2月末から米国のワシントンDCほか3都市と欧州のパリ、ブリュッセルなどを訪問し、米中関係に対する見方を中心に国際政治・外交等の専門家の意見を聴取した。
前回の米欧出張は2022年9月、ナンシー・ペロシ米下院議長訪台直後だった。その時点での米中関係は厳しく、台湾有事のリスクを多くの専門家が心配していた。
その後、2022年11月に米中首脳会談が行われ、台湾をめぐる武力衝突回避のため、米中間に対話ルートを確保する方向が確認されたため、米中関係は一時的に悪化に歯止めがかかったかのように見えた。
しかし、アントニー・ブリンケン国務長官が中国訪問を準備している最中に気球問題が発生したため、訪中が延期された。
加えて、中国の対ロシア武器供与疑惑が浮上し、現在の米中関係は戦後最悪とも言える状況である。
米国はここにきて一段とイデオロギー重視の立場を強めて感情的に中国を批判する意見が目立っている。
その背景には中国に対する強い不信感がある。ある米国の中国専門家は現在のワシントンDCの状況について次のように筆者に語った。
「極端な表現で説明すれば、現在のワシントンDCの大多数の人々は、中国の行動は政治経済外交のすべてが脅威であり、米国にいる中国人はすべてスパイだと思っている」
そうした空気に支配されているワシントンDCでは冷静な議論も反中感情の圧力にかき消されてしまう。
例えば、中国の気球が米国上空に到達した問題について、米国の中国専門家は以下のように解説した。
「米国の報道を詳しく見れば、気球が飛行していた高度6万フィートでは空気が薄くて気球のプロペラエンジンでは機体をコントロールできない」
「そのうえ、米国上空の風の速度が時速160キロ以上の高速だったため、偵察カメラも画像をきちんと撮影できていない可能性が高いと説明されている」
「しかし、ワシントンDCではそうした客観的事実は無視され、中国が意図的に気球を米国上空に飛ばしてモンタナにある米軍基地を撮影したと信じて、反中感情を掻き立てている」
以上の解説のように中国問題に関しては、客観的な事実に基づく冷静な議論をすること自体が敵視されているのが今のワシントンDCの状況である。
米国の優秀な有識者でもこういう空気に飲まれてしまうということを実感した。
米国のジョー・バイデン政権は、ドナルド・トランプ政権が相互不信の深い亀裂を作ったEU諸国との関係を修復してきたこともあって、EU主要国でも米国の対中悲観論を共有する部分が徐々に増えてきているとの指摘がある。
しかし、そうした指摘をするEUの専門家ですら、EU主要国の中国に対する見方は現在もなお米国とは大きく異なっていると認識している。
EUのほぼすべての専門家が、ことさらにイデオロギー対立にフォーカスして極端な対中強硬論に傾いている米国とは一線を画していることを強調する。
EU主要国では、ごく一部の例外を除いて、中国に対して感情的な反感を抱く専門家は見当たらない。
むしろ引き続き、中国はグローバル課題における協力相手であることを重視している。
こうした欧州の対中観を示す事例がある。
訪日直前のドイツのオラフ・ショルツ首相が日本経済新聞との単独インタビューに応じた際の発言を報じた報道(3月16日付)である。
ショルツ首相は「中国は経済力のある重要な国であり、パートナーであり、競争相手であり、システム上のライバルでもある。デカップリングはしないし、協力も続ける」と語った。
これはドイツのみならず、筆者がパリとブリュッセルで面談したすべての専門家に共通した見方である。
もう一つ、最近エマニュエル・マクロン仏大統領やウルズラ・フォン・デア・ライエンEU委員長がスピーチなどの中で中国との関係に言及する際に「デリスキング」という言葉を用いている。
これもEU主要国の対中姿勢を象徴的に表現している。
米国の「デカップリング」が中国との関係断絶を目指しているのに対し、「デリスキング」は中国リスクを認識しているが、リスクを抑制しながら中国との関係を保持するという基本姿勢を示している。
このように米国とEUでは中国に対する基本姿勢が異なっているが、その背景には米欧間の相互不信も影響しているように感じられる。
米国サイドでは認識ギャップがあまり強く意識されていないため、米国の有識者はEUも米国と同じような見方を共有し、昨年以降、中国に対して厳しい態度をとるようになっているという見方が多い。
しかし、実際に欧州に来て国際政治の専門家や外交関係者の話を聞くと、米国EU間での認識ギャップに気づく。
民主主義を尊重する価値観を共有する米国に対しても、トランプ政権以降、EU側には根強い不信感が残っている。
それを示す具体的な事例を挙げれば次のとおりである。
バイデン政権が、インフレ削減法(2022年8月成立、Inflation Reduction Act、以下IRA)によって外国企業が米国内で投資を拡大する際に、外国製の部品を用いていないことを補助金供与の条件とした。
例外は米国と自由貿易協定(FTA)を提携しているカナダ、メキシコ、韓国などに限られ、日本とEU諸国は中国と同等の扱いとなった。
EUはこれに反発し、米国IRAの補助金政策に対抗するため、温室効果ガス抑制に貢献する企業に対する補助金供与を中心とする環境関連規制(グリーンディール産業計画)など各種政策を打ち出している。
これらの政策は主に米国への対抗を主眼としている。
このように米中、欧中間の摩擦に加え、米欧間の摩擦も目立ってきており、欧州では一部の有識者が、上記の政策発動とともに「バイデン政権とのハネムーンは終わった」と述べていると聞く。
以上のような最近の状況から、米欧中という世界の主要プレーヤーの間の相互不信がますます強まりつつあることを感じる。
同時に、先行きの世界秩序形成の不安定化リスクが高まっていることが懸念される。
こうした相互不信の背景にあるのはイデオロギーへの固執である。
民主主義、資本主義、市場メカニズム、自由競争などの概念は、世界秩序を形成する上で西側諸国が最も重視する価値観である。
この価値観を共有しない国を排除する動きが世界を分断している。その中心が米国の対中デカップリング政策である。
しかし、資本主義や市場メカニズムだけの力で世界の人々に平和と繁栄をもたらすことはできない。
社会問題に十分配慮せずにそれを追求し続ければ、貧富の格差が拡大するほか、労働者がモノや道具(commodity)のように扱われる。
この問題は資本主義の行き詰まりとして強く認識されている。
資本主義のイデオロギーに固執すれば、資本の論理が優先され、労働者は個性や人格をもつ存在として重視されなくなり、モノや道具のように扱われ、社会は分裂し、民主主義社会は不安定化する。
これは最近の米国、英国が直面する課題であり、中国政府もそのリスクを強く認識している。
各国はそれぞれ対策を実施しているが、いずれの国でも十分な効果を示していない。
イデオロギーへの固執は、様々な現象の背景にある個々の人間の個性や人格を尊重する姿勢を見失わせる。
そのため、国や組織の中にいる様々な人々の存在を無視して単純で分かりやすいレッテルを貼り、その国や組織を批判する。
そうした見方が一定の地域内で支配的になるとエコチェンバー効果を生み、冷静な意見がかき消され、異なるイデオロギーの国や組織の人々のすべてを否定する声が社会を覆い尽くしてしまう。
これが今のワシントンDCの状況であるように見える。
最近はその空気が米国の他都市にも広がりつつあると指摘されており、先行きが心配である。
そうした深刻な状況を米国で目の当たりにした後、筆者がブリュッセルを訪問した際に、イデオロギー対立を超えようとしている国際的な女性の学者のネットワークの動きがあることを知った。
彼女らは、民主主義は個々人を尊重する概念であり、労働者をモノや道具のように扱う資本主義と対立する性格を持っていることを指摘する。
そして、労働市場を民主化すること、労働者をモノや道具のように扱わないこと、地球環境を大切にすることを訴えている。
この点を主張する欧米の女性の学者が中心となってに「Democratizing Work」という国際的なネットワークを形成する活動を推進している。
一見これもイデオロギーを重視する活動に見える。
しかし、彼女らが問題視する点は、資本の論理を優先する企業が労働者の人格や地球環境を軽視することを通じて様々な問題を起こしていることである。
これは欧米のみならず、日本でも中国でもロシアでも、イデオロギーの違いに関係なく同じ問題に直面している。
この活動は、イデオロギー対立を超えて、全世界の労働者や自然環境を救うことを目指している。
資本の論理によって人格や個性を否定されている労働者や軽視されている自然環境を救いたいと思う人々は自発的に国を超えて結束すべきことを訴えている。
最近の国際関係を概観すると米中、欧中、米欧の間の不信がいずれも強まり、出口が見えなくなっているように感じられる。
本来この課題に立ち向かうべき各国のリーダーは、国内政治基盤の弱体化、あるいは外交の経験不足などが原因で外交面でリーダーシップを発揮していない。
そうした状況下で世界秩序の安定化を図っていくには、各国の政治リーダーに頼るのではなく、インターネットなどの新たな通信技術のおかげで形成しやすくなったグローバル・ネットワークが担い手となる時代が到来していることを上記の女性学者グループは示している。
現在の米欧中間の相互不信を嘆くだけでは何も変わらない。
資本主義の行き詰まり、地球環境問題などグローバル社会が直面する問題に対して、国家のリーダーが動かないからと言って諦めるのではなく、良心や責任感に基づいて当事者意識を持って自発的に行動することが重要である。
世界を良くしたいと考える「民」の活動に加わる人々が国を超えて増え続けることによって、国家間の合意では解決できない課題に取り組むことが可能になりつつある。
22世紀になって21世紀前半を振り返ってみれば、ネット社会の成立とともに、国家間の合意に基づくルールに頼らず、「民」のモラル=道義に基づく自発的活動がグローバルなネットワークの形成によって世界秩序形成を補完する時代に入っていたことを認識するはずである。