メディア掲載  エネルギー・環境  2023.11.08

欧米の脱炭素政策は転換するか

日刊工業新聞(2023年11月1日)に掲載

エネルギー・環境

■コストの重圧、世界を覆う

 ウクライナでの戦争の前までは、先進諸国のエネルギー政策は脱炭素一色だった。だがエネルギー価格が高騰し、インフレが昂じ、生活危機ということが言われるようになる一方で、脱炭素のための政策が具体的に人々の生活に悪影響を与えるようになってきたことで、経済を考慮して脱炭素を見直すべきだという動きが出てきた。

■英首相の歴史的「延期」演説

 英国のリシ・スナク首相が英国の脱炭素政策(ネットゼロ)に誤りがあったので方針を転換すると9月に演説して反響を呼んでいる。日本国内の報道では、ガソリン自動車・ディーゼル車などの内燃機関自動車の販売禁止期限を2030年から35年に延期したことが専ら注目された。

 だがこの演説はもっと重要な内容を含んでいる。具体的な政策について述べただけではなく、首相がこれまでの英国政府の誤りを指摘し、今後の方針を明確に述べたからだ。

 最も重要なことは、「保守党にせよ労働党にせよ、歴代の英国政府はネットゼロのコスト説明について国民に正直でなかった」とはっきり断罪したことである。コストの議論や精査が欠如していた、とも言った。これらをすべて変え、今後は、難渋な言葉でごまかすのではなく、正直に説明するとした。

 特に議会は、炭素排出の総量(炭素予算、carbon budgetと呼ばれる)を承認する際には、それを達成するための計画を同時に精査すべきだとした。そして「禁止、規制、課税」をせず「強制ではなく同意が必要」という“新しいアプローチ”を採るとした。具体的には、内燃機関車禁止の期限の延期に加えて、ガスボイラー禁止の期限も延期する。住宅の断熱改修義務付けの計画も変更する。つまり期限が差し迫った規制をことごとく延期することになった。加えて、政府の気候変動委員会が提案していたゴミの分別細分化はしない、飛行機や食肉への税も実施しないとしている。

 ただし、全ての政策が撤回された訳ではない。洋上風力は推進し送電線は建設するとしている。ガスボイラーから電気式暖房への転換には手厚い補助金を出すという。内燃機関車の禁止なども期限が5年だけ延期されただけである。

 50年ネットゼロなど従来の英国の排出削減の公約も堅持するという。スナク首相は「ネットゼロを達成するためにこそ国民の同意が必要であり、それには国民が負担するコストに正直になり、強制を避けねばならない」としている。

 もっとも今後、本当にスナク首相の言うように国民へのコストを明らかにするプロセスが始まるならば、ネットゼロ目標を含めあらゆる政策の妥当性が吟味されるようになることは必定だろう。

 野党の労働党はこの方針転換に反対している。また与党保守党もこれまではネットゼロを推進してきたこともあり、ボリス・ジョンソン元首相など反発する声も多い。ここにきて保守党は本件において分裂状態になった。メディアも賛否両論で、多数を占めるリベラル系はスナク首相を批判しているが、保守系のメディアは支持している。ただ注目されることに、全体ではスナク首相の支持率が上昇した。

■エネ高騰、欧州産業界に危機感

 欧州大陸でもこれまでのような脱炭素の勢いは衰えつつある。ドイツは「エネルギーベンデ(転換)」というスローガンの下、最も急進的なエネルギー政策を取ってきた。脱炭素推進だけでなく、脱原発も同時に進めてきた。だが、これまで頼ってきた安価なロシアの天然ガスが入手できなくなり、エネルギーコストが高騰し、エネルギー集約産業は苦境に立ち、産業空洞化に拍車がかかっている。

 世界最大の化学メーカーである独BASFは100億ユーロ(約1兆5600億円)を投資して化学工場を建設しているが、その立地は中国だ。独フォルクスワーゲンは71億ドルを、独BMWは17億ドルを投じて電気自動車(EV)工場を北米で建設する。

 ドイツ連邦議会は9月、石油・ガス暖房システムの段階的廃止に関する法案を大揉めの末に可決したが、左派からは規制が弱いと批判された。一方で右派からはコストがかかり過ぎると責められている。

 経済・気候大臣と外務大臣という二つの重要ポストを占めている緑の党は一連のエネルギー政策の不評が祟り、かつては高かった支持率が激減し14%まで下がった。対照的に脱炭素政策に異議を唱える唯一の政党であるドイツのための選択肢(AFD)は支持率が20%と緑の党を大きく超えるまでになった。ドイツ主要政党はAFDは極右であるとして批判し、その弱体化に躍起である。

 イタリアの右派メローニ政権は、産業が対応できないとして、欧州連合(EU)の一連の脱炭素の取り組みに反発している。建築物の省エネ、ガソリン・ディーゼル自動車を廃止する計画、産業部門の排出量削減などに、ことごとく疑問をていしてきた。

 オランダの農民市民運動党(BBB)は、生態系保全と脱炭素を目的とする農業部門の窒素排出規制に反対する党として19年に設立された。急速に支持を集め3月の地方選挙では第1党になった。これで連立政権は打撃を受け、その後7月には崩壊した。11月の連邦議会選挙でもBBBが躍進すれば、オランダの環境政策は大幅に見直されるだろう。ポーランド政府は2035年のガソリン・ディーゼル車の禁止等、複数の規制についてEUを提訴し、石炭依存を削減する計画は延期した。ポーランドも10月に選挙を控えている。

■米、共和党勝利で激変

 米国共和党でトランプに次いで大統領候補ナンバーツーに付けているロン・デサンティスフロリダ州知事がエネルギー政策の公約を9月に公表した。

 デサンティス知事はバイデン政権の気候変動一本槍のエネルギー政策を「恐怖をあおる、急進左派のイデオロギーだ」と批判する。そしてパリ協定からの脱退やEV義務化を含め、あらゆる気候変動対策を見直すとする。一方で「常識的なエネルギー政策」を実施すべきだとして、米国は石油・天然ガスを増産し、安定・安価で豊富なエネルギー供給すなわちエネルギー・ドミナンス(優勢)を確立することで外交・安全保障上の優位を確保し、また1ガロン当たり2ドルなど手頃な値段でのガソリン供給で国民をインフレから守るべきだとしている。

 日本の政治家がこのようなことを言うことはまずないだろうが、米共和党の政治家としては、実はそれほど珍しくない。トランプ元大統領を筆頭に、マイク・ポンペオ元国務長官、マルコ・ルビオ上院議員、テッド・クルーズ上院議員なども、ほぼ同じ事を言ってきた。このデサンティス知事の公約は、共和党重鎮らの総意に近いと見た方が良い。

 さて、これらの動きは今後どうなるだろうか。米国は24年末の大統領選挙で共和党が政権を取れば激変し、バイデン政権のグリーンディールはことごとく撤回されることになるだろう。英国は保守党の分裂状態がこれからどう推移してゆくか予断を許さない。だが24年の総選挙に向け今のところ野党労働党が大差でリードしており、労働党はネットゼロは堅持するとしている。すると英国の政策はあまり変わらないかもしれない。

 欧州大陸ではすでに右派ないし右派中道政権が次々に誕生しており、さらに広がりを見せるかもしれない。そうすると、欧州でも脱炭素の見直しは進むことになるだろう。

 日本政府は今も脱炭素一色である。だが気が付けば旗を振っていた欧米諸国が全く違うことになっているかもしれない。リスク管理としては、動向を注視する必要があるだろう。これは企業についても言えることだ。

 そして日本として脱炭素一色のままでよいのか、エネルギー政策のあり方も再考すべきである。まずはスナク首相に学んではどうか。日本政府は脱炭素で「グリーン成長する」という、経済学の初歩を無視した主張を展開し、コストがかからないフリをして国民を欺いてきた。日本も過去の過ちを認め、コストについて精査し国民に正直に語るべきだろう。