4月後半、3年3か月ぶりに北京と上海を訪問した。
以前の中国では短期間の間に古いビルが建て直されて多くの新しい高層ビルが完成し、街並みが見違えるほど大きく変化することが多かったことから、今回も街並みの変化を予想していた。
しかし、北京でも上海でも一部の地域を除き、市街地中心部の街並みには大きな変化は見られなかった。
今回の訪問で印象に残った変化は街の外観ではなく、建物の中にあった。それは、デジタル技術の進歩とサービス水準の向上である。
第1のデジタル技術の進歩については、北京の空港に到着するや否や気づかされた。
空港に設置されている指紋認証機器の上に右手の指4本を置くと、即座に指紋の確認が終わった。
筆者の指は指紋が薄く、日本でも米国でも通常は一度指を置くだけで確認が終わることはなく、何度か指を置き直してようやく確認作業が終わるのが常である。
それが今回は即座に確認完了のサインが出たので驚いた。これはセンサーの精度の高さによるものではないかと感じた。
もう一つ気づいたことは、オフィスビルの出入りの本人確認である。
筆者はビジターであるため、オフィスビルの受付で訪問者のカードを受け取り、それをエレベーター前にあるゲートのセンサーにかざして通過する。
以前はフリーパスだったビルでも、受付での登録が必要になっており、セキュリティーの厳格化を実感した。
以前の中国であれば、訪問者のカードをかざしてもうまく通過できなかったり、そもそもカードを受け取るまでに時間がかかったりすることが多かった印象である。
今回はそうした利便性の低さを感じることはなかった。
のみならず、そのビルに勤務している人々はカードではなく、顔認証用のセンサーに顔をかざすだけでゲートを通過する光景を多くのオフィスビルで見かけた。
東京ではあまり見たことがない光景だったため印象に強く残った。
こうしたデジタル技術の進歩を実感させる事例は中国現地に行ってみなければ体験できない。
筆者は短期間の出張滞在中に、空港、ホテル、オフィスビル、レストランなど限られた施設でビジターとして行動するだけであるため、この程度しか気づかなかった。
しかし、中国で在住、あるいは勤務してみると、さらに多くの進歩を実感するであろうことは想像に難くない。
デジタル技術の分野については、コロナ前からスマホ決済の普及、スマホによる個人認証や交通手段の利用、eコマースの発展、交通違反の自動取り締まりシステムなど、中国での先進技術の普及は日本の先を行っていた。
その発展が順調に続いているというのが今回の実感だった。
第2のサービス水準の向上については予想外の出来事の連続だった。
まずはスマホ関係の店舗におけるサービスである。
筆者は以前から中国国内だけで使うスマホをプリペイド方式で利用していたが、3年以上電源を入れていなかったため、登録していた電話番号が使えなくなっていた。
そこで、大手通信キャリア企業の店舗で新たな番号を取得して再びプリペイド方式で利用するための手続きを行った。
店舗での説明や手続きは日本国内の大手通信キャリアの店舗におけるサービス水準と遜色なく、親切かつ効率的だった。
以前の中国であれば、日本国内のサービスに比べて見劣りする点が多かったが、今回はそうした格差を感じなかった。
次にサービス水準の向上を感じたのは喫茶店だった。
北京で朝9時からの面談のため、その時間でも営業している喫茶店で待ち合わせた。
そこは大通りから細い路地に入ったところにある小さな喫茶店で、若い女性店員が2人でやっているごく普通のお店だった。
そこでカフェオレを頼んだところ、コーヒーと一緒に氷の入った水がテーブルの上に置かれた。
筆者は海外出張が多く、欧米諸国の喫茶店などでコーヒーを注文するが、コーヒーと一緒に水が出てくるのは日本だけのサービスであると認識していた。
それが北京の路地裏の喫茶店で当たり前のように出されたので驚いた。
その時、これはたまたまその店だけそのようなサービスをしているのかもしれないと思った。
しかし、その数日後、上海で時間調整のためにオフィスビルの中にある喫茶店に一人で入り、コーヒーを注文した時にもやはり氷の入った水が出てきた。
少なくとも北京、上海という大都市では喫茶店のサービスの水準が日本に追いついたことを実感した。
サービス水準の向上に関して最も驚かされたのは北京から上海に向かう国内線のCA(キャビンアテンダント)のサービスだった。
筆者は出張の頻度が高いため、国際線国内線ともビジネスクラスを利用している。
国内線のビジネスクラスに関しては、座席が大きくリクライニングができるため、仕事をするにも仮眠をとるにも便利である以外には、国際線のような丁寧なサービスはないのが欧米のスタンダードである。
以前は中国も同様だった。
しかし、今回はたまたま運が良かっただけかもしれないが、日本の国際線の優秀なCAに匹敵する素晴らしいサービスが北京~上海間で提供された。
その中身は、マニュアルに書かれた内容をきちんとこなすというものではなく、乗客の素振りを見ながら個々のニーズに合わせてタイムリーかつ的確に対応するものだった。
一つひとつにきめ細やかな配慮が伝わってくる心からのサービスだった。
これは日本の航空会社の国際線でしか経験したことがなかったので、中国の国内線でこのようなサービスに遭遇したのは予想外だった。
以上のように、この3年3か月の間にサービス水準が向上したことを実感するとともに、その原因を考えた。
今回筆者の印象に残るようなサービスを提供してくれたのはいずれも20代の若い世代の人たちだった。
つまり1990年代以降に生まれた「90后」(中国語の発音ではジオウリンホウ)と呼ばれる人たちである。
この世代の若者は生まれた時以来高度成長時代しか知らないため、一般的に生活苦を経験していない。
平均的な教育水準が高く、ネット情報を通じてグローバルスタンダードを理解し、自らもその考え方や生活水準を前提に生きている。
この10年ほどの間、日本の大学生と日本を訪問する中国の大学生の間には生活水準や世界の認識に関するギャップがほとんどなくなっているのはそのせいである。
その「90后」世代が中国のサービスを支える時代が到来したことが、サービス水準向上の大きな要因になっていると筆者は考える。
サービスを提供する側が顧客のニーズを十分理解できているために、自然にそのニーズに合わせたサービスを提供することができている。
喫茶店で水が出てくるようになったのも、日本に旅行に行った時に水が出されたのを見て、これはいいサービスだと実感して誰かが取り入れたのではないかと推察する。
中国は市場競争が激しいため、いいサービスはすぐに全国に広がる。
以上で紹介したような様々なサービス水準の向上はコロナ前にも中国国内のどこかで始まっていたのかもしれないが、少なくとも一般的な事例として普及していなかった。
それがこの3年強の間に中国社会、少なくとも北京、上海という中国の2大都市では、一般的なサービス水準の向上という形に現れるようになった。
このサービス水準の向上は、デジタル技術の進歩以上に筆者にとって印象的だった。
しかし、今回の出張で筆者が驚いたことはいいことだけではなかった。
筆者が地下鉄の駅の自動券売機で現金を用いて切符を買おうとしたところ、中国の身分証明書の番号を入力しないと切符が買えない仕組みになっていた。
筆者はパスポートしか持っていないため、その番号を入力することができない。そのため、現金を持っていても券売機では切符を購入することができなかった。
呆然としていると、たまたま駅員が近くを通ったので、切符はどこで買えるのかを聞いたところ、誰もいない真っ暗な窓口を指して、「あそこで買える。今自分が窓口の中に行く」との回答だった。
そこで無事に切符を買うことができたが、もし筆者が中国語を話すことができない外国人であれば、非常に苦労したはずだ。
また、以前はタクシーが街中でつかまったが、最近は中国版ウーバーである「滴滴出行」(ディディ)が普及したため、タクシーをほとんど見かけなくなった。
この「滴滴出行」の車に乗るには中国のスマホ決済を使う必要がある。
スマホ決済は中国国内の銀行口座と連動しているが、外国人旅行者・出張者は中国で銀行口座を開くことが難しいため、スマホ決済を使えない。
事前にクレジットカードと連動するスマホ決済サービスアプリを持っていなければ、どこかに行くために車を使おうと思っても使うことができない。
銀行口座に関しては、入国ビザの番号確認が口座利用と連動する仕組みが導入された結果、ビザの番号が変わるたびに登録手続きをやり直さないと預金が引き出せなくなったのも利便性を損なう変化だった。
いずれの措置も国内の治安維持のために人流や資金の流れを把握することが目的であると考えられるが、外国人旅行者・出張者にとっては利便性の低下を招いている。
以上の点について中国現地駐在の日本企業の方々に相談したところ、以下のようなコメントを得た。
「3年以上の間、外国からの訪問者がほとんどいない状況下、コロナ対策のために国家の管理体制が強化された。その結果、現在外国からの訪問者は自由な国内移動が困難となっている」
「当局は対外開放、外資企業の積極誘致を推進していることを考慮すれば、近い将来、外国人旅行者・出張者の利便性改善のために何らかの措置が取られるのではないかと思う」
その改善措置が具体化するまでは、外国からの訪問者が現地在住の人のサポートなく公共交通機関を利用して一人で街中を移動するのは難しい状態が続く。
確かに技術もサービスも目覚ましく向上したが、管理強化の副作用で外国からの訪問者にとっては国内移動や金融サービスが不便になったマイナス面もある。
以上が今回の3年3か月ぶりの中国出張の率直な感想である。