「気候危機」という言葉がよく報道されるようになった。「産業革命前からの地球の気温上昇が1.5℃になると破局的な状況になるので、回避しなければならない」ということもよく言われる。ところで、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によれば、今すでに気温上昇は1.1℃だとされているから、あと0.4℃で1.5℃に到達する。もしこれが破局を意味すると言うなら、すでにマクロな社会統計に、その気候危機の兆候は表れているのだろうか。データで検証しよう。データはいずれも、国際機関などで標準的に使用されている情報源によるものだ。
地球温暖化によって、コメが取れなくなる、といった報道がある。それでは、世界の食料生産は減少に向かっているのだろうか。データで確認すると、減少するどころか、世界の食料生産は増え続けていることが分かる。
図1は、最も重要な四つの穀物であるトウモロコシ、コメ、小麦、大豆について、世界全体の収穫量の推移を示したものだ。過去50年以上にわたって、世界の食料生産は増え続けてきた。これは技術進歩のおかげだ。具体的には、化学肥料や農薬の発明と普及、トラクターなどの農業機械の利用、品種改良による作物の収穫量増と病害虫への耐性、灌漑(かんがい)による安定した水の供給、ダムや堤防などの防災インフラの建設による水害の減少、といったものである。
一貫して収穫量は増加してきた訳だが、これは、過去に地球温暖化が進行する中で起きたことだ。いまでも食料生産の増加傾向に陰りは全くない。この連載で前回説明したように、統計を見ると、この間、台風や大雨などの自然災害の「激甚化」は起きていない。今回のデータが示すのは、「仮に」地球温暖化によって自然災害の強度に何らかの影響があったとしても、それは圧倒的な技術進歩のトレンドに覆い隠されてしまい、せいぜい誤差のうちに過ぎないということだ。
それでは、人類は気温上昇にどのように適応してきたのだろうか。これは、特段意識することなしに、自然体で適応してきたのである。元々、農業というのは、あらゆる気候に挑戦してきた。世界のごく一部でしか生産されていなかった作物が品種改良されて、世界中で生産されるようになった。その際には、原産地とはまったく異なる気候の下で育つように工夫された。
例えば、コメは熱帯が原産であり、それゆえ寒さには弱かった。北海道・東北の稲作の歴史は冷害との闘いだった。しかし、たゆまぬ品種改良によって、いまや東北は日本のコメどころとなった。かつてはまずいと言われた北海道のコメも品種改良されて、今ではブランド米として日本中で愛好されるようになった。過去に起きた気温上昇も、どちらかと言えば好影響だったであろう。
東京など都市化が進んだ地域では、都市熱による気温上昇は地球温暖化を大きく上回ってきた。都市化が起きると、気温が全般に上がるほか、冬季の最低気温は大幅に上昇し、また全体に乾燥化も進む。そのため、作物を育てるタイミングは年々変化してきた。だが農業ができなくなることは全くなかった。農家は毎年、市場で売れる作物を探し、新しい品種を作付ける。この過程で都市熱にも自然体で適応してきた。いまでも都市近郊の農家は毎日新鮮な作物を消費者に届けている。
実は人類は、二酸化炭素(CO2)の増加によっても大きな恩恵を受けてきたことは間違いない。CO2は光合成を促進するからだ。トマトのハウス栽培ではCO2濃度を1000ppmないし2000ppmまで上げて光合成を促すことがよく行われる。逆に、ハウス栽培ではCO2濃度を意図的に管理しないと、CO2が欠乏して作物の生育が悪くなることもある。産業革命前のCO2濃度は280ppmであったが、これはいま1.5倍の420ppmになっている。これによって作物の収獲量は大きく増えたはずだ。
品種改良にあたる育種家は、気温の上昇に対しても、CO2濃度の上昇に対しても、とくに意識しなくても適応してきた。というのは、品種改良の過程ではさまざまな品種を育て、その中から性質の優れたものを選抜するのだが、その過程では絶えずその時点での気温とCO2濃度が前提になっているからだ。つまり今年なされる品種改良は今年の気温とCO2濃度を前提にしている。仮にこの作物を150年前の時点の気候で育てようとすると、おそらく収穫量が下がるなど、問題が生じることになるだろう。
地球温暖化の好影響の側面は、ほとんどの場合、環境影響の専門家によって無視ないし軽視されている。環境影響の専門家ないしはそのスポンサーは、環境への「悪影響」を評価することにしか興味がないからだ。しかしこれは科学的な態度とはいえない。
次に、気象災害による死亡数はどうか。これは減り続けている。これは人々が豊かになり、防災の能力が上がったためである。図2は世界全体における、極度の高温、干ばつ、洪水、地滑り、山火事、強風、霧など、あらゆる「極端な気象」による死者数および死亡率の推移である。
1920年代と比較すると、2010年代には死亡率は実に98.9%も減少している。死亡数で見ても96.1%も減少している。これはこの間に人口が3倍以上になったにも関わらず起きた。このうち、台風や洪水などの気象災害による死亡も減り続けている。これは建築物が頑丈になり、堤防・ダムなどが建設されて、防災に対する対応力が向上しためである。地球温暖化は起きてきたが、この死亡減少傾向に翳りは出ていない。
現状、「地球温暖化によって自然災害が頻発化・激甚化して多くの人々が死亡する」という兆候は全く見られない。なお図2において、1920年以前の死亡数・死亡率が極端に少ないのは、当時はデータが十分に集計されなかったためである。このため、図2は主にそれ以降を見て頂きたい。また、20年頃のデータも過小評価である可能性が高く、つまりは死亡率・死亡数の減少は、実際にはこの図が示すよりももっと急激だったと推察される。
最後に、暑さ・寒さなどによる死亡率のデータを見てみよう。図3は世界全体での「気候に関連する死亡率」のデータである。過去30年以上にわたって死亡率は激減してきた。特に目を引くのは細菌性赤痢、腸管出血性大腸菌(O157)、ノロウイルスなど腸管感染症の減少であった。
腸管感染症による死亡とは、主に、夏、暑いときに子どもがおなかを壊して亡くなるというものだ。日本でも、江戸時代まではこれは主な死因だった。いまは冬に亡くなる人のほうが多いが、昔は夏の方が死亡者が多かった。世界的にこの死亡率が激減してきたのは、衛生状態、栄養状態が改善し、冷蔵・冷凍技術などが進歩し、医療も普及してきたからだ。この間、やはり地球温暖化は起きてはきたが、この死亡減少の傾向は続いている。
これまでのところ、技術進歩によって食料は増え、人類は自然災害や暑さ寒さに打ち勝ってきた。「気候危機」で死亡率が上がるといった状況にはなっていない。過去のデータに基づくと将来は明るい。今後も、世界的な技術進歩のトレンドが止まる理由はなく、日本の製造業も大いに人類のために貢献できるだろう。