人間とは何か、自然とは何か。
人類は初め、母なる自然の進化の一部として、弱々しく出現した。けれども、やがて人類は逆に、自然を大幅に改変する力を持つに至った。これは、産業革命などよりはるか以前のことだった。人類こそが、今日の地球環境を創り出したのだ。
もちろん、自然も負けてはいない。人間と自然は、共に、激変する気候の洗礼を潜り抜けた。食うか食われるかのせめぎ合いは、世界のあらゆる場所で、今日も続いている。
最近の1万年は、地質学で完新世Holoceneと呼ばれてきた。だが今や、これは人新世Anthoropoceneと呼ばれることになった。人類の自然環境への影響があまりに大きいからだ。何百万年も経った後の未来の人々は、この時代の地層に人為の痕跡を確実に見つけることになる。
さてそこでは、いったい何が記録されているだろうか? 「地球温暖化」の痕跡はあるのか?
人類による環境破壊で種の大量絶滅が起きているといわれている。これは本当だ。だがこれは、今に始まったことではない。産業革命がにわかに環境破壊をもたらしたのでもない。人類はその誕生以来、環境破壊と大量絶滅をし続けてきた。いわば、これは人類の業(ごう、カルマ)、キリスト教風に言えば原罪…。つまり人類として生まれたからには背負っていかざるを得ない、消せない過去である。これは幾つもある。
第1の業は「大型獣の殺戮」である。およそ4万年前に、人類はアフリカから外に出て、世界中に満ち溢れた。そして、遭遇した大型獣を、あらかた絶滅させた。石器や罠を使って、肉の塊を発見しては殺した。ドードー鳥やマストドン、サーベルタイガーや日本オオカミなどである。アフリカは例外で、ライオンやゾウ等の大型動物が今でも多く生き残っている。アフリカは人類発祥の地であったため、動物側も人類に合わせてゆっくり進化する時間があり、絶滅を逃れたらしい。アフリカ以外の地では、人類という新しい敵が突然現れ、十分な準備が整う前に滅ぼされた。海も例外だった。クジラやサメがまだ多く生き残っているのは、狩ることが難しかったからだ。
大型獣が次々に絶滅したということは、生態系の頂点にあった種が絶滅したということで、故にその影響は、食物連鎖の末端に至るまで及んだ。大型肉食獣が減ると、その餌である草食獣が爆発的に増え、その餌である植物が激減し…、といった大変化が世界中で起きた。
第2の業は「森林放火」である。大型獣の殺戮と並んで人類がしたことは、森林に火を放つことだった。日本でもアメリカでも、人類は森林を焼き払った。火をつける理由は幾つもあった。
一つ目は、焼畑農業をするためだ。人力だけでの農業は骨が折れる仕事であったから、まず焼き払い、その後に作付けをする焼き畑農業は賢い方法だった。森林を焼くと肥料も自動的に得られるため、出来た作物の栄養価は高い。食べても実に美味しいらしい(残念ながら、筆者はまだ食べたことが無い)。
ニつ目は、狩場や牧草地にするためだ。草原になっていれば、シカ等の草食動物が現れる。見通しも効くため、良い狩場になった。そしてもちろん、そこに馬や牛などを放牧した。
三つ目は、燃料や肥料を得るためだ。桃太郎のおじいさんは山へ柴刈りに出掛けた。何をしていたかというと、小枝などの薪たきぎを集め、また田んぼに肥料として入れる草を刈りに行った。このために火を入れて管理していた。何もわざわざ燃やさなくても、と現代人であれば思うが、やはり人力で森林を伐り払って草地にするには大変に労力が要るため、火を入れるほうが簡単だった。おじいさんが柴刈りに行ったその山は、今のように木がこんもりと茂っている山ではない。阿蘇山のような草や低木だらけの山であった。意図的に火を入れるのではなく、失火もあった。人類は年を通して火を焚き続けるのが普通であったため、当然、
失火も多かった。さらに、恒常的に戦争もしており、敵の集落を丸ごと焼き払った。極めつけの理由としては、「面白いから」「何となく」火をつけたというのがあった。これは米国の先住民にインタビューした文化人類学者が報告している*1。
更に、第3の業としては「農業」がある。
農業こそは、人類による大規模な地球の改変の、最大の原因だった。これは別に悪いことではない。だが、地球環境について考えるなら、この事実をよく理解しておく必要がある。
農業は、大抵は生物多様性を損なう。というのは、農業をするということは、それをしなかった場合の生態系を根こそぎ破壊することだからである。雑草を駆除するために農薬を散布すれば多くの生物が死ぬ。無農薬農業であっても、他の生物の繁殖を抑制するには違いがない。水田に水を張るのも、雑草を水没させて殺す水攻めだ。そして、農業で育てる品種は、ごく限られている。米、麦や野菜など、人間にとって都合の良い作物が育てられるだけだ。このため、農業を実施しない場合と比べれば、生物多様性は乏しい*2。
作物というのは、食べられる部分が肥大化した人工的な奇形である。人間が手をかけなければ生きていけないし、そうしないと、すぐに現生種に還ってしまう。トウモロコシの現生種は、ペン先ぐらいの大きさしかなかった。大きくて甘いものが選ばれて品種改良が行われて、今日のように美味しくなった。今でこそ米はずっしりと重い穂を垂れるが、現生種では、米粒は稔ると、はじけ飛んでしまった。ご丁寧にも飛ばなくなったのは、そのほうが人間にとって収穫して食べ易いからだ。クルミやクリといった木の実ですら、人間が栽培するうちに実が大きく美味しくなった。こういった品種改良は、初めは意図しないで起きた。美味しいものを採取して食べていると、そのタネが人間の住処のそばに散らばって増えた。これは人間が意図的に品種改良をするよりもずっと前の、縄文時代から起きていた*3。
日本で育てられている作物は、ほとんど全てが外来種である。米も麦も大豆も大根も、アジア大陸が原産地で、中国を経由して日本に来た。トウモロコシもサツマイモも、江戸時代頃に中南米からやってきた。本当の国産品種はどんぐりぐらいしかない。これは日本が世界の辺境にあったからである。アジア大陸では昔から日本よりはるかに人口が多く、多様な作物が育てられた。日本は、もっぱらその受け手となった。
つまり人類は、人工的な奇形作物を作り出し、原産地にお構いなく世界中に外来種として持ち込み、地元の生態系を根こそぎ破壊してモノカルチャーに励んできた。驚くことに、この過程では多様な気候にも適応した。米はもともと熱帯の作物であったが、寒冷地でも育つよう改良された。相当に無理があったため、東北地方では昭和になっても冷害で飢僅が絶えなかった。だが、たゆまぬ品種改良によって、今では日本の東北・北海道は米の名産地となった。
というわけで、産業革命よりはるか以前から、人類は環境を破壊し、大量絶滅を引き起こし続けてきた。どう思うかは人それぞれだと思うけれど、事実は事実として、共有したい。これこそが、今後の地球環境をどうするか考えるための出発点になるからである。はっきりしていることは、「人類以前の地球環境」なるものはもはや存在せず、それを復元しようというのは、ナンセンスだ、ということだ。
人間はすでに生態系を根本から変えており、生態系の頂点に立ち、生態系を支配する「キーストーン種」に自らが収まっている。したがって、大事な問いは「生態系に介入するか、しないか」ではなく、「どう介入するか(例えば保護区を設定するのか、そこで人間は何をするのか)」ということである。
手つかずの環境は脆ぜい弱じゃくで、人間が居なければ永遠不変で、人間が手を加えると、微妙なバランスを崩して壊れてしまう――というのは、まったくの嘘である。本当は、環
境は人類と共に進化してきた*4。
人間は環境を悪くする一方だと主張する人もいる。だが実際のところ、環境は、人間にとって住みよいものになってきた。人類がそう変えてきたからだ。
植物も動物も、人間に都合のいいように、大幅に改良されてきた。トウモロコシはもちろん、南米のジャングルにぶらさがるバナナも先住民以来の品種改良による*5。
現在の地球環境は、人間が大幅に作り変えてきた結果として存在する。これからも、人間こそが、地球環境を変える最も大きな要因となることは間違いがない。これをよく理解したうえで、どう環境を改変していくか。「手つかずの自然の維持」ではなく、この「良き改変のあり方」を問うこと、これこそが、環境問題を考えるにあたっての、正確な出発点である。
スチュアート・ブラントは、このことを、「すべてはガーデニングの腕次第」と表現した。地球全体をガーデニングするということだ*6。彼は、ヒッピーにして、技術を愛し、環境を愛する、多芸多才の人で、「現実的な環境主義」を説いている。
守るべきものは沢山ある。良い眺め、きれいな空気に水、安定した暮らし、美味しい食べ物…。これを守るためには、ひたすら何かを禁止してもダメだ。よく計算して、環境を創造していかねばならない。ではそのような「ガーデニング」は、うまくいくだろうか?
過去を振り返ると、人の寿命はどんどん延びて、病気も減った。大気汚染一つをとっても、昔に遡るほど、ずっとひどかった。石器時代の洞穴から、呼吸器系疾患の証拠が見つかっている。洞穴で薪を燃やしていたのだから、煙くて病気になったのも当然だろう。中世も近世も、大気汚染はひどかった*7。一般的にいって、環境はどんどん人間に住みよくなった。これには膨大な証拠がある*8。過去に良くなったのだから、今後も、ますます環境は良くなると予想するほうが妥当だ。むやみに悲観するものではない。結果については楽観しつつ、今後はどのような「ガーデニング」をすれば良いのか考えるべきだ。
世界諸国はパリ協定で、温暖化防止の目標を2℃ないし1.5℃とした。だが東京の気温は、実は1900年以降、3℃も上昇している。それでは、温暖化によって甚大なる被害があったのだろうか? 無いとしたら、どうやって防いだのか?
まず温度のデータを確認する。パリ協定で2℃と言っているときの原点は「産業革命前」である。すでに地球全体の平均気温は1℃上昇しているから、現時点から測れば残り1℃である。
東京が3℃上昇したというのは、地球温暖化によるものが1℃、都市熱(ヒートアイランド現象)によるものが2℃の合計である。
さて、東京は灼熱地獄で住めなくなったかというと、そんなことは無い。真夏の日中の東京では、多くの人が働いている。リッチな高齢者は、都心のマンション暮らしを楽しんでいる。エアコンがあるから快適なのだ。
仮にあと3℃上がるとしても、今の年平均気温15.8℃が18.8℃になる。これは現在の鹿児島の18.6℃に近い。ところが那覇は23.6℃でこれよりはるかに高い*9。それで那覇は人間が住めないわけでは無く、もちろんのこと、快適に住める。沖縄は長寿の県だ。もっと言うと、いま長寿の世界1位と2位の国(地域)は香港とシンガポールで、どちらも大変に暑い。
その一方で、東京の冬は暖かくなって、暮らし易くなっている。世界のあらゆる場所で、冬季のほうが夏季よりも死亡率が高いことが分かっている。地球温暖化で寒い日が減れば、健康への好影響は大きいはずだ。
農業はどうか。農家は常に市場の変化に応じ、新しい品種の開発情報を集めて、絶えず作物を変えてきた。東京23区内でも、トマト、きゅうり、ナス、枝豆、大根、じゃがいも、筍、きゅうり、いんげん、白菜、大根、ねぎ、かぶ、みかん…、実に多様な野菜を育てている。もしも、「100年間に3℃という急激な温暖化への適応は大変だったでしょう」などと農家に聞いたら、たぶん、「はあ?」と聞き返されるだろう。
農家としては、そんなことはお構いなしに、日々、市場価格を参考にして、あるいは近所の農家の真似をして、そのつど売れる作物を作ってきただけだ。その過程で、おそらくは、温暖化にも知らないうちに適応してしまったのだろう。暑い夏によく育つ作物が選ばれるようになったのであろう。霜害に弱い作物も最近は育てるようになったかもしれない。
農家としては、温暖化などよりも、宅地への転用による収入とか、固定資産税とか、農産物輸入自由化、ブランディング、消費者の好みの変化などのほうが、はるかに重要事項だったに違いない。
もちろん、100年前と同じ作物を、同じ場所で、同じ技術で育てれば、気象条件は変わっているから、うまく育たない場合があるかもしれない。だがそんなことをやって困っている農家というのは、聞いたことがない。
温暖化による被害の予測の殆どは、未来を対象としたシミュレーションに依存している。このとき、気候がどう変わるかというシミュレーション自体が、まずは不確実性を持つ。けれども、それ以上に、人間社会が変わり続けること、そして人間社会が実に柔軟に気候の変化に適応してしまうことは、シミュレーションでは殆ど表現出来ない。このため、温暖化による被害予測は、頭でっかちのホラーストーリーになりがちである。
例えば、温暖化のせいで、熱射病による死者が増えるという試算がある*10。もちろん、今と全く同じように人が行動していれば、単純に死者は増える。けれど、暑い日に、行動を変えずに、ぼーっとしている人は滅多にいない。それに、建物の断熱性能は良くなり、エアコンはますます普及する。ICT(情報通信技術)も活用して健康管理や老人見守りサービスも発達する。こういった人間社会の変化は、シミュレーションには普通は反映されていない。実際には、今から100年掛けてあと3℃上がっても、東京は鹿児島並みになる程度だから、適応能力の向上を考慮するならば、東京に住む人にとって、熱射病で死亡するリスクは減る一方であろう。
人間社会の変化は温暖化の進行よりはるかに速い。だから、「人間社会の諸事情を現在と同じにして」という前提のもとで将来の地球温暖化によるリスク増加をシミュレーション計算しても、現実には殆ど意味の無い結果が出て来る。
これまでのところ、温暖化の被害というと「2℃ないし1.5℃を超えてはならない」という認識が広く流布されてきた。だが、本当のところは何が困るのか、冷静に見極める必要がある。過去100年で、東京に何が起きたのか。人間は、どのようにして温暖化に適応してきたのか。これこそは、地球温暖化に備えるための、ナマの情報源である。シミュレーションは所詮シミュレーションに過ぎない。
過去100年に東京で起きた事は、これから、日本中のあらゆる場所で起きる筈だ。これをもっと詳しく調べることで、これから温暖化問題にどう向き合っていけばよいか、より良い指針が得られるだろう*11。
地球温暖化が人類社会にもたらす影響は、ニつの大きなトレンドの間の競争として理解できる。
一方では、地球温暖化が進み、その悪影響が人間社会や生態系に及ぶようになるというトレンドである。
もう一方は、経済が成長し、技術が進歩し、防災インフラが整備されることで、自然災害に対して強靭性が増すというトレンドである。
過去を見る限り、後者の「強靭性」トレンドが、前者の「悪影響」トレンドを圧倒してきた。
過去1世紀ほどで、地球上の気温は約1℃上昇した。
他方で、気候関連の災害による世界の一人当たり死亡者数は、過去1世紀で25分の1になった。
一人当たりの富がわずかに増加しただけでも、適応能力は大幅に向上した。1970年、サイクロン「ボラ」により、バングラデシュでは50万から100万人の死者を出した。当時は人口の80%以上が極度の貧困状態にあった。バングラデシュは今でも貧しく、また激しいサイクロンに見舞われ続けている。しかし、現在、極度の貧困状態にあるのは人口の10%以下になった。2022年のモンスーンによる洪水では135人が亡くなったが、これに先立つ2021年までの20年間では、サイクロンや洪水で100人以上が死亡したことは無かった。かつてに比べれば、バングラデシュは、はるかに自然災害に対して強靭になったのだ。
もちろん、過去の実績は、将来を保証するものではない。では「強靭性」トレンドが、気候の極端な変化の激化による「悪影響」トレンドに圧倒される、ということが起きるのだろうか?
だがその前に、20世紀前半に起きたような、極めて高い死亡率や社会的混乱が再び世界で起きるのは、どのような社会的状況か、考えてみよう。
サイクロン「ボラ」(1970年)はパキスタンから独立する直前のバングラデシュを襲った。この時期は、パキスタンがバングラデシュ市民の社会的・経済的ニーズに十分に応えられず、権利を与えなかったことが大勢の死者を出した原因だった。
過去、人命の損失や人的被害という点で最悪の自然災害は、貧困と破綻国家が交差する場所で確実に発生してきた。地球温暖化がたとえなくとも、こうした要因と自然の気候変動が組み合わさって、恐るべき事態を招いてきた。
だが気候変動がかなり進んだとしても、社会制度が機能している中所得国であれば、極端な気候変動に対して相応の強靭性を持つだろう。
いまのところ、「強靭性トレンド」が急速に弱まり、「悪影響」トレンドに逆転される兆しは全くない。したがって、気候変動は、それよりももっと直接的かつ重大な社会的要因が他に無い限り、20世紀前半や、それ以前の人類の歴史においての自然災害が生み出した規模の死や苦しみをもたらすことはないだろう。
いま世界では、10億人が依然として深刻な農村貧困の中で暮らしている。さらに数十億人が、近代的な生活水準を達成しようと努力している。世界中の生活水準を向上させ、安定した国家を増やしてゆくことで、災害への脆弱性は大幅に軽減されるはずだ。これこそがまず目指すことだ。
*1 米国の先住民が火を放ったことについては(チャールズ・C.マン, 2007)を参照。
*2 農業が地球を改変したことについて、更に詳しくは(Thomas, 2017)(杉山大志, 2012)を参照。
*3 縄文時代にクリが大きくなった等の品種改良が起きたことについては(工藤雄一郎(編), 2013)を参照。
*4 手つかずの自然は無いから、やみくもに保全するのではなく、うまく管理しようという考え方は環境保護運動の中でも増えつつあるようだ。(Bhasin, 2014)を参照。
*5 米国の先住民による自然の改変についての良書は(チャールズ・C.マン, 2007)。この本のタイトル『1491―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』は、1492年のコロンブスの到着の直前まで、という意味。うまいタイトルのつけ方で、忘れたくてもニ度と忘れられない。
*6 すべてはガーデニングの腕次第、との見解については(スチュアート・ブランド, 2011)を参照。
*7 大気汚染の歴史について、詳しく面白い本として、(Peter Brimblecombe, 2011)を参照。
*8 あらゆる環境問題の改善を統計で論証した古典的名著として、(ビョルン・ロンボルグ, 2003)を参照。
*9 各都市の気温のデータは気象庁による2017年の観測値。http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php?prec_no=91 &block_no=47936 &year=2017&month=&day=&view=p1
*10 温暖化が起きると、熱射病による死者が増えるという試算については、例えば環境省のhttp://www.env.go.jp/earth/tekiou/report2018_full.pdfを参照。
*11 東京の事例以外にも、環境史に学ぶことで温暖化問題への理解は深まる。更に詳しくは(杉山大志, 2012, 2014)を参照。
【参考文献】
1) Peter Brimblecombe.(2011). The Big Smoke : A History of Air Pollution in London since Medieval Times.
2) Thomas,C.D.(2017). Inheritors of the Earth : how nature is thriving in an age of extinction.hbk.
3) 『地球の論点-現実的な環境主義者のマニフェスト』スチュアート・ブランド(英治出版 2011年)
4) 『1491―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』チャールズ・C.マン(日本放送出版協会 2007年)
5) 『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』(ビョルン・ロンボルグ(文藝春秋 2003年)
6) 『外来種は本当に悪者か』フレッド・ピアス(草思社 2016年)
7) 『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』工藤雄一郎(編)(新泉社 2013年)
8) 『環境史から学ぶ地球温暖化』杉山大志(エネルギーフォーラム 2012年)
9) 『地球温暖化とのつきあいかた』杉山大志(ウェッジ 2014年)