本稿はロジャー・ピールキー・ジュニア「The Honest Broker 2023.12.4 Secret Sauce: You’ll Never Guess What Drives the Biden Administration’s Social Cost of Carbon」を許可を得て邦訳したものである。 |
先日バイデン政権はメタン排出に関する新たな規制を発表した。この規制は非常に良いアイデアだと思う注1) 。かつてバイデン大統領の下で大統領経済諮問委員会のシニア・エコノミストを務めたコロンビア大学のノア・カウフマン氏は、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA’s)の規制に関する費用便益分析の結果をX/ツイッターに投稿し、こう問いかけた:
連邦政府の規制がもたらすプラスの純便益が、気候の便益によってもたらされるのは、これが初めてであろうか?
しかしもしそうなら、この規制は、現実には有り得ないほど極端に排出量の多い気候シナリオRCP8.5の誤用に基づき、プラスの純便益を示した最初の連邦規制でもある。今回私はRCP8.5がバイデン政権の「炭素の社会的費用(SCC)」に使われる秘伝のタレであることを明らかにしようと思う。
SCCは、二酸化炭素の排出によってどれだけの損害が生じるかを示すものであり、それゆえ費用便益分析に用いることを目的としている注2) 。SCCは、非常に専門的で不透明な手法で作成されており、数十年にわたる膨大な文献に依拠した仮定に基づいていて、専門家であってもその算出方法を知ることは困難である。
私はSCCを重視していない。SCCは一見科学的に見えるが、実際のところはそうではない。しかし、もしそれが政策を正当化する根拠として使われるのであれば、欠陥のある、時代遅れの、あるいは誤った科学に基づいてはならない。それについては誰もが同意できるはずだ。
以下に示すフローチャートは、新規制に付随するEPAの補足資料にあるもので、SCC推定における構成要素を示している。2023年の初め、バイデン政権がSCCに対する新しいアプローチを発表したとき、私はこのウェブサイトTHBでの投稿で、その排出量予測(以下に追加した緑の枠内)がRCP8.5あるいはそれに近い予測値を除外していることを指摘した。これは大きなニュースだった。
しかし、わたしは楽観的すぎたようだ。RCP8.5はSCCの中で生き続けているのだ。そしてそれは下図の赤枠部分、損害モジュールの中だ。
EPA2023、赤と緑の枠は筆者により追加
損害モジュールの中心は「損害関数」である、と次のようにEPAは説明する:
損害関数によって、気候変動による気温の変化やその他の物理的な影響は、純経済的損害の金銭化された推定値に変換される。
つまるところ損害関数とは、単に温度変化と予想される損害を対応させる曲線のことである。バイデン大統領のEPAは、下の画像にあるように、3つの損害関数を利用している。
この損害関数に、RCP8.5がこっそりと入り込み、舞台を乗っ取っているのだ。なぜなら、これらの損害関数は、EPAの排出シナリオや気候予測ではなく、RCP8.5に基づいているからである。なんとずるく、無様なことか。科学ではない。
では、3つの損害関数のそれぞれを簡単に見て、RCP8.5がどのように混入されているか説明していこう。
気候影響研究所(Climate Impact Lab)のData-driven Spatial Impact Model(DSICM)
DSCIMから得られた複数の損害関数(健康、エネルギー、労働、農業、沿岸)は、下図を見ればわかるように、RCP8.5に基づくものである(訳注:図中赤はRCP8.5のデータである)。この図は、DSCIMがRCP8.5とSSP3(方法論上の大きな誤りなのだが注3) )の組み合わせであることを示している。また、その結果得られた損害関数(図B)には、2100年までに世界の平均気温が2001年から2010年のレベルを10℃上回ると予測されている。こんなことはあり得ないと誰もが思っている。
上の図を注意深く見て、SSP3-8.5を表す赤い点を無視すれば、産業革命前の値より約3℃高い、約2℃まで(訳注:2001-2010年の値に比べて)は基本的に損害がないことがわかるだろう。そして、世界は現在、2.5℃未満の温暖化に向かう経路で推移しているのである。
DSCIMのSCCの75%以上は、RCP8.5における猛暑による死亡である。 Carlton et al. 2022による下図をご覧いただきたい。
気候変動による全死亡リスク。縦軸:10万人あたり死亡率の変化。
RCP8.5が襲ってくる! 出典:Carlton et al. 2022.
DSCIMのSCC推定値への影響が2番目に大きい分野は労働で、これもRCP8.5に基づいている。RCP8.5を取り除くと、DSCIMの推定SCCはほぼゼロになる。
Rennert et al. 2022による温室効果ガス価値影響推計(Greenhouse Gas Value Impact Estimator, GIVE) 2022年
GIVEのアプローチは、さまざまな研究を統合した損害関数を採用しており、それをひとつひとつ検証することができる:
GIVEの場合も、RCP8.5(GIVEのSCCの約50%を占める)を排除し、死亡率に対する気温変化の影響に関する不適切な仮定(残りの約50%)を修正すれば、GIVEのSCCもほぼゼロになる。
DSCIMとGIVEのSCCの部門別内訳を見てみると、SCCは、下表のように、結果に非常に大きなばらつきがあることがわかる。SCCは可塑性があるのだ。
SCCの見積もりは、どんな値にでも、好きなように操作出来る。仮定を変えるだけでよいのだ。そして、RCP8.5を利用して損害関数を作りさえすれば、確実にSCCを大きくすることができる。
Howard and Sterner (2017)によるメタアナリシス
EPAが使用している第3の被害関数は、2015年以前に発表された論文のメタアナリシス(訳注:メタアナリシスとは「研究の研究」の意味で、既往論文の分析のこと)に依拠している。このメタアナリシスはかなり古いが、Burke et al.2015のような、RCP8.5をSCC計算の基礎とする分析がいまだに取り入れられている。
メタアナリシスを構成する43のSCC推定値のうち、18は2000年以前に、29は2010年以前に発表されたものである。RCP8.5が発表されたのは2011年であるが、メタ研究の多くはRCP8.5の先祖にあたる類似の高排出シナリオを使用している。
重要なのは、Howard and Sterner (2017)が、推定SCCに対する極端な予測の影響を強調していることである:
高温推定値(すなわち4℃以上)を除外すると、…. .気候変動により、初めのうちは便益があるというエビデンスを発見した。
高温推定値(>4℃)を含めると、 … … 気候変動による初期段階の便益はなく、被害関数はより平坦になる。
また、一つの高温での推定を含めると、 … … 最終的な係数とそれに対応するSCC推定値に有意な影響を与えることがわかった。これらの結果を合わせると、気温と損害の関係が高温における損害推定値に大きく影響されることがわかる
多くのSCCの推計では、2300年まで延長した高温予測によって試算を行なっている。
RCP8.5に基づく損害関数はSCCの推定値にどのようなバイアスを与えるか
下の図は、EPAのSCC計算に使用された温度範囲を示している(平均値は実線、中央値は破線)。これらは2100年では約2℃を中心としているが、2300年まで伸ばすと上限が8℃に近くなっている。
この予測では、EPA SCCの約50%までが、2300年までに約3℃までから約8℃までの気温上昇に基づいている。これは気候の大きな変化だ。上の図から、予測されている気温上昇の分布は、時間とともに高い値に偏っていくことが見て取れる。
RCP8.5に基づく被害関数は非線形であるため(訳注:2次関数などが使われる)、EPAが上記の分布から気温上昇を無作為に抽出しそれをEPAの損害関数に反映させるということは、仮に2100年の中間点については妥当であるように見えるとしても、極端な気温上昇という仮定に、不釣り合いに大きな影響を受けることを意味する。
RCP8.5はこのように損害を誇張するのに大きな役割を果たしている。それはまさに秘伝のタレと言える。
注1)
これらの規制の価値についての私の判断は、ネット・コンプライアンスコストと、収益化されない利益に基づいており、こちらの表1-4で見ることができる。
注2)
EPAは、メタンと亜酸化窒素の社会的コストについても試算している。本稿では炭素に焦点を当てるが、同様の問題は他の温室効果ガスにも当てはまる。
注3)
DSCIMのユーザーマニュアルによると、RCP8.5はSSP2、SSP3、SSP4と対になっている。
そのどれもが実際のところモデルの世界では存在しない。これはモデリング上不適切である。