監訳/キヤノングローバル戦略研究所研究主幹 杉山大志 訳/木村史子
本稿はロジャー・ピールキー・ジュニア
Has the IPCC Outlived its Usefulness? The empty exhortation and missing science of the IPCC Synthesis Reportを許可を得て邦訳したものである。
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、重要な機関である。私はしばしば言ってきた、「もし存在しないのであれば、発明しなければならないだろう」と。IPCCは、科学的な評価を行うためのモデルとしてよく言及される。従って、私たちはIPCCの活動を評価するために最高の基準を持つべきなのである。それは、気候変動が重要な上に、効果的な緩和・適応政策が不可欠であることも確かなので、なおのことである。
以下、「統合報告書」と呼ばれる現在のIPCCの定期的報告の集大成となる報告書について、簡単にいくつかの批評を紹介したいと思う。この新しい報告書は、過去9年間に発行された6つのIPCC報告書を包含している。
話を進める前に、IPCCは単一の組織やグループではないことを理解することが重要である。例えば、異常気象に関するWG1の成果は特に優れたものだった。が、一方でIPCCには目立った弱点もある。統合報告書は少人数のグループごとに書かれている。良くも悪くも、この小さなグループの仕事は、IPCC全体ならびに今回の報告書に至る長年の取り組みを反映している。
もし私がこの統合報告書に関与していないIPCCの参加者であったなら、かなり動揺していただろう。私の考えでは、IPCCは政策立案を支援するために科学文献を評価するという役割から大きく外れてしまっている。IPCCはますます明確に政治的擁護の姿勢をとるようになり、その結果、関連する科学を無視し、誤った表現さえしている。IPCCは完全に見直す必要がある。
以下は、統合報告書に関するさらに詳しい見解である。
6つの報告書、数十の草案、数百人の著者、数千の引用、数万ページにわたる原稿、ほぼ10年にわたる努力 ―― そしてこれらすべてを経て、「気候変動に関する政府間パネル」の下で行われた過去9年間の研究の最重要結論がここに示された:
早急な気候変動対策は、すべての人が生きることの出来る未来を確保できる。
これだけである。気候運動にありがちな一般的で空虚な政治的警鐘にすぎず、まった科学ではない。
そもそも生きることのできる未来とは何なのか?
誰がそんなことを知っているのか? 科学用語ではないし、IPCCが定義しているわけでもない。これはIPCC AR6第2作業部会報告書に登場し、IPCC1.5度に関する特別報告書にも記載されている。この言葉は、〝気候変動に対してレジリエントな開発〟を強調する学術文献の一部に由来しているのだ。
新しい報告書は、極端なシナリオがますますあり得ないことを示す研究を軽視し、再びRCP8.5とSSP5-8.5(温室効果ガスが極端に増える排出シナリオ)を強調する研究を中心にしている。この不当な強調について言い訳するために、報告書の奥深くに目立たないように埋もれた脚注で次のように記述している:
非常に高い排出量のシナリオは可能性が低くなったが、それを排除することはできない。
これはあまりにずる賢い。「来週の宇宙人の侵略も可能性は低いが、否定はできない」といっているようなものだ。
シナリオの妥当性に関する関連文献は、最新のIPCC評価報告書に掲載されているにもかかわらず、統合報告書では一切引用されていない。この「排除することはできない」作戦は、IPCCが極端なシナリオを報告書の中心に据えながら、妥当性についての議論を回避する手段となったわけである。
この報告書の報道は、IPCCの枠組みを受け、予想通り終末論的なものとなっている。以下はその一例である:
グレタの言う通り、IPCCは今週、日々のニュースサイクルを制することさえできなかった。おそらくそれは、ちょうど1年前に第2作業部会報告書を発表したときとまったく同じメッセージ(「生きることが出来る未来」)を再利用したからだろう。あるいは、IPCCが気候変動分野でよく見られるような、内容のない応援団に成り下がったからかもしれない:とにかく誰かがこの状況を何とかすべきだ、まったく!
報告書では、IPCCの第5次評価報告書にも盛り込まれた「気候変動に対してレジリエントな開発」という別のフレーズを強調しているが、これは母性とアップルパイに似ていて、誰もその考えに反対することはできないものである。
しかし、政策の具体的な内容となると、IPCCはかなり薄っぺらい。報告書に付随するプレスリリースで、IPCCは〝ウォーキング、サイクリング、公共交通機関〟を強調している。うーん、なるほど、確かに。しかし、報告書全体では、原子力エネルギーについては全く触れておらず、天然ガスについてもほんの少し触れているだけで、エネルギーアクセスについてはたった1つの言及しかない。そしてこの報告書には、まるで大学の教授会が作成したような表現が多く含まれている:
公平性、気候の正義、社会正義、包摂を優先する行動は、より持続可能な結果と共同利益をもたらし、トレードオフを減らし、変革的変化を支援し、気候にレジリエントな開発を促進することになる。
確かに、それはすべて素晴らしいことだ。だが実際の政策オプションはどこにあるのか? そこには示されていない。
IPCCは、正規化法を採用した「損失と損害」に関する文献のうち、
経済損失の推移に温室効果ガスの帰属のシグナルがあると主張した1つの研究(黄色)を除き、
すべて無視していた。他の53の研究は、帰属を主張していない。
出典:ピールキー2020
おそらく、報告書による最も顕著な除外は、報告書全体を通して強調されている「損失と損害」の科学に関するものである。統合報告書だけでなく、IPCCは災害の経済的・人的コストに関するデータや証拠を無視しており、私は度々それを指摘してきた。
IPCCは、対策が必要な理由の中心である「損失と損害」を次のように大々的に取り上げている:
気候変動に起因する経済的影響は、人々の生活にますます影響を及ぼし、国境を越えて経済的かつ社会的影響をもたらしている。
では一体その「損失と損害」についてのデータはどうなっているのか。それは、IPCCがこの9年間で探求すべきであった重要な質問のように思えるのだ。
このようなデータは容易に入手可能であり、このテーマに関する膨大な査読付き文献があるにもかかわらず、IPCCはこの質問に答えていない。その代わりに、IPCCは一連の曖昧で不正確な、そして容易に誤解されるような記述に頼ってしまっているのだ。
過去9年間のIPCCの報告書に、下のグラフを掲載することは、それほど難しいことだったのだろうか?
気象や気候に起因する世界的な災害は増加していない。
被災者数、失われた命、GDPに占める損害の割合など、その影響はすべて減少している
(ここには示していないが、データについてはこの記事を参照のこと)。
今世紀に入ってから、気象・気候災害の発生件数は減少し、経済活動に占める経済損失は減少し、死者や異常気象の影響を受ける人はここ数十年で激減していることは、このサイトの読者なら周知のはずである。
2020年のIPCCの活動を支援するために、私は、気象異常による経済的損失における気候と開発の相対的役割を定量化した損失と損害に関する54の研究の文献レビューを発表した。IPCCは私のレビューを無視しただけでなく、文献レビューの中で54の論文のうち53を無視し、損失の温室効果ガス排出への帰属を主張する1つの論文だけを引用することを選択したのである。私が紹介したようなデータや研究についてIPCCは一切触れておらず、これには驚くばかりである。
IPCCの統合報告書はシナリオに関する最新の文献の大半を回避し、損失と損害については研究とその成果を弄んだ。これにより、IPCCは、気候に関する偽情報の発信源に近いものになり下がった。
今こそ、新しいアプローチが必要だ。