メディア掲載  財政・社会保障制度  2022.07.07

評価に患者の視点 反映を

日本経済新聞【経済教室】(2022年6月29日)

税・社会保障

<ポイント>

○必要なサービスと負担の関係性を明確に

○薬価調整だけで持続可能性は担保できず

○経済学と医療の専門知識持つ人材集めよ


次々と登場する高額な医薬品に対応して、厚生労働省の中央社会保険医療協議会(中医協)は2019年度から新しい薬価制度を開始した。財政的影響の大きい医薬品・医療機器の薬価を費用対効果に応じて調整する制度(医療技術評価=HTA)だ。背景には持続可能性への懸念がある。

例えば195月に保険収載された白血病治療薬「キムリア」は3400万円を超える薬価が評価対象とされ、217月には4.3%切り下げられた。また、ピーク時の売上高予測が236億円の慢性閉塞性肺疾患治療薬「テリルジー」は0.6%程度の切り下げで、約14千万円の節約となった。また、205月に保険収載された脊髄性筋萎縮症の治療薬「ゾルゲンスマ」の薬価はなんと16700万円。これまでの最高額を記録した。

薬価制度を持続可能にするにはどうすればよいのか、概念、課題、そして方策を考えてみたい。

中医協が22年度の薬価制度改革を出している。柱は(1)革新的な医薬品のイノベーション(技術革新)評価(2)国民皆保険の持続性確保の観点からの適正化(3)医薬品の安定供給の確保、薬価の透明性・予見性の確保――である。(2)のように持続可能性(サステナビリティー)が語られる場合、経済的破綻への懸念が念頭にある。それは経済的な持続可能性の問題であり、支払い可能性(アフォーダビリティー)ともいわれる。日本のような人口減少社会ではいずれ医療費が減少に転じるので、長期的には支払い可能性は心配ないとの説もある。持続可能性は、もっと広範な概念である。

この用語が一般によく使われるようになったのは、159月に採択された国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」からであろう。ここでいう持続可能性は、経済はもとより、社会、環境を軸とする包括的な概念を意味する。具体的には17の目標が設定され、医療には特に第3の目標「健康と福祉」が関係する。

医療制度の持続可能性を語る場合、制度と経済成長との関係や制度がもたらす分配の在り方、制度の安定性などについて広く考える必要がある。これらの論点は、1920年代の古典的な厚生経済学ではピグーの3命題「成長・分配・安定」をさす。成長率が高く、分配が平等であり、経済が安定しているほど人々の厚生は高まるというわけだ。

しかし、効用(満足度)は人それぞれ異なるため、効用に基づく平等な分配はできないとして第2命題は否定された。そこで分配の問題は資源の配分問題に特化され、パレート効率性を価値判断の基準とする新厚生経済学が登場した。パレート効率性とは、資源を配分する時に誰かの効用を犠牲にしないと他者の効用を高められない状態をいう。

このような厚生経済学の概念から本質的な課題が見えてくる。中医協のHTAは、効果の指標として効用を用いたQALY(クオリー=健康に生きた年数)という単位を導入し、1QALYあたりの費用を評価基準として薬価調整を行うこととした。これは、新厚生経済学が難問として回避した効用指標を、中医協はQALYとしてあえて採用し、旧厚生経済学に逆戻りしたことを意味する。

そのため、1QALYあたりの費用の導入は、価値判断の基準を費用だけでなく費用対効果に拡張した点で画期的だが、効用を数値化したQALYを用いても新厚生経済学で懸念された科学的妥当性が担保できるのかが論点として残された。新厚生経済学の観点からすれば、パレート効率性基準と薬価調整、さらに持続可能性との関係も明らかにする必要がある。

そのような厚生経済学上の本質的問題とは別に、中医協では21年度からHTAの見直しが始まった。企業に十分な分析期間を与えるために分析プロセスの一部を変更、価格調整の方法を微修正するなど、既存ルールが少し改定された。しかし、1QALY当たりの費用に基づく価格調整が理論的に正しいのかどうかは再検討されなかった。

わかりやすく制度の持続可能性を考える枠組みとして、国連が唱えるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)を直方体で図解したもの(図参照)が役に立つ。UHCとは「すべての人が、適切な健康増進、予防、治療、機能回復に関するサービスを、支払い可能な費用で受けられること」を意味する。

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SDGsにおいても第3目標の中でUHCの達成が掲げられている。この直方体の容量を一定に保つことがUHCの持続可能を意味するとすれば、その解(各辺の長さの組み合わせ)は多数存在する。ただし、Y軸はサービスにかかわる環境、生活習慣、インフラ、内容(医薬品や医療機器など)、アクセスなど多面的な要素を含む。そのため、特にYZ軸間の複雑な関係を明らかにすることが持続可能性を解く鍵となる。

日本の国民皆保険制度は、X軸を全国民としてUHCの概念を具体化した例であるが、Y軸とZ軸の関係は必ずしも明確でない。薬価調整という政策の漸進主義(インクリメンタリズム)だけでは、持続可能性の実現は難しい。3軸とHTAの関係を明示する直方体を作るべきである。

新たな課題も生じている。最近のウエアラブルデバイスやスマートフォン上の「治療アプリ」の技術発展は目覚ましい。2012月、国内初の例として「禁煙アプリ」が保険適用されたが、費用対効果評価が行われていない。算定された薬価は新規技術料として25400円だが、潜在的な対象集団の大きさを考えると財政負担が懸念される。今後は治療アプリにも、費用対効果評価も含めたルール化が必要だ。

継続すべき課題もある。薬価調整の技巧面だけでなく、患者からみた多様な価値(例えば新型コロナウイルス感染症)を反映する仕組みが必要だ。さらに、保険適用か薬価調整かを論議する、HTAの評価対象を診療報酬本体にも拡大する、経済学上の差別価格導入を検討する、などがある。これらはUHCの直方体でいえばY軸問題にあたる。

薬価制度の持続可能性を追求する方策としては、18年末の経済協力開発機構(OECD)による「医薬品のイノベーションとアクセスに関する報告書」を参考に、(1)医療の効率を高める(HTAの促進や市販後データの活用)(2)新技術への支払い意思額を探る(患者の声の反映、保険負担が払い戻し可能な契約の導入)(3)イノベーション促進への動機を増やす(満たされていない医療ニーズへの対応)(4)政策決定のための情報基盤を強化する(市場価格の透明性の向上、リスク・ベネフィット情報)などが考えられるだろう。

薬価制度改革には、厚生経済学の基本知識、UHCHTAリテラシー(読み書き能力)をもつ高度な職業人が必須だ。政府には、そのような人材を結集した100年持続可能な薬価制度の設計と実装プロジェクトの創設を期待する。