岸田文雄内閣はこども・子育て支援を最重要政策と位置づけている。
急速に進む少子化に歯止めをかける対策としてこれを検討しているため、いかにして出生率を引き上げるかという目標に論点が集中している。
そのために検討されている主な施策は、就学前児童の子育て支援制度・組織の充実、出産・子育て応援交付金等子育て支援補助金の増額、両親の子育て環境改善のための社会制度構築などである。
いずれも重要な施策であるが、この議論の中で一つ重要な点が論じられていないことに気づく。それは小中高校の学校教育の質向上の問題である。
経済的、社会制度的に育てやすいから子供を生みたいと思う人もいるが、養育負担が大きくても可愛い子供、立派な子供を夫婦で育てたいと思って生む人もいる。
特に子供を育てている子育て世代は、子供たちが幼稚園、小学校、中学校、高校で学んでいく過程で、毎日楽しく充実した学校生活を送り、家庭内でも笑顔があふれていると、その子供たちからお金では買えない大きな幸せを得る。
これが子育てをする多くの人たちの最大の喜びになっていると思う。
そうした子育て世代の両親がしばしば楽しそうに子供の話をしていれば、若い世代の人たちも、自分も子供が欲しいと思うはずである。
しかし、最近の学校では学級崩壊、不登校、いじめなど、子供も親も苦しんでいる状況がますます深刻化している。
この状況を見てしまうと、一部の人が子供を欲しいとあまり思わなくなるのは無理もないように思われる。
そうした点に目を向ければ、少子化対策のもう一つの論点として、小中高校における子供たちの教育環境の改善という課題が検討されるべきである。
これは、育てる側の両親に対する経済的・社会制度的支援に加えて、育てられる側の子供の視点に立って、子供たちが毎日楽しく学べる環境づくりを考えるという論点である。
学校教育改善の大目標は、世界中の子供たちが自分も日本で教育を受けたいと願うような素晴らしい教育環境の実現である。
そのための施策は多岐にわたるため、ここですべてを論じることはできないが、主なポイントを列挙すれば以下の通りである。
第1に、教育内容の充実のための施策である。
具体的には、教員の増員による20人学級の実現、各人の個性を伸ばすための柔軟なカリキュラムの導入、小学校における英語・数学・理科・芸術・道徳等の専門教員の増加による教育内容の充実、社会貢献活動への参加など。
第2に、道徳教育の充実である。
戦後の学校教育の中であまり重視されていなかった人格形成教育を強化するため、東洋思想を土台とする日本伝統の徳育を重視し、子供たちの人間性を高めることを目指す。
それにより学級崩壊、不登校、いじめ等を防ぐ効果も期待できるため、学校経営の安定化や社会問題の改善につながる。
そのためには教える側の教員の養成課程において道徳教育を主要科目として充実させるとともに、教育実習でも全員が一定時間、道徳を教えることを必修科目とすることなどが考えられる。
第3に、教員の労働環境の改善支援策である。
具体的には、教員の事務負担を軽減し授業のカリキュラムに集中できるよう、事務要員を増加する。
第4に、学校の教育設備やサービス内容の改善である。
具体的には、学校の各種設備(デジタル技術の活用に適合した教室、子供に支給するパソコン、音楽・体育施設等)の全国一律の抜本的改善、地域の個性を生かした給食サービスのさらなる充実、そのための調理設備、外注方式等の改善。
第5に、大学の教育・研究レベルの向上である。
小中高校の子供たちが身に着けた学力をさらに伸ばすには世界トップレベルの大学の存在が重要だ。
具体的には、大学の単位取得基準を厳格化し、まじめに勉強しなければ進級・卒業できない仕組みの導入、科研費の大幅増額、大学における海外の優秀な教授・研究者の招聘、そのための人件費予算拡充など。
こうした学校教育環境の改善はまさに異次元の少子化対策である。
以上のような学校教育環境の抜本的改善には予算規模の大幅拡充が必要である。
OECD(経済協力開発機構)が2022年10月に公表したデータによれば、2019年時点でのGDP(国内総生産)に占める教育機関への公的支出の割合を国際比較すると、日本は2.8%と、調査対象となった37か国中36位だった(ちなみに2018年は最下位)。
平均は4.1%、最も高いノルウェーは6.4%と日本の2倍以上だった。
予算の規模だけで教育内容を評価することはできないが、少なくとも子供の教育に対する国家としての基本姿勢を反映していると考えられる。
日本は、国土も狭く、資源もない。唯一の強みは豊富な人材であると言われてきた。
このプライドを国家として維持するには、教育を重視する姿勢を示す指標の一つとして、教育機関への公的支出割合を世界一にするという目標を掲げるのは一案である。
防衛費をGDP比1%から2%に倍増させるための予算確保の課題が盛んに議論されているが、それ以上に、この教育予算の確保は重要であり、国民にとってはるかに重い負担となる。
しかし、この人材育成こそ国家繁栄の土台であり、優秀な人材が日本経済を活性化することができれば、防衛予算と教育予算の増額に必要な税収も生み出すことができる。
岸田政権がこども・子育て政策を最重要課題として取り上げ、真剣に取り組んでいることは高く評価できる。
そうであればこそ、日本の宝物である人材の充実に国を挙げて取り組む体制を構築してほしいと願わずにはいられない。
私が20年以上にわたって師事する東洋思想研究家の田口佳史氏には多くの企業経営者、政治家、官僚の方々も指導を受けている。
その田口氏の著書「『大学』に学ぶ人間学」には以下のように書かれている(ここで言う「大学」とは代表的な中国古典の名称)。
「『徳は本(もと)なり。財は末(すえ)なり』は(中略)『徳こそが大切で、財は大したものではない』と解釈されていることがありますが、これは大間違いです」
「徳も財も両方とも人間生活には必要なものです。したがって、財も必要なのですが、財は徳があって初めて生まれるのです」
「ゆえに、財を成すためにはまず徳から始めなければならない、(中略)財ばかり追いかけていれば財ができるというわけではないのです」
これは「本」が乱れている時に「末」の乱れを治そうとしてもうまくいかない。
「末」の乱れを治すには、まず「本」の乱れを治すところから着手しなければならないということを示している。
子育てについて言えば、学校教育等を通じて立派な人間を育てることが「本」であり、少子化に歯止めがかかって人口が増加に転じるという目標は「末」である。
現在のこども・子育て政策の議論は「末」の方に議論が集中しており、「本」の議論があまり検討されていない。
「本」、すなわち小中高校の教育環境の改善という目標実現は難しく、必要な予算規模も大きい。
しかし、この問題に取り組まなければ、結局「末」にあたる少子化対策も実効性を持つものとならない。
「大学」の教えを参考にすれば、「末」の目標である少子化問題の改善を実現するためには、「本」の学校教育環境の改善から着手することが目標実現のための正しい道筋であるということが分かる。
スイスのビジネススクールであるIMD (国際経営開発研究所International Institute for Management Development)が作成した「世界競争力年鑑」の2022年版では日本の競争力総合順位は34位だった。
調査対象国は先進国を中心とする63カ国で、1位はデンマーク、米国は10位、中国は17位だった。
日本は1989年から92年までは1位、96年までは5位以内を保っていたが、その後順位が低下し、2019年以降は4年連続で30位以下である。
この日本の競争力低下は日本企業のグローバル化への対応の遅れが主な原因の一つであるが、その背景には優秀な人材の不足があると考えられる。
他国は優秀な人材の育成に注力し、博士号を取得する高度な専門性をもつ人材が企業経営や行政運営の中核を担っている。
これに対して、日本企業の経営陣の中で博士号をもつ人材は少ない。学歴だけで経営・政策運営能力を評価することはできないが、専門的な知識のレベルには影響する。
日本の人材高度化のためには、こうしたグローバル化時代の日本を支える高い専門性を備える人材の育成にも注力することが必要である。
そのためには、大学だけではなく、その土台となる小中高校の教育を改善することが必要である。
日本が教育を抜本的に立て直し、優秀なグローバル人材を育成し、もう一度競争力で世界一に返り咲くことを期待したい。