テレビ画面に映し出される中東での悲劇を見て「なぜ未然に防げなかったのか」という気がしてならない。世界に誇るイスラエルの諜報部門は優れたシギント(通信・電子情報分析)の能力を持ちながら、なぜハマスの動きを察知できなかったのか。同国のシンクタンク、国家安全保障研究所(INSS)のヨエル・ガザンスキー氏は、「我々はハマスに対する諜報活動に巨額の資金を割いてきたが、一瞬にしてその成果が消滅した」と米国メディアに対して語っている。
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前述の疑念を抱きつつ、先月末に英国を訪れた。海外の人々と議論すると、国内では得られない知見と視点に遭遇できる事がうれしい。今回の出張ではロンドンやケンブリッジに加えてブレッチリー・パークを訪れ、政治経済やAI活用技術の専門家達と意見交換をした。かくしてインテリジェンスの重要性や軍民両用技術であるAIの問題を再認識した出張となった。
今月1~2日、AIセーフティ・サミットが開催されたブレッチリー・パークは第2次世界大戦中、AIの父とも呼ばれるアラン・チューリング等が、ドイツと日本の暗号を解読した所としても有名である。
イーロン・マスク氏も参加したAIセーフティ・サミットでは、AIがもたらす危機とその防止策を案出する国際的枠組みについて議論された。
サミット直前、現地を訪れた筆者は、同行した英国の友人から『ブレッチリー・パークとDデイ』という著者のサイン入りの本をもらった。また戦時中の通信所の跡地にある建物では、短編映画を見た。
映画を見て驚く筆者の横で英国の友人はニヤニヤしている。1944年6月、ノルマンディー上陸作戦時、独軍の防御線(アトランティックヴァル)の状態や独軍各師団の位置、そしてヒトラーの敵に対する考えは、ほとんど“日本からの情報”によって理解できたと、映画が示しているのだ。
確かに同年9月、ジョージ・マーシャル米陸軍参謀総長は、「ヒトラーの考えに関する我々の主たる情報源は、大島浩駐独日本大使の東京への極秘電報である」と記している。大島浩大使の姿が、この短編映画の中に2度も登場してくるのには驚いた。このように連合国の暗号解読の成功はシギントの代表例だ。
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日本のメディアでも報じられたかもしれないが、先月7日の襲撃は、ハマス側の徹底した情報統制(シギント回避策)に加え、イスラエル軍の対ハマス防御策に対する過信とネタニヤフ首相の失策によって達成されたらしい。すなわちイスラエルが1年前にシギントの対象外とした携帯ラジオをハマスが通信手段とした事、またイスラエル軍のヘルツィ・ハレヴィ参謀総長が9月の軍事式典で、急迫するハマスの襲撃を匂わせたにもかかわらず、彼は逆に批判を受けた事などが起因している。そして何よりも事前の警告を無視した首相の責任は重い。
今回の戦闘でのAIによる情報撹乱は、ディープフェイクによる稚拙なものだった。だが、将来の危機(例えば我々が恐れる台湾危機)の際には、AIの活用を警戒すべきだと友人達と語り合った。そして今、インテリジェンスの分野でも日本のAI専門家が活躍する事を願っている。