メディア掲載 エネルギー・環境 2023.11.28
再エネによる大規模発電はいかに大変か、建設・維持する人が私たちの生活を支えている
JBpress(2023年11月27日)に掲載
地球温暖化対策として再生可能エネルギーがもてはやされているが、我々はこれまでも発電時にCO2を排出しないエネルギー源を活用してきた。水力発電だ。今回、水量が豊富で、昭和初期から水力発電に利用されてきた大井川のダムと水力発電所を訪ねる機会があった。先人たちが取り組んだ「元祖再エネ」の現場の様子をお伝えする。
(杉山 大志:キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)
大井川の上流にある井川ダム。筆者撮影
■暴れ川で砂利が深い大井川
大井川のダムと水力発電所を訪れた。まずはかつての宿場町である島田(静岡県島田市)に東海道線で入る。
箱根八里は馬でも越すが
越すに越されぬ大井川
と、箱根馬子唄(よみびとしらず)にも詠まれている土地だ。
江戸時代の大井川には橋がなく、そのため雨が降ると、旅人は宿場町で1週間も足止めになることがあった。不便な話だが、お陰で島田の街はおおいに繁盛した。
足止めされた人々の気を晴らそうとする一心で、浪人武士がご法度の賭け試合をしてしまうという山本周五郎の小説『雨あがる』は私の一番好きな小説だが、寺尾聡を主役にした映画を黒沢明監督が撮影したロケ地はこの大井川近辺だったという。
橋を架けなかった理由としては、江戸へ攻め上る兵隊を防ぐためだったとの説をよく聞くが、実は大井川は暴れ川なうえに堆積した砂利も深く、当時の技術では架橋が難しかったようだ。
このため渡河は人力に頼ることになり、人足が肩車をしたり、輿に載せたりして旅客を運んだ。水量が多すぎると渡れないが、4尺5寸(=1メートル36センチ)以下であれば渡河したという。
■大量の砂利流入で、懸念されるダムの容量減少
当時の人は今よりだいぶ身長が低かったから、これは相当な深さだ。しかも増水すれば流れは速かったであろうから、よく渡ったものだと感心する。現地で聞いた話だが、お客さんを絶対に濡らしてはいけないという決まりがあり、万一濡らしてしまった場合は打ち首という話まで伝わっている。人足はどこを通れば安全に渡河できるか熟知していた職人集団だったとのこと。
その島田から大井川に沿って上ると、いくつものダムと発電所を見ることができる(以下、地名が幾つか出てくるが、流域のマップをご覧になりたい方は大井川水系用水現況図を参照されたい)。
今回、訪れたのは、深い山の中にある井川ダムだ。蓄えられた水は、2本の太い鉄製の水圧鉄管を通り、ダム直下にある井川発電所(中部電力)で発電に利用される。1本あたり最大で毎秒40トンもの水が通る。この水がいくつかの導水路と発電所を経て川に戻るのは、ずっと下流の川口発電所(中部電力)を過ぎてからである。
大井川の下流にある川口発電所の水車に水を供給する水圧鉄管。直径5メートルほどある。最大で毎秒90トンの水がこの中を通る。川口発電所は出力5万8000キロワット。筆者撮影
大井川本流の方はといえば、井川発電所より下流は生態系を維持するための維持流量が保たれている。訪れた時は降水量が少ないタイミングだったこともあって、毎秒5トン程度の流量しかなかった。浅いので筆者でも簡単に歩いて川を渡れそうだ。
水が少ないと川としては物足りない。かつては維持流量を保つということをしておらず、大井川の中流域では、本流に水が一切流れていない「河原砂漠」になっていたときがあった。だがその後、地元の人々による「水返せ運動」が起こり、結果として維持流量が放出されるようになった。
河川敷はとても広く、砂利が大量に積もっている。それを採集しているパワーショベルやダンプカーがところどころで動いていた。大井川の上流は南アルプスの急峻な地形であり、いつも大量の砂利が流れ込む。1年で90万立方メートルという莫大な量だ。
砂利の比重は1.7トンぐらいだから、これは150万トン。つまり1日あたり4000トン、1時間あたりだと170トンになる。大きな10トントラックが3分ごとにいっぱいになる勘定だ。これが流れ込むため、支川の寸又川では9割方が埋まってしまったダムがいくつかある。今後も、ダムの容量が減ることが懸念されている。
■SL運行で知られる大井川鐵道ができた背景にも
江戸時代、ダムが開発される前には、この大量の砂利が川を流れていたのだから、すぐに川底に砂利がたまったことだろう。水も遮るものがなく、もろに本流を流れていたから、おそろしく氾濫しやすかったに違いない。
いまの大井川には多くのダムが並び、水は主に地中にある導水路を通るから、水の流れは視界から消えて、コンクリートと鉄だらけの風景になった。かつての大井川はさぞ雄大な大自然の景観だったと思われるが、これは今ではまったく想像するほかない。
だがこれだけの工事をしたからこそ、大井川の治水ができた。川を橋で渡ることができるようになり、氾濫を起こすこともめったになくなった。
川口発電所で発電を終えた水は、安定した農業用水、工業用水、生活用水として利用され、60万人余の人々の暮らしを支えるようになった。この一連の工事のために鉄道まで作った。これがいまでは大井川鐵道となり、SLが走り、観光客で賑わっている。
水の利用、というと生活用水を思い浮かべがちだが、大井川では生活用水は少なく、もっとも量が多いのは農業用水である。次いで多いのは工業用水で、製紙工場などで利用される。
古くから製紙業が栄えた場所といえば静岡県富士市や北海道苫小牧市も有名だが、共通点は水が豊富なことだ。火力発電に取って代わられる前までは、水力発電こそが日本の発電の主力だった。豊富な電気と工業用水が得られることが工場立地の重要な条件だった。
この付近のダムや水力発電所を一括して監視・制御しているのは中部電力の塩郷水力制御所であり、二十数名の職員が24時間交替勤務で働いている。
■大雨や台風の時には現場に行って備える
大雨が降ると、ダムに水を貯えたり、あるいは水門を開けて放流したりするなど、忙しくなる。遠隔操作ができるようにはなっているが、やはり現場に行って操作したり監視したりする場面も多い。そのたびに細い山道を辿って車で移動することになる。大雨や台風の時には、道が通れなくなることがあるので、そうなる前に行って待機するそうだ。
訪れたのはちょうど紅葉の季節だった。のんびり山を眺めている分にはとても楽しい気分になる。だがダム管理の職員はそうばかりも言っておられない。
ダムの取水口近くの格子状のスクリーンは落ち葉でいっぱいになっていた。これを取り除く装置は付いているけれども、それでも大量の落ち葉が押し掛けると詰まってしまうため、人力で取り除くこともあるという。自然相手の仕事は大変だ。
この大井川沿いに次々に水力発電所が建設されたのは昭和はじめから昭和37年にかけてのこと。それで大井川の水力発電の有望地点はほぼ開発され尽くしたので、新規の発電所は滅多に建たなくなった。水力発電所に勤めている方によると、「日々、ひたすら守りの仕事です」とのことだった。
ダムと水圧鉄管が並ぶ光景は人工的で、もともとの自然とは全く異なる。だが、それを建設する人、維持する人がいて、それが多くの人の暮らしを支えている。このような人々の労働の跡がしのばれる風景を、かつて民俗学者の宮本常一は「とうとい風景」と呼んだ。大井川を遡る旅は、まさにこの「とうとい風景」の旅だった。
井川ダムの堤体(堤防のこと)の内部は中空になっている。中に入ると巨大な空間が広がる。階段を見ると高さが窺える。筆者撮影
■流域全体でも出力は浜岡原発よりはるかに小さいが…
大井川にある発電所の最大出力を合計すると約60万キロワットになるが、発電量は雨量に左右されるので、常時発電するわけではなく、年平均では約25万キロワット程度の出力になるという。
広大な流域の景観を全く一変させるような大がかりな土木工事をして、流域の雨量をほぼ利用し尽くしても、発電の規模としてはこれがやっとだ。近くにある浜岡原子力発電所の3、4、5号機が限られた敷地で362万キロワットの出力を安定して叩き出すことができるのと比較すると、再生可能エネルギーで大量の電気を作ることが如何に大変なことかが分かる。
大井川の最上流の区間は、リニア中央新幹線が建設される予定となっている。だがそのトンネル工事によって大井川の水が他県に流出するという点を問題視して、静岡県の川勝平太知事が工事に待ったをかけている。JR東海は他県に水が流出しないように工事をするとしている。筆者は、国の有識者会議で報告されている通り、水利用に与える影響は大きな問題ではないと思うが、残念なことにまだ知事の承認を得られていない。
リニアについてこれ以上ここで詳しくは書かないけれども、筆者が思いを致すのは、このリニアは全長286キロメートル、総工費10.5兆円の大事業であり、これも多くの人の労働の賜物であり、また完成すれば多くの人々がその恩恵に預かるということだ。それが、この静岡県北部の僅か9キロメートルがボトルネックとなることで、2027年の開業が遅れそうになっている。
大井川の水利用のための開発は大事業であり、多くの人々が関わった。流域ではその利用を巡っての争いもあった。だが人々は何とか問題を解決して開発を進め、共に安全に、豊かになってきた。 大井川の「とうとい風景」を胸に刻んで、旅を終えた。