コラム  国際交流  2024.07.04

『東京=ケンブリッジ・ガゼット: グローバル戦略編』 第183号 (2024年7月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない—筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

6月は人間と機械の協働作業に際して必要な安全技術に関する会合のために約半月間欧州に滞在した。

6月7~22日、欧州4ヵ国(独芬瑞仏)を訪れた。通常筆者の出張は独りで友人達との意見交換が中心だ。だが、今回は日本の技術者の方々と共に各国を訪れる事が中心となった出張で、彼等と筆者、双方の関心事項の融合が主目的だった。即ち筆者の関心事項—経済社会におけるrobotを含むHuman-Machine Interaction (HMI)—と彼等が目指す「働く人々の安全・健康・ウェルビーイングに関する国際標準化」との融合だ。

技術者集団の中心的人物はセーフティグローバル推進機構(IGSAP)や日本ロボット工業会(JARA)の理事を務める藤田俊弘氏だ。働く人々の安全(safety)・健康(health)・ウェルビーイング(Well-being)に関する国際標準化を目指す同氏は、デュッセルドルフ、ヘルシンキ、ジュネーブで日本の役割と国際協力の必要性を専門家達に対して語った。またフィンランドのタンペレで開催された国際会議では、同氏に加えて筆者は、産業技術総合研究所(AIST)の谷川民生教授等、そしてトヨタや三菱電機等の専門家達と共に参加して意見交換を楽しんだ。

欧州の企業では労働者の“Sicherheit, Gesundheit und Wohlbefinden (safety, health and well-beingの独語版)”を重視する活動が活発だ。例えばVolkswagenやRoche等の大企業も推進活動を積極的に実施している。今回、藤田氏は専門組織—例えば独国法定災害保険(DGUV)やその傘下の労働安全研究所(IFA)、またヘルシンキの芬蘭労働衛生研究所(FIOH)、そしてジュネーブの世界労働機関(ILO)や世界保健機関(WHO)—とのhuman networksを一段と強化する事に尽力された。その中でもILOのジルベール・ウングボ事務局長が今年のvideo message送付と来年の訪日を約束された事は特筆に値する。ジュネーブでの会合を終えた後、Four Seasons Hotel屋上の和風レストラン(Izumi)では、米国での安全問題を討議する団体—全米安全評議会(NSC)—に関係する米国の人と隣の席に着き、幸運にも今回の欧州出張で偶然global networksが更に拡大した。

DüsseldorfとTampereで技術者達の研究を聴講した後、HelsinkiのFIOHで15分間意見を述べる機会を頂いた(次の2参照)。筆者の関心事は経済的・日常生活的に技術者・労働者が幸せになるため、技術者の知識を生産現場での成果へと結び付ける“組織・制度づくり”だ。換言すれば旧弊固陋な“縦割り(silo)構造”を変革し、技術力を効率的に活用し事業化へ向かうための“組織力”が不可欠なのだ。この“組織力”の要素として、①技術者集団には技能とリーダーシップ、②経営組織・社会制度には時代に適合した形に組織・制度を再編・創出する能力とリーダーシップが必要となる。そしてこのためには、どうしてもシュンペーター先生が唱えた“行動の人(Man of Action/Mann der Tat)”が求められる事を語った。

Robotを含むmechanizationは目覚ましい。Robotの役割は工場・倉庫に止まらず、建設・農業・教育・医療・警察等の現場でも拡大している(p. 4の図1参照)。このため人間と機械との協働作業が増加し、それ故に“新たな安全対策”が重要となり、“協調安全(collaborative safety)”という概念が生まれてきたのだ。この現象を長年観察してきた藤田氏は、「日本の安全技術者や安全管理者は、日本で全く世界潮流の安全国際会議が開催されないので肌感覚で世界のトップの考えを知る機会がなく、大変不幸で取り残されている状況であり、何とか打開しなければいけない」と述べている。そして今、藤田氏はTampereでの国際会議(SIAS2024)を踏まえて、2年後に日本でSIAS2026を準備している。その前に同氏は本年11月中旬に世界の専門家達を日本に招き、2025年EXPO2025ではウングボILO事務局長等が参加する行事を予定している。更に、SIAS2026の後も日独が中心となって国際標準化へ向けた会合を藤田氏は大阪で毎年計画している(p. 5の図2(Vision Zero Journey)参照)。筆者は、藤田氏の考えをうかがっている時に、彼に向かい「あなたは本当に“a Schumpeterian man of innovative action”だと思いますよ」と語った次第だ。

国際政治はカオス状態だ—選挙を控えた欧州と米国、総統選挙を終えた台湾が直面している危機に関し、友人達と情報交換の日が続いている。

冒頭で触れた出張中、日常的情報収集が出来ず、小誌で読者諸兄姉に提示する情報が少ない事を申し訳なく思っている。だが、出張の後半(GenèveとParis)には友人達と有益な情報交換が出来た事を喜んでいる。周知の通り、ロシアによるウクライナ侵攻に関し人々の見解は様々だ。6月17日、英国人歌手ロッド・スチュアートがライプツィヒ公演中、ウクライナ支援・プーチン批判をして観衆から批判されたと報じられた(次の2参照)。筆者は「ドイツにはAfD等“親プーチン派(Putinversteher)”がいる事を忘れてはならない!」と欧州の友人達に語った次第だ。

欧州でも友人達との意見交換の中で中心は中国問題だった。激化する米中摩擦に関する書籍に関して友人達と刺激的な知的会話を楽しんだ。それらの書籍とは①Virginia大学(UVA)のコープランド教授による本(A World Safe for Commerce, Feb. 2024/«安全的商业世界»)や②リスマイヤーHarvard Business School(HBS)准教授の本(Precarious Ties: Business and the State in Authoritarian Asia, Sept. 2023/«不稳定联系»)、また③多才なCyber技術専門家アルペロヴィッチ氏の本(World on the Brink: How American Can Beat China in the Race for the 21st Century, Apr. 2024/«世界岌岌可危»)等である。

パリは、第1回印象派展(Première exposition des peintres impressionnistes)の百周年、そしてノルマンディー上陸80周年(D-Day: 80 ans du débarquement de Normandie)を祝った直後だったが、友人達とは仏国政治の混乱状態について語り合った(次の2参照)。またD-Day直前における駐独日本大使館の連合軍に対する“意図せざる”貢献について議論した。戦史に詳しい人はご存知の通り、連合軍は上陸前に様々な形で敵(独軍)に関する情報収集と偽情報の拡散を実施した。駐独日本大使館はこの時、独軍側の情報に関し連合軍側に多大なる貢献をした—①大島浩大使が1943年秋に、また伊藤清一陸軍大佐が同年末に、更には②小島秀雄海軍少将がD-Day直前の1944年4月に、仏西岸に在る独軍要塞を訪れ、その詳細を暗号電報で東京に送った。それらをBletchley Parkの英国諜報部門が直ちに解読して、連合軍の作戦計画に参考資料として提出した。パリの友人が「マーシャル米陸軍参謀総長が語ったように連合軍側の作戦に“大島情報”は非常に役立った」と満足気に語った時、筆者は複雑な気持ちになってしまった。そして「今回の出張で君達とは、カフカ没後百周年で英訳新版の『日記(The Diaries of Franz Kafka, 2023)』やモネの伝記(Monet: The Restless Vision, 2023)について語り合う事を期待していたのに、政治と戦争の話が中心となった事が残念だ」と話した次第だ。

欧州出張中、現地での異常気象に驚いた。特にフランスでは著しい南北地方間の気温差を記録していた。

出張中、幸いにも天気に恵まれたが、欧州各地での異常気象現象が報じられていた。確かにジュネーブの昼の蒸し暑さは厳しいものだった。

約3ヵ月前の4月7日、筆者は『日本経済新聞』の記事を読んで本当に驚いた—「ワイン産地の9割、気候変動で存続危機 仏研究チーム」。ボルドー国立農業科学学術院(l'École nationale supérieure des sciences agronomiques de Bordeaux/Bordeaux Sciences Agro (BSA))の研究者が21世紀末までにワイン生産地の約9割が気候変動によって生産継続が不可能になると予想したとの報道であった。勿論、21世紀末まで生きる訳ではないが、産地が次第に変わっていく事は非常に残念な事態だ。このために、友人達と早速「今のうちに!!」という理由をこじつけて、“あせりつつ(?)”、Pavillon Rouge du Château MargauxやChâteau d’Yquemで乾杯した次第だ。気候変動のワインへの影響は既に現れている。コロナ禍前の訪英時、現地の友人達と飲んだワインは英国産だった。この様子では「現在の筆者のワインの知識も気候変動に伴い必ず“陳腐化”する」と観念した。

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