今年の環境白書(令和5年版環境白書・循環型社会白書・生物多様性白書)が6月9日に公表された。
日本政府は「脱炭素」を強力に推進している。環境白書はその根拠として「気候変動の危機」を訴えているが、驚くべきことに、気象観測の統計データは示されていない。
データを見せれば見せるほど、危機など起きていないことがバレてしまうので、そのような不都合なデータを見せたくないのであろう。これは単なる勘繰りではなく、そう疑う理由が十分にあることを説明しよう。
環境白書では一番の目玉は気候変動問題になっている。
そこで該当部分を読んでみたところ、「脱炭素の取り組み」については膨大な文字数が割かれている一方で、気候変動の現状についての記述はわずかしかない。そして、その内容がまたあまりにもお粗末だ。
白書では、「気候変動の危機的な状況について」論じるとして、以下のような図を掲載している。
出所:環境白書令和5年版
だがこのような図をいくら作ったところで、気候変動が進行しているという証拠にはならない。気候変動があってもなくても、災害は世界中で毎年起きるからだ。
実際のところ、これと全く同じ図は50年前に作ることもできたはずだ。そのときも、たくさんの死亡者が出ただろう。
もしも「気候変動の危機的な状況」について説明するならば、このようなエピソードを並べ立てるだけではダメである。観測の統計データを見なければならない。これは科学の常識だ。だが環境白書にはそのようなデータが全くない!
例えば次のようなグラフはインターネットで検索すると簡単に見つかるが、なぜ白書に掲載しないのか。
出所:防災白書平成30年度版
このグラフを見ると、台風の激甚化などは起きていないことがはっきり分かる。もしも激甚化しているなら、右肩上がりのグラフになるはずだが、そうなっておらず、横ばいだからだ(なお図中で「強い」以上の発生数とあるのは、中心付近の最大風速が毎秒33メートル以上に発達した台風の発生数である)。
実は気象観測の統計データをみても、「気候変動の危機的な状況」などはほとんどみつからない。
理由はさまざまある。データにはっきりした傾向がみられない、データの蓄積期間が短すぎて傾向については何とも言えない、観測・統計の誤差や自然の変動が卓越していて気候変動の影響とは言い切れない、といったことだ。
環境白書が「気候変動の危機的な状況」と言うのであれば、はっきりした傾向を示すデータがないとおかしいではないか。だが実際のところ、白書にはそのようなデータは皆無なのだ。
環境省の役人になった気持ちで考えると、「脱炭素」を進めるにあたって不都合なデータは無視するのであろうか。あるいは、「気候変動の危機的な状況」を伝えるにあたって「誤解を招く」からそのようなデータは掲載しない、というのであろうか。
実際のところ、環境省の方々やその御用学者は本気でそう思っている人が多いことを、筆者は経験で知っている。だがそれは国民を愚弄する傲慢な態度ではないのか。
実は環境白書では昨年まで、毎年次のようなグラフを掲載していた。
出所:環境白書令和4年版
これは右肩上がりになっているので、「気候の危機的な状況」を演出するのに一役買っていた、というのが掲載されていた理由であろう。
ところがこのグラフが示しているのは、世界の災害(主にハリケーンや台風)による被害金額のグラフなのであって、気象のデータではない。
ちょっと考えてみれば、この50年の間には世界経済はかなり成長した。災害による被害金額が膨らんだのは何の不思議もない。
したがってこのグラフも「気候の危機的な状況」を示すものとは言えない。あえて言うなら世界経済の成長を示すものであろう。
この金額のグラフすら、令和5年版の環境白書からは消えてしまった。(筆者がさんざん批判してきたことが理由なのかどうかは知らないが)。
ちなみにハリケーンや台風などの「極端な気象」による死亡数にしても、世界全体で見ると激減している(下図)。
注:データは国際災害データベースEM-DATによる
これは堤防やダムが建設され、予報や警報がより正確に出されるようになったからだ(なおこの図で1920年以前の死亡数が少ないのは、そのころはまだ統計が不備だったからである。1920年頃の死亡数はもっと多かった可能性がある)。
すると、本稿の最初の方でお見せした環境白書にある世界災害マップのようなものを作ると、昔のほうが死者数は多かったのかもしれない。
環境省は、国民に正直にデータを共有するところからやり直すべきだ。