◆“異端妄説”も後の通説/旧弊打破する視点必要
昨年末、3年ぶりにパリを訪れ、イノベーションに関して意見交換する機会に恵まれた。社会科学高等研究院(EHESS)では、自立支援・介護ロボット開発に関して筆者の意見を述べさせて頂いた。テーマはイノベーションとケア(介護)を合わせた新語の“イノヴケア”だった。
経済的な閉塞感が蔓延する中、様々な分野でイノベーションが論じられている。だが、イノベーションはそう簡単に生まれるものではない。これに関し、英国の総合学術雑誌『ネイチャー』が今月4日、独創的な学術論文が近年少なくなっている事を報告した。
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イノベーション創出には3つの要素が必要。第1は新しいアイデアや技術、第2はそれらを現存の知識体系と融合させる組織や制度、最後に上記2要素を受容させるため旧弊固陋な社会を一変させる思考習慣(マインドセット)だ。たとえ新思考・新技術を考え出す奇才がいても、彼らに寛容な組織や制度と社会的潮流がなければそれらは容易には社会に受容されない。
歴史を顧みてもそうした事例は枚挙にいとまがない。しかも優れた人であっても新思考を評価できない事もある。例えば数学ではアーベルを評価しなかったガウス、物理学では湯川秀樹博士に無関心だった来日中のニールス・ボーアがすぐに思いつく。また経済学ではリーマン・ショック以前に、“非合理的熱狂”だと警告したロバート・シラーやラグラム・ラジャン両教授らがいる。そして冷戦初期の国際政治では、ケナン国務省政策企画本部長が、マーシャル長官とラヴェット次官に対し、今次ウクライナ危機を警告するような報告書を早くも提出している。
確かに新思考・新技術を評価する事は難しい。数学者の小平邦彦先生は次のように述べた―自分の専門分野の論文でもそれを明晰判明に理解するには多大の時間と労力を要する。自分の専門と全く関係のない分野の論文を明晰判明に理解することは大抵の場合ほとんど不可能、と。
前述『ネイチャー』誌は専門家が自己の専門分野に過度に“集中”するあまり、周辺分野に関心を持っていない点を問題視している。これに関しノーベル賞を受賞した赤崎勇先生が、ある学会に出席した時、専門分野の極端な“細分化”を痛感したと、生前におっしゃった事を思い出す。
冒頭で触れた“イノヴケア”で、筆者は次のように語った。例外を除いて、ロボット工学者は彼らの学界内だけで語り、医者は彼らの中だけで語っている。また介護者は日々の介護に忙しい。全地球的な高齢化問題が国際的、学際的、社会横断的に議論されていない事が問題なのでは?と。
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繰り返しになるがイノベーション創出は不可欠だが容易ではない。このため我々は前述の3要素を念頭に、独創的な思考・技術を批判覚悟で公表する“勇気”を持つべきだ。福澤諭吉先生も『文明論之概略』の中で、文明の進歩に際して最初は全て“異端妄説”であり、アダム・スミスは反駁され、ガリレオは罰せられた、と語っている。
こんな中、オックスフォード大学の友人からアダム・スミス生誕300周年を祝う会合に誘われた。そして今、ひそかに“異端妄説”を考えている最中だ。