メディア掲載  エネルギー・環境  2022.11.25

日本の「グリーン自滅」を防げ

産経新聞 2022年11月16日付「正論」に掲載

エネルギー・環境

岸田文雄首相肝いりのGX(グリーントランスフォーメーション)実行会議で、政府は官民合わせ10年間で150兆円を投資し、脱炭素による経済成長を目指す、とした。だが現行の案では、むしろ巨大な国民負担となり、日本経済が崩壊する懸念が大だ。

150兆円の費用負担

政府は2009年の民主党政権時からCO2を削減しつつ経済成長するグリーン成長に言及していた。当時の目玉は太陽光発電の大量導入だった。だが結果として、いま年間3兆円の再生可能エネルギー賦課金が国民負担となっている。経済成長どころではない。

さていま政府は20兆円の「GX経済移行債」(GX債)を原資にグリーン技術への投資に加え、130兆円の民間投資を「規制と支援を一体として促進する」としている。だがこれは太陽光発電を導入してきたのと同じことを何倍にもするという意味だ。光熱費はどこまで上がるのか。

いまリストアップされている技術はどうか。再生可能エネルギーを最優先し、そのための送電線や蓄電池の導入、そして水素の利用等となっている。だがこれは、万事順調に技術開発が進んだとしても、大幅に高コストになる。

政府はこれら新規技術の既存技術との価格差の補填(ほてん)までするという。150兆円の投資はそのまま国民負担になり、日本はますます高コスト体質になる。経済成長に資するはずがない。

そもそも日本政府の現状分析がお粗末だ。政府は「2050年にCO2排出を実質ゼロにする」という国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP)のパリ協定の下で各国が掲げた目標の達成を前提としている。だから「どんな高価な技術でもCO2さえゼロならばよい」という奇妙な論法になる。現実には世界中で化石燃料を使っている。これで2050年までにゼロになることは技術的にも、政治的にもありえない。

本当のリスクは中露だ

過去30年間、「冷戦は終わった。地球規模の協力で温暖化が解決される」という物語が先進国を中心に共有されてきた。だが現実には中露とG7(先進7カ国)の「新冷戦」が始まった。これは「独裁主義」対「民主主義」の戦いで、困難なものだ。

その緒戦において明らかになったのは、脱炭素に傾倒した欧米のエネルギー政策が完全な失敗だったことだ。再エネに幻想を抱き、化石燃料産業を抑圧したことで自ら作り出したエネルギー供給の脆弱(ぜいじゃく)性をロシアに突かれた。世界はエネルギー危機に襲われている。

脱炭素はもはや形だけになった。いまや欧米諸国も、中国も、インドも、世界中の国が化石燃料の確保に奔走している。

中国は発電の過半を安価な石炭火力が担い続けながら、原発を拡大しており、2030年には米国を抜いて世界一の原発大国となろうとしている。

中国は安いエネルギーで勝負してくる。ところがいまの日本の方針では、エネルギーは高くなる一方だ。これでは産業は衰退する。

温暖化のリスクも合理的に比較すべきだ。台風等の災害の激甚化は起きていない。気候変動に関するモデルによる不吉な予測は不確かだ。そのモデルを信じても温暖化は1兆トンのCO2排出あたりで05度にすぎない。すると年間排出量10億トンの日本のCO2削減が10年遅れても気温は1000分の5度しか上がらない。

中国は製造業こそ国の経済と軍事の根幹だと認識し「中国製造2025」計画を立て、あらゆる政府支援をしている。いま日本が直面するリスクは中露であり、温暖化ではない。製造業は衰退させるのでなく、強化せねばならない。

「日本製造債」に発展解消を

政府は「GX債」の償還のためとして炭素税や排出量取引制度の導入を検討しているが、これは製造業を衰退させる。そもそも国債は、それを原資に経済成長をもたらし、一般財源の税収増で償還すべきものだ。建設国債はこの論理だ。GX債が経済成長をもたらすとしながらその償還に新しい財源が要るというのは論理破綻だ。

GX債を発展解消する一案として、日本の製造業を振興するための「日本製造債」としてはどうか。新冷戦を受け世界各国は製造業の国内回帰を進めている。日本も工場を誘致すべきで、国債は原資になる。

また日本は防衛力強化の必要に迫られている。国内に防衛産業を立地し育てるべきだ。

もちろん、CO2削減技術にも投資すればよい。ただし経済成長に資する見込みのある技術に限る。革新型原子炉や核融合炉などが候補だ。コスト競争力がある技術ならば世界中で喜んで導入される。高価な技術を国内だけで強引に普及させるより、よほどCO2の削減になる。

エネルギー多消費産業も誘致すべきだ。これにはデータセンター等のデジタル産業も含まれる。

CO2」にとらわれて製造業が衰えると新冷戦にも敗れ、日本の民主主義が危うくなる。