼の言葉とは、「TSMC、ようこそ! なかでも(工場立地に関して)、我が国を選んで頂き喜んでいます(Herzlich willkommen, TSMC! Wir freuen uns ganz besonders darüber, dass Sie sich für unser Land entschieden haben.)」だ(PDF版の2参照)。だが、ドイツ工場の成否について、今後も見続ける必要がある。何故ならば東洋と西洋とでは“働き方”や“職業観”が異なるからだ。これに関連してTSMCの人財開発担当の何麗梅(Lora Ho)氏が今年の春に「(台湾以外の)海外で優れた人財を確保する事が難しい」と語った事を思い出している。
7月29日、イタリアのメローニ首相は北京で講演を行った(演題は「知的旅路: マルコ・ポーロの旅と東西世界の遺産(Viaggio di Conoscenze. Il Milione di Marco Polo e la sua eredità tra Oriente e Occidente /传奇之旅: 马可·波罗与丝绸之路上的世界)」)。2024年は伊中間戦略partnership結成20周年を祝い、またマルコ・ポーロ没後7百周年を祝う年だと首相は最初に述べた。そして貿易・直接投資に関する伊中間インバランス解消に向けて、両国が「公正・透明・互恵的に協力(collaborare in modo leale, trasparente e reciprocamente vantaggioso)」する重要性を語った。友人達に「首相はMarco Poloに言及したけれど、彼はモンゴル帝国のクビライの下で働いたんだよね。もしもボクが中国側の人間だったら、別の事例、例えば、ローマ帝国のマルクス・アウレリウス皇帝が後漢の桓帝へ使者を遣わした事に触れてもらいたかったなぁ」と語った次第だ。
この夏、日本を訪れた中国の友人達と久しぶりに語り合う事が出来て喜んでいる。
8月上旬、中国の友人達が東京を訪れ、彼等と知的会話を楽しんだ。上海の門洪華同済大学教授からは立派な書籍(庭園専門家の陳従周先生の«説園(On Chinese Garden)»)を頂いて感激している。そしてコロナ禍以前に上海で彼と北宋の政治家、范仲淹の人生について語り合った事を思い出していた。またHarvard時代からの友人である干鉄軍北京大学教授からは、所長を務める国際関係学院(IISS)の最新資料を頂いた。彼が「ジュン、早く北京に戻って来なよ」と言った。だが、筆者は「visa等があって厄介だし…」と言葉を濁していた。これに関連して、8月22日の中国外交部の毛寧報道官による記者会見が、筆者をなお一層不安にさせている。『読売新聞』の質問に対して、彼女は「日本には中国の法規遵守に関して国民を教育・指導してもらいたい(希望日方教育、引导本国公民遵守中国的法律法规)」と答えている。中国の法規に関する筆者の貧弱な知識では、いかなる形で法に触れるか分からない。やはり訪中は今出来ないと考え、当面は中国語の学習だけに止めておくつもりだ。
6月の訪独の際、知人と語り合った本(Daniel Hedinger, Die Achse: Berlin-Rom-Tokio 1919-1946, 2021)を、今再読している。
訪問先のDüsseldorfはドイツの中で日本人が最も多く住んでいる街だ。そのためか日本に詳しいドイツ人もいて驚いた。会議の後に訪れたパブ(Zum Schlüssel)で、独日関係の歴史に詳しい人が筆者に質問した—「あなたはDie Achseを読みましたか?」、と。筆者は「ええ読みました。全部ではありませんが…」と答え、「本の中には初めて見る写真も多く、しかもsubtitleの‹Berlin-Rom-Tokio›が示唆的ですね」と付け加えた。
‹Berlin-Rom-Tokio›は三国同盟を画策したリッベントロップ外相が創刊したpropaganda雑誌のタイトルだ。そしてDie Achseを邦訳すれば、「ザ・枢軸」となる。“枢軸”という言葉はムッソリーニの演説に由来している—1936年、伊独両国は「全欧州諸国が協力する際、必要になる軸(un asse attorno al quale possono collaborare tutti gli Stati europei)」と彼は語った。即ち“枢軸”は“欧州”が起源なのだ。1933年秋に国際連盟を脱退したドイツは1934年から“宿敵”ソ連を念頭に日本に関心を持ち始めた。そして1935年の独英海軍協定以降、独英関係の強化に失敗した結果として対日関係を重視し始めたのだ。だが、そうした状況にあっても、当時の「非アーリア人」に対する差別は厳しく、1935年2月の独政府の或る指示書には、「日本人を劣等民族としてだけは表さないように(die Japaner nicht einfach als eine minderwertige Rasse bezeichnen)」という文章が付いていたのだ。また大阪大学の中村綾乃准教授の研究に依れば、「日本人とアーリア人との結婚」は望ましくないとして、法的に認められなかった。筆者が残念に思った事は、Maestroフルトヴェングラーが或る友人に宛てた手紙の中で、「今日、パレストリーナ、ベートーヴェン、シェーンベルクと、日本の音楽が同じだと思う(für den heute Palestrina, Beethoven, Schönberg und japanische Musik dasselbe bedeuten)」ような人々を軽蔑していた事だ(今では、或る意味でMaestroの考えは誤りだと分かるが…)。
いずれにせよ同書(Die Achse)に依れば、ドイツの“電撃戦(Blitzkrieg)”・“電撃外交(Blitzdiplomatie)”に目が眩み、「バスに乗り遅れるな」として、Hitlerite Germanyのpropagandaにまんまと騙されたのが当時の大日本帝国だったのだ。ドイツの陸軍や外務省の幹部からは蔑視され、信頼したはずのリッベントロップ外相からも本心を明かされず、自分のドイツ語に陶酔していた大島浩駐独日本大使。そして当時の欧州を知る優れた日本人の言葉に耳を傾けず、外交官らしくない英語を話す松岡外相の責任は重い。1941年4月、松岡外相がスターリンと結んだ日ソ中立条約を知ったゲッベルス国民啓蒙・宣伝相が、“名誉アーリア人(Ehrenarier)”の日本人と“非アーリア人(Nichtarier)”のロシア人との間柄に関し、日記に残した文章は印象的だ—「それは純粋アジア的な友人関係だったからだろう(Das scheint ja eine richtige asiatische Verbrüderung gewesen zu sein)」。
恥ずかしながら筆者もHarvardでドイツの友人達と共に歴史を調べるまではNazi propagandaに洗脳されていた。そして在日ドイツ人翻訳家のマライ・メントライン氏が、Newsweek誌の日本版に載せた記事を思い出している。曰く: 「よく年配の日本人から『ドイツと日本は第2次大戦の「戦友」ですから!』 『次回はイタリア抜きで!』など、自信満々の『ドイツ愛』アピールを頂く。昭和的な好意の表れではあるが困る。なぜなら、それは彼らの{筆者註: 戦前昭和的な}『脳内ドイツ』イメージに基づく好意だからだ」(Newsweek誌日本版、2020年10月30日)。