メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.06.14

経済制裁の効果とリスク

共同通信より配信

経済政策

今年224日、ロシアが「中立化」、「非軍事化」、「非ナチ化」等を目的としてウクライナへの大規模な軍事侵攻を開始した。このロシアによる侵略に対して、国連総会が圧倒的多数で非難決議を採択するとともに、日本を含む先進主要7カ国(G7)は厳しい経済制裁を課した。

ロシア中央銀行が海外に保有する外貨資産の凍結、銀行決済網(SWIFT)からのロシアの主要銀行の排除等であり、加えてアメリカ、イギリス、カナダはロシア産原油・天然ガスの輸入禁止を行った。

こうした経済制裁は、軍事的手段による対応が、ロシアと主要国の間の全面戦争に発展するリスクを考慮して選択されたものである。

制裁によるロシア経済への負の影響が、戦争の経済的コストを大きくして軍事行動の縮小や中止の判断をロシア政府に促すこと、また、それがロシア国民の負担となって国内から戦争に対する批判が生じることを期待した施策といえる。

経済制裁は他国の行動を変えるための非軍事的施策としてしばしば用いられ、太平洋戦争前には日本もその対象となった。19409月に日本が行った「北部仏印」(現在のベトナム北部)への陸軍の「進駐」と翌月の日独伊三国同盟締結に対してアメリカは屑鉄の輸出を禁止し、さらに19417月の「南部仏印進駐」に対しては在米資産の凍結と石油の輸出禁止で応じた。屑鉄は日本の鉄鋼生産の主要原料の一つ、石油は陸海軍、特に海軍の戦力を制約する最重要の戦略物資であった。

石油の禁輸によって、日本は対米関係について厳しい選択を迫られた。対米戦争を回避しつつ、石油の備蓄が減少して国力・戦力が次第に低下して行くことを受け入れるか(「臥薪嘗胆」)、あるいは高いリスクをおかして対米開戦に踏み切り、「蘭印」(現在のインドネシア)の石油資源を獲得して確固とした軍事的・経済的基盤を確立することに賭けるかである。周知の通り日本は後者を選択した。

1940年代初めのアメリカによる対日経済制裁の経験は、経済制裁の効果とそれに伴うリスクを示している。