メディア掲載 エネルギー・環境 2023.10.05
このような「ナラティブ・ルール」は壊すべきだ
NPO法人 国際環境経済研究所(IEEI)(2023年10月5日)に掲載
監訳 キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 杉山大志 訳 木村史子
本稿はロジャー・ピールキー・ジュニア 「The Narrative Rules- Let’s break them」を許可を得て邦訳したものである。
あなたがある有名大学の広報部に所属しているとする。そして、あなたの大学の研究者何人かが、気候変動とそれへの適応および人口の変化を検討し、米国における将来の死亡者数を予測する新しい研究を発表した、とする。
以下の3つの文は、いずれも、その研究から得られた結論である。世界に向けたプレスリリースのトップラインで強調するとしたらどれを選択するだろうか?
テキサスA&Mが選んだ答えは「1」だ:
先日ロンドンで、私は災害リスクに関する国際会議に参加した。私が参加した分科会では、気候に関する報道の見出しと現実の気候の違いについて議論した。そのギャップはしばしば非常に大きいというのが、私たち全員の一致した意見だった。他の分科会の中には、科学のメディアによる扱われ方に怒りを示す者もいた。
別のセッションでは、ある講演者が、気候変動は現実に起きており、保険業界が理解し備えるべき重要な問題であるが、気候変動の影響は未だ実際に損害保険金に表れていない、と説得力を持って主張した(会議はチャタムハウスルールに基づいて開催されたため、発言者を特定することはできない)。本コラムTHBの読者はもちろんこの主張をよくご存知だろう。
そこで私が話した多くの人たちの間では、気候変動に焦点を絞るあまり、大災害による損害に関連する重要な問題、たとえば実際に大災害が発生する地域レベルでのエクスポージャーや脆弱性の変化が軽視されている、という意見でおおむね一致していた。ただこのような見解を表明するだけで、気候変動を最小化しているとみなされるのではないか、あるいは気候変動否定論者として非難されるのではないかという懸念を、ひそひそと私に話してくれた人もいた。私たちはギリギリのところを進んでいかなければならない、とある人は私に言った。
奇しくも昨日、ブレークスルー研究所(Breakthrough Institute)のパトリック・ブラウンがウェブ上でThe Free Pressに発表した論評は、彼と同僚たちが気候変動と火災に関する最近のNature誌の論文を、気候変動を中心に据えた物語(ナラティブ)としてどのように作り上げたかを記録している。
ブラウンは決して言葉を濁さず、こう言った:
単刀直入に言えば、気候科学は、世界の複雑さを理解することよりも、気候変動の危険性を緊急に警告する、一種のカサンドラ:凶事の予言者としての役割を果たすことに重きを置くようになっている。このいった気持ちになるのは分からなくもないかもしれないが、そうすることによって、気候科学研究の多くが歪められ、一般大衆は誤った情報を与えられ、そして最も懸念されることに、現実的な解決の実現がより困難になっている。
ブラウンは、主要な学術誌に掲載される機会を増やすために、気候変動に関連する研究をどのように組み立てるべきか、彼がこれまで見てきた「物語作りのルール」をこう説明した:
その仕組みはこうだ。
利口な気候研究者はまず、自分の研究が主流のシナリオを支持するものであるべきだと心得ている。
そこで、7人の研究者とともに執筆した最近のNature誌の論文では、気候変動が極端な山火事の発生に及ぼす影響に焦点を絞った。間違いなく、気候変動の影響は現実に存在する。しかし、森林管理の不備や、偶発的あるいは意図的に山火事を起こす人の増加など、それと同じかそれ以上に重要な要因がある(驚くべきことに、アメリカでは山火事の80%以上が人為的なものである)。
私の論文では、このような明らかに関連性のある他の要因の影響については調べていない。このような要因を含めることで、より現実的で有益な分析ができることを私は分かっていたのだろうか?もちろん分かっていた。しかし、同時に、気候変動がもたらす悪影響に焦点をあてた綺麗なストーリーから外れてしまい、Nature誌の編集者や査読者に受け入れられる可能性が低くなることも分かっていた。
ブラウンはNature誌だけでなく、他の有名なすべての学術誌を非難しているのである。ブラウンはこう続ける:
これは、気候変動に関する論文を成功させるための第二の暗黙のルールにつながる。そのルールとは、執筆者は、気候変動の影響に対処できる実際的な対策について、無視するか、少なくとも軽視すべきである、というものだ。猛暑による死者が減少し、農作物の収穫量が増加しているのであれば、気候変動による何らかの大きな悪影響があるとしてもそれを克服できると見るのが合理的だ。ならば、どのようにして成功を収めたのかを研究し、それをさらに促進できるようにすべきではないだろうか?もちろんそうすべきだ。しかし、そのような解決策を研究するよりも、悪影響による問題に焦点を当てるほうが、一般の人々やマスコミの感情に訴えることになる。その上、主流派の気候科学者の多くは、気候変動に適応するために技術を使うなどという考えは間違っていると考えている。そのため、利口な研究者は現実的な解決策から距離を置くことを心得ている。
テキサスA&M大学からのプレスリリースが、「気候変動の程度にかかわらず、気温上昇への適応によって、死亡者数を減少することができる」と結論づけた研究に対してどのような解釈がなされたかを、この投稿の冒頭でご覧いただきたい。これは、富める国にとっても貧しい国にとっても信頼できる知見であるにもかかわらず、たいてい無視されたり軽視されたりしている。
ブラウンは3つ目の “トリック “を挙げている:
3つ目のテクニックは、人目を引く数字を生み出す指標に焦点を絞ることだ。例えば、私たちの論文では、「気候変動によって焼失した面積の増加」や「山火事の強度の増加」といった単純で直感的な指標に焦点を当てることも可能だった。だがその代わりに「極端な事象のリスクの変化」(私たちの場合は、1日に10,000エーカー以上の面積を焼失する山火事のリスクの増加)を見るという常套的な方法に従った。
これは、実用的な情報に変換するのがより困難であり、はるかに直感的でない指標である。では、なぜこのような複雑かつ有用性の低い指標が常套的なのだろうか?それは、一般的に言って、他の計算方法に比べて数字の増倍率が大きくなるからだ。つまり、何倍、という大きな数字を見せることによって、あなたの研究が重要であるとアピールし、『ネイチャー』や『サイエンス』誌といった一流紙に掲載され、広くメディアに取り上げられるようにするのだ。
パトリックの書いたエッセイ全文を読んでみてほしい。それは勇敢な行為であり、と同時に悩ましい問題であり、さらに付け加えれば、私の職業上の経験と完全に一致している。確かに、私は多くの論文を発表し、しばしば引用されているが、それは私が「物語のルール」を知っているからでもあると言えるのだ。
例えば、最近私が主要ジャーナルに投稿した論文は、非常に著名な共同研究者との共著で、世界の災害は2000年以降増加していないことを明確に示した。しかし、その研究結果はすでに “広く知られている “という編集者の主張に基づいて、その主要ジャーナルから却下された。うむ、まあいいか。幸いなことに、他の学者たちがこの証拠をあまりメジャーではない学術誌に投稿したところ、受理され、発表した(訳注:ということは、メジャーなジャーナルが掲載を断った本当の理由は、「物語のルール」に沿っていなかったからだ、と仄めかしている)。
メジャー誌を完全に諦めたわけではないが、「物語のルール」があることは知っている。
2014年、ダン・サレヴィッツは、気候変動に関する物語が一人歩きし、私たちが複雑な問題をどのように考えるかについて、この物語が何を意味するかについて以下のように予見していた:
気候変動に関する終末論的な恐怖がまったくありえないというわけではないのだ。ただ、狂信的で終末論的な気候変動論は、私たちにあまりにも不完全な世界像を与えているのだ。より悪いのは、宗教や政治的正統性と同じように、それを否定することが許されないことだ。それどころか、うまくいかないことはすべて、すべての問題の原因は気候変動であり、世界が崩壊しないようにするためには化石燃料の燃焼を止めるしかないという確信を強めてしまうだけである。そして、気候変動終末論と言う宗教は、自然災害や感染症、貧困や内戦のような私たちの幸福に対する複雑な挑戦に対処するために、私たちが許容しようとする視点の幅や、検討しようとする選択肢の幅を、根本的に狭めてしまうのだから、最悪である。
サレヴィッツの結論はこうだ:
実際、気候変動があらゆる問題の原因とされる昨今、科学者、環境保護主義者、そしてメディアの目を逃れているように見えるある現象とは、おそらく何よりも、気候変動が私たちを愚かにしているということだ。
もしこの通りの状況であったとしても、私には、結果を伴う意思決定をしている実社会の人々との交流を通じて、報告すべき良いニュースがある。多くの人々は、「物語」がすべてを支配することはできないことを理解している。誤った決断を下さないためにも、エビデンス(証拠)、データ、科学は重要であり続けなければならないことを理解している。単純化された物語を強要しようとする科学ジャーナル、大学の報道担当者、キャンペーンを行うジャーナリストは、科学が現実の世界に入り込むことを難しくし、すべての人に害を及ぼしている。
問題の所在をまず認識しよう。今こそ「物語のルール」を壊す時だ。