論文  外交・安全保障  2024.08.07

予防原則の適用可能性を考える

法制度・ガバナンス

予防原則は、地球温暖化への対処との関連で、よく言及されます。予防原則は、ドイツの国内法から発展したとされます。本稿では、国際法の視点から、主権国家の異なる利益間のバランスという国際法の根本的要請にてらして、予防原則の適用可能性を考えてみたいと思います。

予防原則の核心は、「損害の発生に科学的な不確実性が残るときでも、不可逆な損害や甚大な損害を回避するために、措置をとることを遅らせてはいけない」ことにあります。

ところで、国際法では、損害「防止」の原則が、確立しています。「予防」は、「防止」と比較される概念です。損害防止原則は、相当な損害の発生が、科学的な確実性を伴って予見可能である場合に「のみ」、損害を回避する措置をとることを主権国家に要求します。その根本には、異なる、さらには、対立する利益間のバランスの要請があります。

国際法は、原則として行為の自由をもつ主権国家の行為を制限する法です。一方で、Aという主権国家の行為の自由を制限し、他方で、Bという主権国家が、たとえばその領域に、相当の損害を被ることを防止するのが、損害防止原則です。AとBとの利益バランスを図るのが、「損害の予見可能性」と「相当な程度の損害」という防止原則の適用要件です。一方で、Aの行為を過度に制限することがないように、他方で、Bに一定程度以上の損害を受忍させることないように、損害防止原則は、両者のバランスをはかります。

こうした、主権国家間の利益バランスは、主権国家が、国際法を受け入れて、国際法が実効的な法であるために、根本的な要請です。

この主権国家の利益バランスという根本的な要請は、予防原則が国際法の原則として確立するためには、尊重されなければならないと思います。端的にいえば、予防原則は、開発(経済)と環境とのバランスを否定する原則ではありません。その点で、「持続可能な開発」の考え方と一致します。そのバランスにおいて、主権国家は、行為への制限を受け入れるのです。

それでは、損害の発生に科学的な確実性がないのに予防措置を要求する、つまり、主権国家の行為を制限する予防原則は、どのように利益バランスを図るのでしょうか。ここで、「損害の発生に科学的な不確実性が残る」という、予防原則の、いわば発動要件がまさに工夫のしどころとなります。本稿では、予防原則は、「『危ない(=損害がおこるかもしれない)』といった者勝ち」の原則ではないことを、論じたいと思います。次のような順序で、検討をすすめます。

序論:予防原則を簡潔に紹介して、本稿の趣旨を説明します。

第一節:損害防止原則が、主権国家間の利益バランスをはかりながら確立してきたことを説明します。

第二節:損害防止原則との比較において、予防原則の特徴を明らかにします。その上で、予防原則が典型的に機能するとされる、地球環境保護条約体制を考察します。そこでは、「科学的不確実性が残る」段階で、タイミングと予防措置を、つまり、予防原則の発動要件と予防の具体的な内容を、国際協力を活かして、主権国家の合意が決定していることを評価します。科学的不確実性に直面して、科学的判断に代えて、主権国家の協力と合意で損害の予防を実現しようとする、国際社会の知恵といえるでしょう。

第三節:予防原則をめぐる、日本の経験をとりあげます。日本は、ミナミマグロ事件という国際訴訟や、現在も継続中のトリチウム含有水の海洋排出において、予防原則による批判にさらされました。それらを素材として、予防原則の適用の限界があることを論じます。たとえば、行為国が、科学的な証拠により、相当な損害の発生がないことを証明した場合です。このような予防原則の適用の限界は、予防原則が、主権国家間の利益バランスを図るという根本的な要請にこたえる原則であることに基づきます。

結論:予防原則は、「『危ない(=損害がおこるかもしれない)』といった者勝ち」の原則では決してありません。本稿の意図は、予防原則の意義や機能を限定したり、ましてや、否定したりすることではありません。むしろ、逆です。主権国家の利益バランスという国際法の根本的な要請を反映して、予防原則を適用する要件を洗練してこそ、本当の意味で、予防原則が確固たる原則として確立することを、本稿の結論とします。

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予防原則の適用可能性を考える(本文は英語です)