日本は電力不足が常態化している。これはかつて何十年も無かったことだ。
今夏も電力不足が予想されており、経済産業省は5月27日、電力需給対策を発表した。電力会社には休止中の火力発電所の再稼働や燃料の追加調達を求める。家庭や企業にはできる限りの節電協力を呼びかける。罰則つきの電力使用制限令も準備されている。
なぜこんなことになったのか。停止中の原子力発電を再稼働し、火力発電所が次々と休廃止されるのを防ぎさえすればよいはずだ。だが政府は国民に我慢を強いるばかりで、抜本的な対策をとらない。
これでは電力不足はますます深刻になり、経済活動に甚大な悪影響が生じる。なぜ日本はこんなことになってしまったのか。
電力は、消費される量と生産される量を常時バランスさせておく必要がある。これは「同時同量」の原則と呼ばれる。図を用いて説明しよう。
電力消費は、朝、人々が活動を始めると増え、昼間から夕方にかけてピークになって、夜になるとまた下がる、というサイクルを毎日繰り返す。この電力消費と同量だけ電力供給が必要になる。
発電所には様々な方式があるが、その役割分担は異なり、全体としての経済性を達成するように組み合わせて運用する。これを「経済負荷配分」という。まず、燃料費の安い原子力発電所や、燃料費の要らない地熱発電所は24時間フル出力で運転する。
だが太陽光および風力発電所は天候によって常に出力が変動する。そこで液化天然ガス(LNG)、石油、石炭などを燃料とする火力発電所は、電力需要と電力供給の差分を埋めるべく、出力を刻々と変化させることになる。
水力発電は、雨量によっても発電量が変わるが、ある程度はダムから落とす水量を調節して出力を変えることもできる。揚水発電はバッテリーのような機能を持つ。即ちダムが上下に2つあり、電力供給が需要を上回った時には、上のダムに水をポンプで汲み上げて「充電」し、下回った時には水を落として発電機を回し「放電」する。
さて、日本政府は2030年にはCO2等の温室効果ガスを2013年比で46%減、2050年にはゼロにする、としている。日本のCO2排出の4割を占める火力発電所は、この脱炭素政策の最大の標的にされてきた。
それに加えて、再生可能エネルギー全量買取制度によって莫大な補助を受けた太陽光発電が大量に導入されたことで、火力発電所は休廃止を余儀なくされてきた。
どういうことか。太陽光発電が大量導入された結果、火力発電所の稼働率は下がった。それで火力発電所の売り上げが減り、運転維持費すら捻出できなくなってしまったのだ。
火力発電所が不足したため、需給が逼迫したときに、必要な供給力が確保できなくなった。太陽光発電はもとより都合よく発電してはくれない。この3月22日には東京電力管内では大停電一歩手前になったが、そのときも太陽光発電は殆ど発電していなかった。
したがって電力の安定供給のためには、本来は、応分の対価を支払って稼働率が低下した火力発電所を維持する必要がある。だが火力発電の優遇は「脱炭素」の方針に反し、また既存の電気事業者の発電所の維持に対価を支払うことは「電力市場自由化」の方針に反する、という風潮にあって、それが疎かになっていた。
なぜ電力市場の自由化が行われたのか。平成の初めまでは、東京電力や関西電力などがその地域のエネルギーを独占的に供給していた。これでは電気料金が十分に下がらないと、電力会社を新規参入させて競争させることで利用者の利便性を高めようとしたのが電力の自由化だ。当初は、供給力不足などは想定外だった。だが結果として供給力不足が発生し、電気料金も下がるどころか逆に上がってしまったのだ。
東京都は5月24日に住宅への太陽光パネル設置義務化の条例案をまとめた。大手住宅建設事業者に対して、販売戸数の85%以上に太陽光パネルの設置を義務付けるとのことで、新築住宅の半数強が対象になるとみられる。
国土交通省の資料を見ると、建築主は150万円の太陽光発電システムを設置しても、15年で元が取れるという。だがここにはカラクリがある。
太陽光発電システムを設置する建築主は、自家消費分の電気代を減らしたり、電力会社に売電をしたりして、高額な収入を得ることができる。売電時には、電力会社が高く買い上げる制度がある。
けれども、本当は太陽光発電の価値はもっと低い。よく1キロワットの電気1時間分の発電コストを比較して、太陽光発電は安くなった、という意見を聞く。
だが電気は欲しいときにスイッチを入れて使えるからこそ価値があるのだ。電気を使う側としてはもちろん天気によらず昼夜を問わず電気は必要だ。だから、太陽光発電を導入しても、太陽が照っていない時のために、火力発電の設備はやはり必要だ。太陽光発電は必然的に二重投資になる。
すると太陽光発電の価値というのは、日が照っているときに火力発電所の燃料消費量を減らす分しかない。これを回避可能原価という。
経産省の発電コスト試算によれば、石炭火力とLNG火力の燃料費は平均してだいたい1キロワットを1時間で5円程度と見通されている。
これが太陽光発電のお陰で実際に節約できる発電コストになる。これは15年の累積で50万円にしかならない。
つまり150万円の太陽光パネルを購入すると、建築主は15年で元が取れることになっているが、じつは発電される電気の価値は僅か50万円しかない。残りの100万円は再生可能エネルギー発電促進賦課金や電気料金の形で一般国民の負担になる。
「東京に日当たりも良く広い家を買って、理想的な日照条件で太陽光発電パネルを設置できるお金持ちな人が、一般国民から100万円を受け取って太陽光発電を付け、元を取る」というのが、「太陽光発電義務化」の正体だ。
なお以上の計算では、太陽光発電による自家消費削減分まで5円しか価値がないとしているが、これに違和感を覚える方もいるかもしれない。家庭電気料金は通常25円程度するからだ。だがこの25円という料金は、何時でもスイッチを入れれば電気が得られるという「便利な電気」の料金だ。この内訳としては火力発電所があり、原子力発電所があり、送電線があり、配電線があり、その建設・維持のための費用がその大半を占めている。25円と5円の差額である20円がこれにあたる。この費用はいくら太陽光発電を増やしても全く節約できない。
もしもそれでも納得できなければ、文字通り電線を切ってしまって、配電線から自宅を「電気自立」させてみることを想像するとよい。そうすると晴れているときしか電気は使えないので、ふつうの家庭生活はまず送れなくなる。バッテリーを沢山買って電気を貯めておくとすると、更にもっと費用がかかる。1週間曇天でも常時電気を使えるぐらいバッテリーを買っておくとなると、25円などよりも桁違いに電気代は高くなってしまうだろう。こう考えると、スイッチを入れればいつでも使える便利な電気が25円というのはとても割安だ。
だが家を買える人がみな元を取れる訳でも無い。東京に家を買うという場合、大抵はギリギリの敷地に、建蔽率や容積率等を考慮してパズルのように家を建てる。屋根の向きも思うに任せない。太陽光発電のためには南向きに程よい傾斜になった広い屋根が望ましいが、そんな家を建てる余裕がある人はどれだけいるのか。85%の住宅に義務付けるというが、思ったほど発電できなければ、建築主も損をする。結局のところ、庶民は、家を買っても買わなくても損をするのではないか。
そもそも、そこまでして太陽光パネルを導入すべきか。
いま、世界における太陽光発電用の多結晶シリコンの80%は中国製だ。そして、その半分以上が新疆ウイグル自治区における生産であり、世界に占める新疆ウイグルの生産量シェアは実に45%に達する。いま太陽光発電を義務付けることは、ジェノサイドへの加担になりかねない。米国は既に法律によってウイグル製品を全て輸入禁止にしている。
さてこの住宅への太陽光パネル義務化の話は、もともと国交省で検討していたところ、無理があるとして見送られたものだ。小池百合子都知事は国がやらないとなると、ますます張り切るということだろうか。
だがそれよりも、国ができなかった新疆ウイグル自治区におけるジェノサイドの非難決議をした上で、新疆ウイグル産の製品の輸入禁止を国に訴えてはどうか。
太陽光発電だけではなく、風力発電もいまや中国が世界市場を席捲している。
かつては安定した強い風の吹く北海・バルト海の地理的有利性を活用して、欧州諸国が世界の風力発電の先頭に立ってきた。だがこの状況はすっかり変わった。昨年世界で導入された洋上風力設備容量2100万キロワットのうち中国が8割、1800万キロワットを占めた。設備製造量のシェアでも2021年には中国が世界の4分の3を占めた。陸上風力発電設備についても、その半分以上は中国メーカーにより供給されている。
中国メーカーは、欧州市場にも進出を始めている。日本はいまから洋上風力を導入し、2030年までに1000万キロワット、2040年までに4500万キロワットという計画になっているが、中国製品を大量に輸入することになるのではないか。仮に日本のメーカーが建てるとしても、部品は中国から供給されるのではないか。
発電機には磁石が必要だが、この磁石に用いるレアアースであるネオジムの採掘・精錬は中国が世界の9割を占めている。これを原料として生産するネオジム磁石も中国が世界の9割を占めており、日本は1割しかない。脱ロシア・脱炭素を理由に風力発電を推進すると、欧州も日本も、こんどは新たな中国依存を作り出す。
そもそも日本は風況が悪く、風力発電に向かない。日本で洋上風力発電の建設が多く予定されているのは北海道や東北地方の日本海側であるが、風力発電設備の稼働率は安定した偏西風が吹く欧州に比べて低くなり、それだけでコストは5割増しになる。
洋上風力建設にあたっては国防上の問題も指摘されている。海洋の地形・気象データが中国企業に漏洩すること、また、防衛用のレーダーの機能に支障が出て、ミサイルが発見できなくなるなどだ。
この状況で洋上風力を推進するとなると、高いコストは国民負担となって跳ね返り、中国企業ばかりが儲かり、防衛上の問題が生じるのみならず、中国依存がますます高まる。これでは、太陽光発電の失敗の二の舞ではないか。
失敗しているのは日本だけではない。ウクライナ戦争の直前まで、欧米諸国は「脱炭素」に邁進し、エネルギー安全保障をなおざりにしてきた。そのせいで、いま世界中が酷い目に遭っている。
欧州連合(EU)はガス輸入量を4割もロシアに依存してきた。ドイツなどの脱原発に加えて、脱炭素のせいだ。石炭火力は縮小された。足元に埋まっていたシェールガスの開発は行われなかった。その結果、風力発電とロシアからのガス輸入が拡大し、「風とロシア頼み」の状態になった。だが昨年は風が吹かず、ロシアのガス頼みとなり、これではガスの禁輸などできないと欧州の足下を見たプーチンはウクライナに侵攻した。
慌てた欧州は、脱ロシアを進めるためとして、あらゆる化石燃料の調達に奔走している。
イギリスは新規炭鉱を開発する。ドイツは石炭火力のフル稼働を準備している。天然ガスの採掘もする。イタリアも石炭火力の再稼働を検討中だ。
欧州は南アフリカ、コロンビア、アメリカからの石炭購入を増やしている。ボツワナからも輸入しようとしている。
欧州の大失敗のせいで、世界中のあらゆる化石燃料エネルギーが品薄になった。気の毒なのは、あおりを受けた貧しい国々だ。
インド政府は燃料輸入に補助金をつけた上で石炭火力にフル稼働を命じた。更に100以上の炭鉱を再稼働し、今後2~3年で1億トンの石炭増産を見込む。炭鉱の環境規制も緩和した。ベトナムも国内の石炭生産を拡大する。欧州発の大問題のせいで、途上国はみな化石燃料と電力の確保に必死だ。
ところが欧州諸国の政府は、脱炭素政策という誤りで世界に迷惑をかけたことを認めない。それどころか、先日ベルリンで開催されたG7エネルギー環境大臣会合では、脱炭素のためとして今年末までに化石燃料事業への海外融資を停止すると合意してしまった。
だがその一方で欧州が化石燃料の調達に世界中を奔走しているのは、完全に偽善だ。
米国共和党でかつてトランプ政権の国務長官を務めたマイケル・R・ポンペオが米シンクタンク・ハドソン研究所から「ウクライナの戦争は、なぜ世界が米国のエネルギー・ドミナンス(優勢)を必要とするのかを明らかにした」という論説を発表した。
「気候変動活動家に後押しされバイデン政権はアメリカの石油、天然ガス、石炭、原子力を敵視する政策をとってきた。これがなければ、米国も欧州も戦略的にはるかに有利な立場にあり、プーチンのウクライナでの戦争を抑止できた。…欧州はロシアのエネルギー供給に依存して脆弱性を作りだしてきた。だが本来は、それは米国が供給すべきものだったのだ。
…我々は、米国のエネルギーの力を解き放たねばならない。天然ガスやクリーンコール(環境負荷の少ない石炭)などのクリーンエネルギーを、欧州やインド太平洋地域の同盟国に輸出する努力を倍加させねばならない。…我々共和党は秋の中間選挙で大勝し、彼の環境に固執したエネルギー政策を覆し、米国のエネルギー・ドミナンスを取り戻す」
何と力強い言であろうか。ポンペオ氏はエネルギーを国家経済の兵站と位置付けていることが分かる。兵站を軽視する国は敗れる。これは日本にとって、第2次世界大戦の重要な教訓だったはずだ。
これから秋の中間選挙、そして次の大統領選挙を経て、米国共和党が世界を変えてゆく可能性はかなり高い。日本は、そのときの対米関係まで予想して、バイデン政権の下でのいまなお脱炭素一本槍のエネルギー政策とは距離を置くべきだ。
具体的にはどうするか。日本は資源に乏しいので単独ではエネルギー・ドミナンスを達成することはできない。だが米国と共にアジア太平洋におけるエネルギー・ドミナンスを達成することはできる。それは、ポンペオが指摘しているように、天然ガス、石炭火力、原子力などを国内で最大限活用すること、そして友好国の資源開発および火力発電事業に協力することだ。この時には、日本の優れた火力発電技術が活用できる。
いま日米がエネルギー・ドミナンスに舵を切らなければ、中国に打倒されるだろう。
ウクライナ戦争後のエネルギー危機を受けて、中国は年間3億トンの石炭生産能力を増強することを決定した。これだけで日本の年間石炭消費量の倍近くだ。また中国は25年に原発の発電能力を7500万キロワットまで増やす計画で、30年には1億2千万キロワットから1億5000万キロワットを視野に建設認可を進めている。これはフランスと米国を追い抜く規模である。安価で安定した電力供給を中国が確立する一方で、脱炭素で高コスト化し脆弱な電力しか日米に無ければ、我々はいったい戦えるだろうか。
日本は電力自由化の名の下、大手の電気事業者を解体・弱体化する一方で、政府は諸制度によって安定供給を担保する方針だったが失敗し、電力不足に陥った。やはり長期的・戦略的視野に立って安定供給を実現するには、責任を持った強くて統合された電気事業者が必要なのではないか。それは米国と共にエネルギー・ドミナンスを達成する条件でもあるまいか。
今や欧米諸国が実質的には離脱しつつある脱炭素路線に日本だけが固執するのは、自殺行為に他ならない。