メディア掲載 外交・安全保障 2022.12.01
月刊『東亜』 No.665 2022年11月号(一般財団法人 霞山会 刊行)に掲載
尹錫悦政権は米国が提供する拡大抑止力の具体化を外交安全保障政策の優先事項として進めてきた。米韓の間での協議が順調に進み拡大抑止力の内容が明らかになるにつれて、北朝鮮はこれまでにない動きをみせるようになっている。
2022年10月4日朝に、北朝鮮は「火星12号」とみられる中距離弾道ミサイルを発射した。ミサイルは2017年9月以来5年ぶりにわが国の上空を通過して、これまでの最長距離を飛んで太平洋上に落下したとされる。同じく5年ぶりに日本政府から発令された「国民保護に関する情報」は、ミサイルが青森県上空付近を通過したのとほぼ同時刻に発信されたため、弾道ミサイルからの国民保護の難しさを改めて浮き彫りにした形だ。
北朝鮮は9月25日以降、10月6日まで立て続けに6回ミサイルを発射した。さらに、その種類も近年主流であった短距離弾道ミサイルではなく、今回は過去最長飛距離を観測した中距離弾道ミサイルが発射されたことで、わが国では北朝鮮が急激に挑発の「烈度」を上げたと捉えられている印象がある。しかし、一連の北朝鮮のミサイル発射は、米韓の間で進展がみられた米国が提供する拡大抑止力の具体化に合わせる形で、軍事挑発を強めた結果だと捉えると理解しやすくなる。
5月に韓国で尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権が発足して以後、米韓の軍事協力関係は急速に復元が進んだ。今夏の米韓合同軍事演習において4年ぶりに両国軍部隊による野外機動訓練が復活したことは、両国の軍事関係復元を表す象徴的な出来事であった。尹政権の外交安保政策を担当する補佐陣は、文在寅(ムン・ジェイン)前政権が南北融和と独自の国防力増強策にこだわるあまり、米韓同盟の強化が疎かになったどころか、当時のトランプ政権から法外な額の在韓米軍駐留経費や米軍戦略アセット(戦略爆撃機など)の朝鮮半島への展開費用まで要求されたことで、両国関係に大きな亀裂が入ったと考えてきた。また、事実上の核保有国となった北朝鮮に対峙する上で、米国から核の傘を含めた強力な軍事力を提供してもらうことにより、北の行動を抑止できると信じている。
その米韓同盟強化の内容は、両国の軍事協力関係の復元と同時並行で「米国による拡大抑止の具体化」が最優先事項として進められてきた。本年5月にバイデン米国大統領は就任後初のアジア外遊で最初に韓国を訪問。米韓首脳会談(5月21日)の結果を受けて発表された共同声明文の冒頭で、両国首脳が「米韓相互防衛条約による韓国防衛と米韓連合防衛態勢に対する相互公約」を再確認した上で、「バイデン大統領は核、通常兵器およびミサイル防衛能力を含め、利用可能なすべてのカテゴリーの防衛能力を使用した米国の韓国に対する拡大抑止公約を確認した」と記されたのである。
この首脳会談の結果を受けて、9月16日に米国・ワシントンで4年8カ月ぶりに米韓外交・国防次官級拡大抑止戦略協議体(EDSCG:Extended Deterrence Strategy and Consultation Group)の会合が開催された。同会合には米韓双方の外務・国防次官が出席して、北朝鮮の軍事的脅威に対する懸念を共有した上で、その脅威への対応のために外交的、情報的、軍事的、経済的手段を含むすべての利用可能な手段を使用するという両国の意志が強調された。すなわち、従来からの核・通常兵器・ミサイル防衛能力に限らず、宇宙・サイバー・電子戦能力といった軍事力を構成するあらゆる能力が、米国の拡大抑止力に含まれることになったのである。
同会合を前に韓国の申範澈(シン・ボムチョル)国防次官は米国メリーランド州にあるアンドルーズ空軍基地を訪問してB-52戦略爆撃機を視察した。B-52はICBMや原子力潜水艦などと共に米国の核戦力を構成する主要な軍事アセットである。また、今年末までに配備予定とされる米空軍の新型ステルス戦略爆撃機B-21が、将来朝鮮半島にも展開される可能性があるとの韓国メディアの報道もあり、北朝鮮にとっては自国に対する軍事的脅威が増すばかりの展開だ。
こうした中、8月30日に韓国国防部は、9月に国会へ提出予定の来年度(2023年1月~12月)国防予算案を発表した。それによれば、尹政権初となる国防予算の概要は前年比4.6%増の57兆1268億ウォンで、日本円に換算すると5兆8826億円(注:10月7日のレート)となり、わが国の防衛予算概算請求5兆5947億円を上回る。政府全体予算の増加率が前年度予算の8.9%から5.2%と大幅に減少した中、尹政権は国防予算においては前年3.6%から4.6%へと増加させたことをアピールしている。
盧武鉉政権発足(2003年2月)以降の国防費の推移をみると、独自の軍事力確保を主張する進歩政権の方が保守政権よりも平均して高い増加率を記録してきた。「国防改革2.0」の実現を掲げた文在寅前政権期は年平均6.2%あまりの国防費の増加率を記録。特に任期前半の3年間は年平均7.5%と高い増加率で推移した。そうしたことも踏まえ、尹政権の支持層である保守系は北朝鮮に対して厳しい姿勢で臨むように求める傾向があることから、苦しい財政事情の中で支持層への配慮も込めた数字(増加率)をアピールしているのだろう。また前述の通り、米国からの具体的な拡大抑止力確保に目処が立ったことで、自国の国防費支出に一定程度抑制を効かせることが可能になったものと考えられる。
このような米韓の動きに対して、北朝鮮はその都度敏感に反応してきた。米韓首脳会談から1カ月後の6月21日から23日にかけて開かれた朝鮮労働党中央軍事委員会の拡大会議では、前線部隊の作戦任務追加や作戦計画の変更が決まったとされる。その際、朝鮮半島南部とみられる地図を背景に金正恩総書記が軍幹部から説明を受けている写真が党機関紙の『労働新聞』に掲載され、韓国メディアでは有事に応援戦力として駆けつける米軍部隊に戦術核が使用されるのではないかとの分析がなされた。また、9月7日・8日に開催された最高人民会議において、核兵器の使用目的をこれまで規定していた「報復」だけに限定せず「先制使用」を事実上可能とする法令が採択された。さらに、金正恩総書記自らが、核兵器を絶対に手放さないことを明言した上で、核兵器使用の5条件を提示したのである。
こうした米韓と北朝鮮の互いの抑止力をめぐる進展と対立が日韓の安保協力を急速に改善させる作用をもたらしている。日本海での日米韓海軍合同演習の実施や、本年8月の拙稿でも紹介したフィリピンでの米比合同軍事演習には陸上自衛隊水陸機動団に加えて韓国海兵隊が初めて参加した。今後は、米韓と北朝鮮との間で抑止力をめぐるぶつかり合いが続く中、日米韓安保協力がどの程度まで深化していくのかが注目される。