ロシアがウクライナに侵攻し5カ月が経過した。今回の軍事衝突の裏で、米国の保守系シンクタンク、ランド研究所の報告書が米政権の戦略に影響を与えたと指摘する声がある。だが、事態がここに至ったのは米欧の戦略ミスである。ランド研究所の提言を読み解いてみよう。
「今般のウクライナでの戦争は、ランド研究所の報告書に基づき、米国がロシア弱体化を狙って仕掛けたもので、台湾においても同様な戦略を取って中国をけしかけ弱体化を図る可能性がある」という言説がある。ネット上で容易に記事がいくつか見つかるが、1つだけリンクを張っておこう(https://www.businessinsider.jp/post-256170)。
ここで引き合いに出されているのが米ランド研究所の2019年の報告書「ロシアを拡張する:有利な条件での競争、Extending Russia: Competing from Advantageous Ground」である。
けれども、よく報告書を読むと、そうは言っていない。以下、説明しよう。
この報告書は、ロシアとの国家間の競争は避けられないと認識したうえで、米国が有利になるような領域を探索したものだ。
検討されたのは、ロシアの軍事、経済、政治的な力を弱体化しうる軍事・非軍事の両面の手段である。
そこでは、米国が優位に立つ領域や地域でロシアが競争するように仕向け、ロシアに軍事的・経済的な過剰な「拡張」を促し、国内外での政権の威信と影響力を失わせるなどの作戦だ。
敵を「拡張」させて疲弊させるという手段は古来多く用いられてきた。
米ソの関係に絞っても、以下の前例がある。
1980年代のカーター政権とレーガン政権の間、大規模な国防強化が行われた。戦略防衛構想(SDI、別名スターウォーズ)も開始された。欧州への中距離核ミサイル配備、アフガニスタンの反ソ抵抗勢力への支援、反ソのレトリック(いわゆる悪の帝国)の強化、ソ連とその衛星国の反体制者への支援などもあった。いずれも、それに対抗するためにソ連は莫大なコストを払うことになった。
それぞれがどの程度の効果があったかは不明ながら、これらの作戦の結果として、ソ連は破綻し、冷戦は終結した。
かかる「拡張」の手段として、同報告では、たしかにウクライナでの戦争も検討している。
だが書きぶりは否定的である。
つまり、ウクライナに強力に支援をすることは、ロシアを疲弊させるという意味で便益は大きいかもしれないが、事態のエスカレーションを引き起こすためコストとリスクが高く、また成功する可能性も五分五分、とされている。以下、何カ所か引用しよう。
ロシアを拡張する方法の1つは、ロシアの対外的なコミットメントをよりコスト高にすることであるが、これは米国とその同盟国やパートナーにとってかなりリスキーであることが判明している。ウクライナとコーカサスにおけるロシアの対外公約は比較的コンパクトで、ロシアと隣接し、少なくとも一部の地元住民が友好的で、地理的にロシアが軍事的に有利な場所にある。本項目で検討する措置は、ロシアが逆エスカレーションを起こす危険性があり、米国が効果的に対応するのは困難であろう。
ウクライナ軍はすでにドンバス地方でロシアに出血させている(その逆も然り)。米国の軍事装備や助言をさらに提供すれば、ロシアは紛争への直接的な関与を強め、その代償を払わされることになりかねない。ロシアは新たな攻勢をかけ、ウクライナの領土をさらに奪取することで対抗するかもしれない。これはロシアの犠牲を増やすかもしれないが、ウクライナだけでなく米国にとっても後退を意味する。
欧州でも中東でも、こうした措置のほとんどは、ロシアの反発を招き、大きな軍事的犠牲を強いる危険性がある。米国の同盟国には大きな政治的コストがかかり、米国自身にも大きな負担となる。ウクライナへの軍事的助言と武器供給を増やすことは、これらの選択肢の中で最も実現性が高く、最も大きな影響を与えるが、そのような構想は、広く拡大する紛争を避けるために非常に慎重に調整されなければならないだろう。
むしろ、じつはランド研究所が推奨していたのは戦争ではなく、エネルギーの増産である。
ランド研究所はロシアの弱点を以下のように分析している。
米国との競争において、ロシアの最大の弱点は、経済規模が比較的小さく、エネルギー輸出に大きく依存していることである。ロシア指導部の最大の不安は、体制の安定と持続性である。
ロシアの最大の強みは、軍事と情報戦の領域である。ロシアは先進的な防空、大砲、ミサイルシステムを配備し、米国やNATOの防空管制や大砲の対砲撃能力を大きく上回っている。このため、米国の地上軍は制空権を持たない中、劣勢な火力支援で戦わざるを得ない可能性がある。ロシアはまた、嘘の情報、破壊、不安定化という旧来の手法に新しい技術を適合させている。
ロシアに対する最も有望な対策は、これらの脆弱性、不安、強みに直接対処し、ロシアの現在の優位性を損なわずに弱点分野を開拓することである。
あらゆる形態の米国エネルギー生産を継続的に拡大し、他の国にも同じことを奨励することは、ロシアの輸出収入、ひいては国家予算や防衛予算に対する圧力を最大化することになる。
あらゆるエネルギーの中で、特に、米国の石油生産の拡大は、便益が大きく、コストとリスクは低く、成功する可能性が高いとされている。米国経済にとっても利益をもたらすうえに、多国間の承認も必要ない。
米国の石油生産を促進することは、さまざまなメリットをもたらす。最も直接的なのは、原油価格が下がることであり、その結果、ロシアの輸出収益は激減する。これはロシアの最も脆弱な部分を直撃する。
米国内では、企業や消費者の物価を引き下げることができる。企業がトラックの燃料として石油のお金を使う代わりに、例えば、雇用の創出、賃金の上昇、近代的なインフラ整備への投資、株主への高配当に充てることができる。消費者は、石油製品に使うはずだったお金を、他の商品やサービスの購入に回し、国内および世界経済の拡大に貢献することができる。
同様に、ロシアのガス輸出に対抗することも便益は大きいとされた。これには、米国のガス増産と欧州への輸出、ロシアから欧州へのガスパイプライン建設の阻止、欧州において環境問題を理由に採掘が進んでいなかったシェールガスの開発などが含まれる。
ただこれについては、欧州にとってはロシアからのパイプラインに比べて割高なガスとなり、経済的なコストがかかるので、その協力が得られるかどうかに正否が依存するとされていた。
さてそれで、米国と欧州は何をしたか?
ランド研究所の提言の真逆をやったのだ。
まず米国はウクライナの軍備強化を支援し、ロシアとの緊張を高めた。
のみならず、バイデン政権は「グリーンディール」を掲げ、CO2を排出するとして自国の化石燃料産業を目の敵にした。
バイデン大統領は2019年に「化石燃料を終わらせる」と約束した。この約束は、米国の石油、ガス、石炭の膨大な埋蔵量を考えれば、ロシアやサウジアラビアが同じことを約束するのとほとんど同じ意味を持った。バイデン大統領はカナダの油田と米メキシコ湾岸の製油所を結ぶキーストーンXLパイプラインを就任初日に阻止するなど、米国の石油・ガス開発を妨げてきた。
欧州は「ネット・ゼロ」を掲げ、温室効果ガスを排出する石炭、石油の利用を減らし、また足下にあるガスの採掘もしなかった。それに代えて再生可能エネルギーを導入したが、十分ではなく、結果としてロシアのガスへの依存がどんどん高まった。
米欧がこのようなエネルギー政策を取った結果、世界の石油・ガス価格は2021年に高騰し、ロシアは潤沢な資金を得て、対ロシア依存という脆弱性を抱える欧州の足下を見てウクライナ侵攻に踏み切った。
いまになって、欧州は慌ててロシア依存を脱しようとして、世界中からガス、石油、石炭を買い漁っている。だがこれは、ランド研究所が提言したように、戦争を招く前にしておけばよかったことだ。
時すでに遅し、である。