◆内外で巧みな使い分け/言葉の力が人を動かす
グローバル時代を迎えて、我々日本人の思想と価値観を諸外国に向けて語りかける事が以前にも増して重要になってきた。こうした中、10日に岸田文雄総理がアジア安全保障会議で基調講演を行った事は大変意義深い事だと考えている。
国際対話には“内”と“外”との相違を認識して発言する必要がある。これに関し、巧みに内外を使い分けている人がウクライナのゼレンスキー大統領だ。
◇ ◆ ◇
英国BBCの1日のTV番組で、ハーバード大学ウクライナ研究所(HURI)のセルヒー・プロキー所長は大統領の“言葉”を高く評価した。ロシア語が母語の喜劇俳優が就任後ウクライナ語の習得に努め、今は満足のいく流暢な言葉で国民に語りかけている。
露軍のウクライナ侵攻後、大統領は各国に向けて英語で、あるいは有能な通訳を通じて精力的に語っている。彼の対外発信に対する評価は高い。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)でリーダーシップを教えるエイミー・エドモンドソン教授は彼の演説全てを観察していると語り絶賛した。英国キングス・カレッジの客員教授、アンドルー・ロバーツ氏はスターリンが始めた冬戦争時にチャーチルが発した言葉を引用しつつ彼を讃えた。
もちろん、「彼は単なる喜劇俳優」と低い評価を下す人もいる。だが、彼の主演ドラマ『国民の僕(しもべ)』を観て筆者は別の考えを持っている。彼が登場する最初の場面で、手にしていたのはギリシアの著述家プルタルコスの本。彼の愛読書は名文・美文あふれる『英雄伝』や『倫理論集』かも知れないのだ。
コミュニケーションは情報のキャッチボールだ。発信者・受信者・媒体手段がピッタリ合って成功する人間活動だ。いくら内容が良くても、発言者の話し方(語彙(ごい)・声調・発音・リズムなど)や、聴衆の能力・関心が“異次元”ならば、情報は伝達されず、評価もされないのだ。換言すると対外発信は受信側の文化や価値観などが異なるため、情報の内容・翻訳・媒体・頻度などに細心の注意を払う必要がある。
日本の優れた外交官の一人、兼原信克氏は「軍人の武器は銃弾だが、外交官は言葉が武器となる。…言葉は通じなければ意味が無い」「人が人を動かす最も優れた道具は、言葉である。言葉の力こそ、政治力である。政治力こそ、国力の最も重要な要素」と述べ、それが戦後、「日本に最も欠けている」と語った。
◇ ◆ ◇
筆者は日本人が素晴らしい情報を口頭で伝えているのにもかかわらず、ほんのわずかな“すれ違い”から外国の人々に伝わらない場面に数多く遭遇して、残念に思っている。だが、同時に我々日本人は情報交換の重要性を認識しており、能力も潜在的には高いと筆者は考えている。
例えば武士の指南書『葉隠』には「大将は人に詞(ことば)を能くかけよ」とある。日露戦争時、米国の世論を親露から親日に変えたのは金子堅太郎子爵の名演説だ。また旅順港閉塞作戦時の八代六郎帝国海軍大佐による演説は「外国ならば高校生は全員この言葉を暗唱させられたであろう」と外国人に言わしめた。
以上の理由から有能な若者達が情報発信を巧みに内外で使い分け、世界で活躍する事を願う毎日である。