メディア掲載  エネルギー・環境  2022.07.11

ロシアの戦争でこれまでの気候政策は終わる

皮肉なことに、数十年にわたる懸命な気候政策よりも、地政学的な争いやエネルギー欠乏の方が気候変動に大きく影響するであろう

NPO法人 国際環境経済研究所(IEEI)HPに掲載(2022年6月22日)

NPO法人 国際環境経済研究所(IEEI)HPに掲載(2022年6月24日)

NPO法人 国際環境経済研究所(IEEI)HPに掲載(2022年6月27日)

エネルギー・環境

監訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志  邦訳:木村史子

過去30年、世界諸国は気候変動問題に取り組んできたが、あまり成果は上がらなかった。そして今般の戦争で、これまでの気候変動対策は終わりを告げるだろう。しかし、安全保障の観点から各国が強力に、しかも現実的な政策を推進する結果、むしろこれまでよりも気候変動への対策は進むのではないか。内外で見直されている原子力発電はその筆頭だ。日本の高効率火力発電やハイブリッド自動車などもそうだろう。以下、Foreign Policy https://foreignpolicy.com/ より許可を得て全文を邦訳する。


ロシアの戦車がウクライナに進入した4日後、国連の気候変動に関する政府間パネルは、地球温暖化の影響に関する最新の評価結果を発表した。主要なメディアは、この報告書から最も厳しいシナリオと調査結果を選び出すことに全力を尽くした。しかし、1945年以来初めて、ヨーロッパでの大規模な戦争が勃発したため、この報告書は一面を飾らずせいぜい小さく扱われるにとどまった。「気候変動は、われわれが適応できる速度を上回って地球に害を及ぼしている」という見出しは、「プーチンは核の選択肢を振りかざしている」という見出しに対抗できなかったことは象徴的だ。

この間、西欧では、ロシアの石油、ガス、石炭を代替供給源に置き換えることに躍起になっており、侵略のわずか3カ月前にスコットランドのグラスゴーで開かれた国連気候サミットにおいてヨーロッパの主要国が表明したネットゼロエミッションの公約は、意味をなさないものになっている。むしろすでにエネルギー不足と価格高騰に悩まされていた国々が、東方の化石燃料大国の暴走に直面し、エネルギー安全保障の問題が再燃している状況なのだ。

冷戦終結後の数十年間は、世界的な安定とエネルギーへの容易なアクセスにより、現代社会にとって豊富なエネルギーがいかに重要であるかを多くの人が忘れていた。また、気候変動への懸念や再生可能燃料の普及により、化石燃料に依存している社会の現状を過小評価する向きもある。しかし、石油、ガス、石炭へのアクセスは、依然として国家の運命を左右している。20年間、炭素を燃料とすることから起こる大災害を心配するとともに、再生可能エネルギーへの移行に何兆ドルもの資金を費やしたが、この基本的な事実は変わっていないのである。

実際、一夜にして起きたウクライナでの戦争は、ポスト冷戦の時代に幕を下ろした。それはヨーロッパの長い平和な時代に終止符を打っただけでなく、エネルギー資源へのアクセスという根本的な問題を前面に押し出したのだ。地政学的な要因によるエネルギー危機とエネルギー資源競争を特徴とする新時代は、気候変動への懸念を優先リストの下位に押しやりつつある。このような状況の中に明るい兆しもあるとするならば、それは、エネルギー安全保障の必要性に焦点が戻ることは、気候変動にとって最悪の事態ではないかもしれない、ということである。過去30年間、国際的な気候変動対策が温室効果ガス排出量にほとんど効果をもたらさなかったことを考えれば、エネルギー現実政治(リアルポリティーク)に立ち返ることで、これまで世界中で行われてきた気候変動対策活動や政策立案に見られるような理想主義的な計画から脱却し、低炭素型の世界経済への移行を今後数十年で実際に加速させる可能性があるのだ。

冷戦が終わりを迎えようとしていた頃、気候変動問題が世界的に議論されるようになった。ある現実的な脅威が後退したように見える一方で、別の脅威が見えてきたのだ。国際社会、特に国連とその諸機関にとっては、気候変動は単なる環境問題ではなく、冷戦後の秩序をより公平で、多国的で、政治的に統合されたものに再構築する機会を提供するものとなったのである。

もっとも、1990 年代初頭に気候変動対策の枠組みができたとき、それは冷戦時代の経験に基づくものであった。米ソの軍備管理協定は、気候変動に関する国際協力のモデルとされることになった。超大国同士が核兵器の保有量を徐々に削減する条約を結んだように、各国も温室効果ガスの排出量を削減することを約束することになったのである。しかし、法的拘束力のある排出量制限を提案する最初の主要な協定である1997年京都議定書は、交渉がまとまる以前に、米国上院がその条件を全会一致で拒否した瞬間から破綻していたのだ。米国の反対に加えて、中国やインドのようなエネルギーに飢えた急成長国が排出量の制限を検討することさえ嫌がるのは当然であり、国際的な気候変動対策が役に立たないことは目に見えていた。

国際的な気候変動対策は、意欲的な目標と拘束力のない公約が交渉の通貨となり、実質的な実施能力を欠いていた。持続可能な開発目標や生物多様性条約など、1990年代から2000年代初頭にかけて登場した他の国連機関の構想と同様、その目的は主に、人々を説得し、奮起させることにあった。毎年開催される国連の気候変動会議は、世界中のメディアを通じて、産業革命以前の水準から1.5度上昇までに温暖化を抑える、再生可能エネルギーで世界をまかなう、有機農業へと転換する、緩和策と適応策のために富裕国から貧困国へ何千億ドルも移転する、といった地球環境運動の理想郷をあたかも現実のものとして語ることができる舞台となったのである。

しかし、実際には違うことが起きている。世界のエネルギーシステムにおける炭素集約度は、エネルギー効率の向上、原子力の普及、世界経済構造の変化により、初めての国連気候会議までの30年間の方が、締結後よりも早く低下していた。じつは、京都議定書が採択された1997年以降には、総排出量も一人当たりの排出量もそれ以前より早く増加したのである。

気象関連の死亡者数が減少を続けていることからも明らかな通り、気温の上昇や異常気象に対する適応能力も大幅に向上した。しかし、このことは国連が主導する気候変動への適応策に資金を提供する取り組みによるものではない。むしろその取り組みでは実現できなかったことである。世界中の人々が気候変動に対して頑強になったのは、安価な化石燃料を動力とする経済成長のおかげで、より良いインフラとより安全な住宅を手に入れることができたからである。

冷戦時代の地政学的、技術的、経済的競争は、その後の気候変動対策よりも、世界経済の炭素集約度を下げることに成功した。温室効果ガスの排出のない原子力発電は、軍拡競争から派生したものだ。それは卓越した技術力、そして原子力の平和利用が可能であることを示すものであった。 イスラエルとアラブ世界の代理戦争から生まれた1973年のアラブ石油禁輸は、20年にわたるエネルギー効率の目覚しい改善、発電と暖房の石油からの移行、そして原子力の急速な増強のきっかけとなった。原子力発電の先駆者であるフランスは、現在もG7先進国の中で最も環境にやさしい経済になっている。太陽光発電パネルは、大国の宇宙開発競争のために開発されたものだが、カーター政権のエネルギー自立化政策の一環として実用化された。また、自動車の燃費効率が飛躍的に向上したのもこの時代である。

世界的に見ると、原子力、水力、再生可能エネルギーといったクリーンなエネルギーによる電力の割合は、冷戦終結直後の1993年にピークに達している。世界が温室効果ガス削減という共通の目標に向かって、瀬戸際政策から協調政策に転じるという期待は裏切られた。むしろ、冷戦後の平和と繁栄、そして豊富で安価なエネルギーへの依存が、エネルギー安全保障に大規模な投資を行う国家のインセンティブを劇的に低下させたのである。大きな紛争のない統合された世界経済では、世界はロシアのガスや中東の石油、そして最近では中国のソーラーパネルでまかなうことができた。

そんな世界が224日に終わりを迎えた。

政治家、政策立案者、学者、シンクタンクのアナリスト、ジャーナリスト、活動家など、気候に関する評論家の多くは、エネルギーの地政学の急激な復活と化石燃料の不足にショックを受けているようだ。多くの人々にとって、この戦争はまさに化石燃料を非難し、再生可能エネルギーを促進する新たな機会を提供したにすぎない。環境保護推進派のビル・マッキベンは、『ニューヨーカー』誌の長編エッセイで、ウクライナと全世界が燃えているのは、私たちが物を燃やし続けているからだと主張した。マッキベンは、太陽光や風力エネルギー、電気自動車への転換により、ロシア大統領ウラジーミル・プーチンのような独裁者への依存から解放されるだろうと主張したが、これは最近の気候変動関連の言説でよく聞かれる言葉である。マッキベンが触れなかったのは、世界のソーラーパネルとバッテリーの生産のほとんどが、もう一人の独裁者である中国の習近平国家主席によってコントロールされていること、そして過去10年間にヨーロッパが化石燃料生産の停止と再生可能エネルギーへのシフトを急いだことにより、ロシアの石油とガスへの依存度が大幅に高まったことである。

マッキベンやその他の環境保護推進派たちが提示する安易な解決策は、ロシアの軍事侵攻以来、世界がいかに大きく様変わりしたかを含め、多くの事柄を考慮に入れていない。ヨーロッパがロシアの石油とガスに大きく依存していることは、氷山の一角に過ぎない。世界の再生可能エネルギー経済は、地政学的に問題のあるサプライチェーンと深く絡み合っているのだ。シリコン、リチウム、レアアースの世界の供給の大部分は中国に依存しており、ソーラーパネルは強制収容所でのウイグル人の強制労働によって生産されている。欧米がロシアの石油やガスに依存するよりも、中国製のソーラーパネルやバッテリーに依存することを選べば、この危機は解決するかもしれないという考えは、正義や人権、民主主義に対する環境保護運動の姿勢がいかにいいかげんなものであるかを露呈している。

民主主義と自由主義が再び脅威にさらされている今、エネルギー安全保障の問題は、もはや誰と取引を行うかという問題と切り離すことはできない。ロシアと中国は、征服戦争などを通じて、国内外でより広範に自由民主主義的規範の権威を失墜させようとしており、エネルギーの地政学は、世界秩序のルールをめぐる広範な対立の枠外で理解することは不可能である。我々のエネルギーについての選択次第では、こうした権威主義的な体制に対抗する我々の能力を高めることも、妨げることもできるだろう。

ウクライナ危機の発生で、新たな現実がすでに明らかになっている。バイデン政権は224日以降、連邦政府所有地の利用を制限することで、米国内の石油・ガス生産を減速・停止させようとする方針から転換している。その代わりに、生産量を上げられない企業には、採掘権の取り消しや他者への譲渡で脅すようになった。また、ロシアを主要供給国とするウランの処理・濃縮を、国内で大幅に拡大するための予算要求も提出した。また、国防生産法を適用して、中国が供給している重要鉱物の国産化を進めようとしている。化石燃料、非化石燃料、原子力、再生可能エネルギーのエネルギーのサプライチェーン全体でのロシアと中国からの供給に的が絞られている。

同じことが、ヨーロッパでも起こっている。米国の気候変動特使ジョン・ケリーと欧州連合のカウンターパートは、近年、石油・ガス開発のための国際的な資金を排除する努力を主導してきたが、突然、方針を一転させたのである。ナイジェリアからモロッコへ、そしてモロッコからヨーロッパの市場へと天然ガスを運ぶサハラ砂漠横断ガスパイプラインは、ヨーロッパの気候政策立案者からの反対と資金不足のために停滞していたが、現在再び動き始めている。ヨーロッパがアフリカのガスを必要としている今、アフリカ人もついに自国のエネルギー供給の恩恵を受けるに至ったようだ。

ポーランド、ルーマニア、チェコといった東欧諸国は、長い間ロシアのガスに頼ることを警戒し、ドイツからは偏執的と揶揄されてきたが、現在、米国から新しい原子力技術を調達する計画を進めている。もしドイツがメルケル政権時代に、世界有数の原子力技術資産をロシアのロスアトムに売却していなければ、彼らはこの技術をドイツから得ていたかもしれない。

アジアでも、エネルギー現実政治が復活している。韓国は近年、原子力を縮小してきたが、化石燃料の価格上昇と再生可能エネルギーへの移行コストの高騰を理由に、原子力を再び拡大する計画を発表したばかりだ。日本では、2011年の福島原発事故以来初めて、国民の過半数が政府の原子炉再稼働計画を支持するようになった。

ウクライナ侵攻後のエネルギー政策は、冷戦時代と同様、エネルギー安全保障の要請によって左右される可能性が高い。各国のエネルギー政策は、近年の気候政策に反映されてきたうわべの科学的目標ではなく、自国が利用し得るエネルギー供給によって制約を受けることになるだろう。

1970年代のエネルギー危機を受け、化石燃料資源と技術力に恵まれた米国は、ありとあらゆるエネルギー資源に資金を投入した。米国西部で石炭層の開発を加速させ、東海岸に石炭を運ぶ鉄道網を整備し、シェールガス、オイルシェール、石炭系合成燃料など非在来型石油・ガス生産の開発に膨大な資源を投じた。また、ソーラーパネル、風力発電、LED照明からコンバインド・サイクル・ガスタービン、燃料噴射式エンジンに至るまで、エネルギー効率の高い技術の実用化に向けた基礎的な投資も行った。

フランス、スウェーデン、日本は、化石燃料をほとんど持たず、原子力発電の大規模な増強に投資した。イギリスは、北海ガスへの転換を図り、石炭への依存とそれに伴う労働争議から脱却した。

気候変動への懸念が化石エネルギー開発に与えてきたどんなわずかな制約であれ、今後数年間の供給不足、価格高騰、その他のエネルギー安全保障への懸念に直面して、その重要性が低下すると思われる。

しかし、化石エネルギー開発の継続は、短期的には二酸化炭素排出量にわずかな影響しか与えないだろう。その理由のひとつは、世界の大半の地域で石油やガスの生産を急速に拡大できるキャパシティがほとんどないためだ。低コストで簡単にアクセスできる油田・ガス田のほとんどはすでに開発されており、新規生産は難しく、採掘コストも高くなる。既存の油田は自然に衰退していくため、新たな生産が行われても、供給量の大幅な増加につながるとは考えにくい。

化石燃料の供給が制約され、エネルギー安全保障が新たに求められるようになると、非化石エネルギーやあらゆる種類のインフラの開発に恩恵がもたらされる可能性がある。例えば、米国で長年にわたって行われてきた原子炉の建設許可に対する環境保護推進派の反対は、ウクライナ侵攻以前と比べるとはるかに通用しにくくなっている。同様に、大西洋岸の洋上風力発電所や、ドイツの風況の良い北部から人口の多い南部へ風力エネルギーを運ぶ長距離送電線の新設などについても、NIMBYNot In My Back Yard)が反対を維持することは難しいであろう。すでにドイツとEUは、認可を早めるために環境保護の規制を緩和する動きを見せている。

いずれの場合も、ウクライナ後のエネルギーの緊急事態は、「気候変動の緊急事態」がなし得なかったことの多くを成し遂げる可能性がある。

環境保護運動は、規制による解決策に偏重し、技術を恣意的に選ぶため、温暖化に大きな影響を与えるのに必要な規模の効果的な気候政策を提唱することができなかった。皮肉なことに、特に欧米では、気候変動の問題を中心から外し、エネルギーの安全保障を重視することで、気候変動に関する取り組みがこれまで達成できなかったことを、はるかに上回る効果が得られるだろう。

その一方で、気候変動が主要な課題となることはないだろう。米国と欧州が国際社会を動員してロシアを政治的、経済的に孤立させようとする中で、あまり注目されなかった事象として、中国、インド、そして発展途上国の多くが乗り気でなかったことがある。

これは実利的な面もある。ロシアは世界の多くの地域にとって食糧、燃料、肥料、軍需品、その他の重要な商品の主要な供給国である。だが、ロシア型の社会の腐敗、非自由主義、民族主義が、世界の多くの地域で、ルールではないにせよ、一般的であることも理由の一つだ。プーチンの戦争は、彼らの戦争ではないだろう。しかしながら、世界の多くの国の指導者は、冷戦後の時代を形成してきた西側の制度や規範に対するプーチンの広範な拒否に共感しているようだ。

しかし、かかる親ロシア主義的な思想には、米国と欧州の指導者たちの矛盾した理念が元凶になっている部分もある。欧米の指導者たちは、世界を気候変動から救うという名目で、発展途上国に対して自国の石油やガス資源の開発、および化石燃料へのアクセスによって可能になる経済成長をあきらめるよう促してきた。先進国経済が化石燃料に大きく依存していることから、アフリカをはじめとする途上国政府は、これを当然ながら偽善と判断することになる。ドイツなどの西側諸国が石炭火力発電所を建設し続ける一方で、貧しい国々では石炭火力発電を段階的に廃止するよう提唱しているのだ。富裕国政府は、自国の資源を利用し続けながらも、貧しい国々の化石燃料インフラ整備に対する開発資金をほとんど断ち切っているのである。

恨みは深い。何十年もの間、欧米の環境NGOやその他のNGOは、政府や国際開発機関の間接的なあるいは直接的な支援を受けて、ダムから鉱山、石油・ガス採掘に至るまで、大規模なエネルギー・資源開発に幅広く反対してきたのだから。

NGOの環境問題や人権問題に対する懸念は、たいてい本物である。しかし、これらの問題に対する欧米の取り組みが十字軍的で、しばしば恩着せがましいのは、主要なエネルギー・プロジェクトに対するNGOの地元キャンペーンが主に欧米によって資金が出され、人員が動員され、組織化されているという事実と結び付き、植民地時代から続く反欧米の深い溝を生み出してしまっているのだ。

近年、欧米の開発援助は、透明性、市民社会の関与、市場の自由化、気候変動などの要素を優先している。これらはすべて、欧米人の耳には正しく、適切に聞こえる。しかし、その結果、欧米の政府、開発援助機関、金融機関は、途上国の大規模なインフラ、エネルギー開発、その他の資源関連プロジェクトのほとんど全てから撤退することになったのである。

これに対し、中国とロシアはそのようなことには躊躇せず、エネルギー、資源採掘、インフラへの投資をテコに地政学的利益を拡大してきた。その意図は、モスクワと北京の経済的優先順位を高める形で開発途上国の依存関係を構築し、かつ国際的な影響力を生み出すことである。ウクライナ侵攻以来、この戦略の有効性は誰の目にも明らかである。

ならば、米国をはじめとする自由民主主義諸国は、民主的で開かれた社会へのコミットメント、自国のエネルギー経済を中国やロシアから切り離す必要性、途上国におけるロシアや中国の資源外交に対抗する取り組みのバランスをどうとるべきなのだろうか。そして、他の課題がほぼ確実に優先される時代に、どのようにして気候変動対策を推し進めていくべきなのだろうか。

そのためには、西側諸国を特徴づけてきた道徳的な偽善と、中国やロシアを動かしている非道徳的な政策の両方を否定し、世界と関わるための新しい方針を見出すことが必要である。世界の多くの地域で、欧米の開発機関は、経済発展を可能にする実績のあるハード・インフラやエネルギーなどの資源開発への投資に再び乗り出す必要がある。

このような投資に条件を付けるのであれば、地域環境への影響や気候変動に対する国の取り組みに関連する多数の条件を特定のプロジェクトに求めるのではなく、民主化、透明性、少数派の権利保護に向けた幅広い取り組みに対して支援すべきである。

自由主義社会は、民主化、経済発展、環境保護の進歩は常に漸進的かつ反復的であり、西側諸国がこの分野を放棄すれば、地政学上の競争相手が喜んで参入してくることを認識しつつ、倫理的で規則に基づいた多国間の政治・経済秩序に、同盟国と供給国を取り込むことを追求しなければならない。欧米の投資と技術を導入することで、市場やサプライチェーンへのアクセスが可能になり、新興国が経済の主要部門で一定の比較優位性を確保できる一方、ロシアや中国には歯止めがかかるというメリットがもたらされなければならない。

すでにこの方向へのシフトは見られる。米国のジョー・バイデン大統領が最近アジアを訪問して推進した環太平洋パートナーシップ協定の縮小版において、再生可能エネルギーとバッテリー分野における中国の支配的地位を縮小することを目的とした産業政策の共有に、アジアの加盟国を関与させることに重点を置いている。

また、冷戦後の気候変動への対応を大きく特徴づけてきた理想主義的政治に対して、より広範な経済活動が重要な歯止めとなる可能性もある。多くの金融資産の持続的な下落、特に高騰していたテクノロジー株や暗号資産の崩壊によって、環境保護慈善団体や気候変動対策の資金源である億万長者の寄付金や投資口座は収縮することになる。何はともあれ、近年政策立案を歪めてきた気候変動に関する膨大な量の議論は、今後減少していくだろう。

インフレ、エネルギー不足、財政赤字の増大は、ここ数十年の金融緩和と拡張的な財政政策に終止符を打つ可能性もある。エネルギー転換の原動力となった手厚い補助金が縮小される可能性もあり、多くの地域で風力や太陽エネルギーが化石燃料とうまく競合していけるという主張が真価を問われることになりそうだ。

これは排出量を削減し、グリーン開発を推進するためのさまざまな政策と矛盾するものではない。しかし、特に西側諸国の気候・エネルギー政策は、ソーラーパネルや電気自動車などの需要に対する補助から、原子力発電所や高圧送電線などの供給に対する規制緩和へと大きくシフトするかもしれない。運動家やロビイストが好む特定のグリーン技術への助成を止めて、その代わりに、幅広い技術を利用し、規制を緩和し、インフラ整備をすることでエネルギー転換を実現可能にする。この種のシフトは、クリーンエネルギー政策をより強固な経済的基盤の上に置くことになるであろう。そして、気候変動対策とエネルギー安全保障をより適切に両立させることができるだろう。

ここ数カ月で明らかになったことは、戦争、不安、経済危機は残酷な教師であるということだ。環境運動家たちとその政治的な支援者たちは、しばしば、支持者を煙に巻くような政策を行ってきた。補助金による再生可能エネルギーの増加を、世界が化石燃料から急速に移行する準備ができているという証拠と混同しているのだ。それゆえ、石油やガスの生産をできる限り抑制し、原子力など他のクリーンなエネルギー源への投資を慢性的に控えてきた。しかし、技術的な進歩があったとはいえ、世界経済が化石燃料を完全にクリーンなものに置き換えることができるのは、まだかなり先の話である。

ヨーロッパでの戦争と世界的なエネルギー安全保障の危機が重なったことで、西欧諸国とそれ以外の地域はそれほど違わないということを痛感させられる。良くも悪くも、エネルギー開発と安全保障は、依然として世界共通の課題である。民族主義的権威主義に対する防壁を築き、経済的安定を達成し、低炭素の未来へ移行するための世界戦略は、この現実に対応する必要があるのだ。