メディア掲載 エネルギー・環境 2023.01.12
日本原子力学会誌「アトモス」Vol.64,No.11(2022)p.596~597 に掲載
ウクライナで戦争が勃発した。いま欧州は、ロシアの石油、ガス、石炭を代替供給源に置き換えることに躍起になっており、侵略のわずか3カ月前にスコットランドのグラスゴーで開かれた国連気候サミットにおいてヨーロッパの主要国が表明したCO2ゼロの公約は、意味をなさないものになっている。昨年来エネルギー不足と価格高騰に悩まされていた国々では、ロシアの暴走に直面し、エネルギー安全保障の問題が再燃した。
冷戦終結後の数十年間、世界は安定しエネルギーは容易に手に入った。このせいで、現代社会にとって豊富なエネルギーがいかに重要であるか、多くの人は忘れ去っていた。そして脱炭素ブームが起きて、社会が化石燃料に依存していることも忘れ去られていた。しかし、石油、ガス、石炭の供給は、依然として国家の運命を左右している。過去30年間にわたって再生可能エネルギーへの移行に世界は莫大な資金を費やしたが、この基本的な事実は変わらなかった。
ウクライナでの戦争で、世界はまた新しい冷戦の時代に入った。そこではエネルギー資源の確保という根本的な問題が復活した。気候変動問題の優先順位は大きく下がった。
だが皮肉なことに、エネルギー安全保障に焦点が戻ることで、CO2の削減はかえって進むかもしれない。過去30年間、国際的な気候変動対策は、結局のところCO2の排出量の削減にあまり効果をもたらさなかった。けれども、安全保障と経済に軸足を置いたエネルギー現実政治(リアルポリティーク)が復活することで、これまで世界中で行われてきた気候変動対策の空想的な側面が消失し、具体的で国益に即した形で実際にCO2が大幅に減ることになるかもしれない。
実際のところ、世界のGDPあたりのCO2排出量(=炭素集約度)、エネルギー効率の改善率、原子力の普及率などのいずれの指標を見ても、1992年にリオ・サミットで気候変動枠組み条約が締結された以前の30年間の方が、その締結後よりも早く改善していた。京都議定書が採択された1997年以降には、総CO2排出量も一人当たりのCO2排出量も、それ以前より早く増加した。
冷戦時代の地政学的・技術的・経済的競争は、冷戦後に出現した気候変動対策よりも、世界経済の炭素集約度を下げることに成功していたのだ。温室効果ガスの排出のない原子力発電技術は、米ソの軍拡競争から派生したものだ。初期の商業用原子力発電は、原子力潜水艦用の原子炉を転用したものだった。原子力の平和利用が可能となり、安価で安定した電力供給を実現するために、先進国は競ってそれを建設した。
イスラエルとアラブの戦争から派生した1973年のオイルショックは、その後20年にわたるエネルギー効率の目覚しい改善、発電、暖房、産業などあらゆる部門における石油からの他のエネルギーへの移行をもたらした。日本は液化天然ガス利用の先駆となった。そして原子力も急速に増強された。原子力の先駆者であるフランスは、当時の恩恵により、現在においてもG7先進国の中で最も炭素集約度の低い経済になっている。太陽光発電パネルは、大国の宇宙開発競争のために開発されたものだが、米国カーター政権のエネルギー自立化政策、日本のサンシャイン計画の一環として技術開発が推進された。自動車の燃費効率も飛躍的に向上した。
世界的に見ると、原子力、水力、再生可能エネルギーといったCO2を出さないエネルギーによる電力の割合は、じつは冷戦終結直後の1993年にピークに達していた。1992年以降語られてきた「世界が温室効果ガス削減という共通の目標に向かって協調してクリーンな電力に転じる」という期待は裏切られた。むしろ冷戦後の平和と繁栄、そして豊富で安価なエネルギー利用により、安全保障のためとしてエネルギー分野に大規模な投資を行うという国家のインセンティブは劇的に低下したのだ。大きな戦争のない、統合された世界経済では、どこの国でも安価なエネルギーを大量に買い付けることが出来た。ロシアのガスはドイツの産業競争力の源泉だった。中東の石油にアジアは依存するようになった。日本はその筆頭だ。そして最近では中国のソーラーパネルやバッテリーを買うこともできた。
そんな世界が、ロシアがウクライナに全面侵攻した2月24日に終わりを迎え、世界は21世紀の新冷戦の時代に入った。
ウクライナ侵攻後の新冷戦時代のエネルギー政策は、かつての冷戦時代と同様、エネルギー安全保障の要請によって衝き動かされてゆくだろう。各国のエネルギー政策は、CO2ゼロなどといった恣意的で現実感の乏しい「科学的目標」ではなく、自国が生存してゆくために確保できるエネルギー供給によって、切迫した、現実的な制約を受けることになる。
エネルギー安全保障が切望されるようになると、かつてオイルショックの時にそうであったように、非化石エネルギーや、その利用を可能にするインフラの開発に恩恵がもたらされるだろう。例えば、先進諸国で長年にわたって行われてきた新規の原子力発電所建設に対する環境派の反対は、ウクライナ侵攻以前と比べるとはるかに通用しにくくなるだろう。同様に、風況の良い西欧北部から人口の多い南部へ風力エネルギーを運ぶ長距離送電線の新設についても、反対運動が成功する可能性は低くなるだろう。すでにドイツとEUは、認可を早めるために環境規制を緩和する動きを見せている。日本が得意とするハイブリッド自動車、高効率な石炭火力発電なども、エネルギー安全保障を実現するための現実的な省エネルギー対策として見直されることになるだろう。
いずれの場合も、ウクライナ戦争で明白になった新冷戦という安全保障の緊急事態において、根拠がはっきりしなかった「気候変動の緊急事態」の下では為し得なかったことの多くが実現される可能性がある。
これまでの環境保護運動は、あれもダメこれもダメといった規制による解決策に偏り、太陽・風力は良いが他はダメといった具合に、技術を好き嫌いで恣意的に選ぶようなところがあったため、温暖化問題を本当に解決するような現実的な政策を提唱できずにいた。皮肉なことに、気候変動の問題が中心から外れ、エネルギーの安全保障が切望されることで、気候変動に関する取り組みがこれまで達成できなかったことを、はるかに上回る効果が得られるだろう。
エネルギー安全保障は、依然として世界諸国共通の課題である。ロシア・中国に代表される独裁主義に対抗し、そのためにも経済成長を達成し、そしてCO2を削減してゆくためには、この現実に対応する必要がある。
ただし、今のところ、G7諸国の政府はこれまでの空想的な「脱炭素」が誤りだったことを認めていない。
この流れを大きく変えうるプレーヤーとして、筆者は米国共和党に注目している。かつてトランプ政権の国務長官を務めたマイケル・R・ポンペオがハドソン研究所から「ウクライナの戦争は、なぜ世界が米国のエネルギー・ドミナンス(優勢)を必要とするのかを明らかにした」という論説を発表した。
“気候変動活動家に後押しされ、バイデン政権はアメリカの石油、天然ガス、石炭、原子力を敵視する政策をとってきた。これが無ければ、米国も欧州も戦略的にはるかに有利な立場にあり、プーチンのウクライナでの戦争を抑止できた。...欧州はロシアのエネルギー供給に依存して脆弱性を作りだしてきた。だが本来は、それは米国が供給すべきものだったのだ。...バイデン政権の歪んだ現実観は、米国経済や安全保障ではなく、気候変動を今なお最優先としており、これは変わりそうもない。
われわれは、米国のエネルギーの力を解き放たねばならない。天然ガスやクリーンコールなどのクリーンエネルギーを、欧州やインド太平洋地域の同盟国に輸出する努力を倍加させねばならない。...われわれ共和党は秋の中間選挙で大勝し、彼の環境に固執したエネルギー政策を覆し、米国のエネルギー・ドミナンスを取り戻す。”
何と力強い言であろうか。このポンペオ氏の論文は、物量で圧倒するという米国らしい発想であるとともに、エネルギーを国家経済の兵站と位置付けていることが分かる。兵站を軽視する国は敗れる。これは日本にとって第二次世界大戦の重要な教訓だったはずだ。
これから秋の中間選挙、そして次の大統領選挙を経て、米国共和党が世界を変えてゆく可能性はかなり高い。日本は、そのときの対米関係まで予想して、バイデン政権の下でのいまなお再エネ・EV一本槍の空想的なグリーンエネルギー政策とは距離を置くべきだ。
具体的にはどうするか。日本は資源に乏しいので単独ではエネルギー・ドミナンスを達成することは出来ない。だが米国と共にアジア太平洋におけるエネルギー・ドミナンスを達成することは出来る。それは、ポンペオ氏が指摘しているように、天然ガス、石炭火力、原子力などを国内で最大限活用すること、そして友好国の資源開発および発電事業に協力することだ。
いま日米がエネルギー・ドミナンスに舵を切らなければ、中国に打倒されるだろう。
ウクライナ戦争後のエネルギー危機を受けて、中国は年間3億トンの石炭生産能力を増強することを決定した。これだけで日本の年間石炭消費量の倍近くだ。また中国は25年に原発の発電能力を7,000万キロワットまで増やす計画で、30年には1億2,000万キロワットから1億5,000万キロワットを視野に建設認可を進めている。
これはフランスと米国を追い抜く規模である。安価で安定した電力供給を中国が確立する一方で、脱炭素で高コスト化し脆弱な電力しか日米に無ければ、われわれはいったい戦えるだろうか?
(2022年8月14日記)