尹錫悦政権が最重要課題として取り組んできた米韓同盟強化、特に拡大抑止力の具体化は「ワシントン宣言」という形で結実した。他方、メディア報道や専門家の間では政権2年目の重要外交課題は対中関係であるとの認識で一致している。
2023年5月31日に北朝鮮は軍事偵察衛星「万里鏡(マルリギョン)1型」を搭載した「千里馬(チョルリマ)1型」ロケットを発射した。しかし、北朝鮮当局はロケットが2段目エンジンの不調により推力を失ったことで黄海上に墜落したと発表した。発射後すぐに韓国軍は同ロケットが180個あまりの破片になって落下したことをレーダーで確認し、海上では残骸の捜索作業を始め、その1時間半後にはロケットの破片の一部を回収した。こうした迅速な対応の裏には、事前に韓国軍が入念に準備していたことが伺える。
その後6月15日には、同じく韓国海軍によってハングルで「チョンマ(天馬)」と書かれた2段目部分とされるロケットの一部が引き上げられた。さらに、同月下旬には新たに破片が韓国側に回収されたとされ、今回の発射で最も重要視されている衛星部分の「万里鏡1型」の残骸が発見されたのではないかとの憶測を呼びつつも、韓国当局は追加で何が引き上げられたのか曖味にしていた。(1)
実際には、衛星部分も引き上げられ、米韓の専門家によって念入りに調べられたようだ。その結果、7月5日に韓国軍合同参謀本部は衛星部分について「偵察衛星としての軍事的な効用性が全くない」との分析結果を明らかにした。その一方で、引き上げられた衛星部分を非公開とし、その分析結果の根拠も示さなかったのである。
今回の一連の破片回収作業をめぐる報道の中で同時に明らかになったことは中国海軍の動向である。韓国海軍の発表によれば、破片回収作業中に韓国海軍艦艇の近辺で複数の中国海軍艦艇も捜索中だった。まさに北朝鮮製ロケットの残骸を巡って韓国と中国との間で獲得競争が繰り広げられていた模様である。
そもそも、今回に限らず黄海上における中韓両国海軍の緊張関係は以前から常態化している。とりわけ近年は、黄海上における中国海軍のプレゼンスが西から東へ韓国側海域に拡大することで、緊張の度合が増しているようである。いまだに黄海における韓国と中国の排他的経済水域(EEZ)は画定しておらず海上の境界線が画定していない。2001年6月に中韓漁業協定によって暫定的に設定された共同管理海域が存在するだけの状態が続いている。
2022年10月の中央日報記事(2)によれば、中国海軍による黄海上における活動が活発化している。それを象徴する動きとして同年3月には、韓国西部の対岸にある中国・青島の北海艦隊所属の空母「遼寧」が、初めて韓国領海まで70海里(約130㎞)の地点に接近したとされる。それ以前の同艦の展開範囲は韓国領海まで100海里(約185㎞)で止まっていた。同艦だけでなく他の艦艇の作戦領域も徐々に広がる実態に対して韓国側の懸念は大きくなるばかりだ。
これに関連して、2016年ごろから中国空軍による韓国の防空識別圏(KADIZ)への侵入が頻発するようになり、年間を通じて中国軍機が飛来することが常態化している。特に、月末になると日韓の境界線である対馬海峡を中国の偵察機が飛行し、日韓の防空識別圏に接近、あるいは侵入することを繰り返してきた。中国軍機の航跡について、わが国の統合幕僚監部が発表する資料では、日本の防空識別圏(JADIZ)に接近した部分のみが赤線で表記され、当然ながら韓国の防空識別圏に関する部分は表記されない。しかし、実際には対馬海峡周辺および日本海周辺だけでなく、韓国東部・西部どちらにおいても中国軍機が接近する事案が一定数存在することは、この地域の安全保障を考える際に留意すべき点である。
こうした近年の中国軍による韓国周辺の海と空からの圧迫について、文在寅前政権は保秘を理由に積極的に公表しなかった。ところが、国会に提出された国防部資料と合同参謀本部の内部資料との間に差異が見られたことで、国防部発表における中国軍機によるKADIZ侵入件数が意図的に減らされていたのではないかとの疑義が提起された(3)。こうした過去の経緯は、尹政権が「前政権の対中姿勢が弱腰だった」と批判する根拠となっている。
尹政権1年目は最重要政策である米韓同盟強化が「ワシントン宣言」という形で結実し、米国が提供する拡大抑止力を最大限具体化させることに成功した。任期2年目は対米一辺倒ではなく、依然として経済面での関係が深い中国とも対立だけでなく戦略的な関係を持続させることが求められている。しかしながら、今年4月に尹大統領が台湾問題に言及したことに対して中国が反発すると、韓国側が駐韓中国大使を呼び出して抗議するなど、両国政府が非難の応酬を繰り広げる事態に発展した。
過去を振り返ってみると、進歩系の文在寅前政権だけでなく、保守系の李明博・朴桂恵政権であっても、日韓・日米韓の安保協力を進展させる際には、中国との軍事交流も促進させようとする動きがたびたびみられた。例えば、日本とのGSOMIA (軍事情報保護協定)締結を推進した際に、当時の韓国政府は中国に対してもGSOMIA締結を提案するなどの配慮がみられたが、尹政権では日韓・日米韓の安保協力関係強化に向け一直線で全くブレがない。こうした大統領の姿勢は若い世代を中心とする対中感情の悪化を後ろ盾としていると考えられるが、韓国国民の中で日韓・日米韓関係への極端な傾斜を嫌って、対中感情に揺り戻しが出てくる可能性も否定できない。
李明博・朴桂恵両大統領の時代に、日韓安保協力が強化の方向へ進み出すと、なぜか内政上の困難にぶつかり、日韓関係が急速に冷却化した悪しき前例がある。現在は福島第1原発の処理水放出を巡って、日韓・日米韓の安保連携強化を嫌う野党「共に民主党」の反発は強まるばかりだ。今後尹政権が内政と外交をどう舵取りしていくのかが注目される。
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