メディア掲載  財政・社会保障制度  2024.05.21

災害と災害対策の進化

共同通信社(2024513日)より配信

エネルギー・環境

元日に発生した石川県の震災は甚大な人的・物的被害をもたらした。今回の震災は、半島地域の災害における輸送ルートの確保、過疎化・高齢化が進んだ被災地への対応など、今日の日本が直面しているさまざまな課題を浮き彫りにした。また、焼失戸数約300戸、焼失面積5万平米以上に及ぶ輪島市の大規模火災は、あらためて大火の恐ろしさをわれわれに認識させた。

木造建築が密集する都市が多い日本は、震災時以外にも多くの大火を経験してきた。特に木造建物が今日よりはるかに多かった第二次世界大戦前期の日本では大火が頻発した。筆者が全国紙のデータベースを用いて焼失戸数300戸以上の大火の発生件数を調べたところ、1909年から1940年までの32年間に96件が記録されていた。1年当たり3件に達する。焼失戸数が1万戸を超える大火も、関東大震災による火災のほかに、1909年の大阪市の大火、1934年の函館市の大火がある。大阪大火、函館大火では、乾燥と強風という気象条件が火災の規模を大きなものとした。

強調すべき点は、大火等の深刻な災害が、災害に対応するための仕組みの導入をうながしてきたことである。大阪大火の直後に大阪府で建築取締規則が制定され、防火の観点を含む建築規制が実施された。そして建築規制は1919年の市街地建築物法制定によって全国レベルに拡げられた。さらにこうした公的な対応と並行して、民間セクターでも市場経済を通じた対応も進展した。もっとも顕著なのは火災保険の普及である。

世界最初の火災保険会社が1666年のロンドン大火の直後に設立されたことはよく知られている。日本で最初の火災保険会社は1888年に設立された東京火災保険である。その後、日本で多くの火災保険会社が設立され、火災保険の普及が進んだ。そして頻発する大火が人々の火災リスクの認識を通じて火災保険の普及を促進した。 今回の震災を教訓として、政府と民間のさまざまな対応が進むことを期待したい。