ロシアによるウクライナ侵攻は、世界秩序形成の重要局面で国連が機能しないことを改めて示した。
ウクライナ侵攻開始直後、国連安保理は緊急特別会合を開催し、ロシア非難決議を採択しようとしたが、常任理事国であるロシアが拒否権を発動したため決議を採択できなかった。
それを受けて、3月2日に国連総会の緊急特別会合でロシアのウクライナ侵攻に対して「最も強い言葉で遺憾の意を表す」とする決議を採択した。
日本や米国など141カ国が賛成し、中国、インドなど35カ国が棄権。反対はロシア、北朝鮮など5カ国だけだった。
しかし、総会決議には法的拘束力がないため、これほど多くの国が賛成しても具体的な施策の実施にはつながらない。
この状況に対して、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、国連は機能していないと繰り返し批判した。
国連の機能不全は今に始まったことではない。
ロシアの関係では、2014年のクリミア戦争の時もロシアの拒否権発動により安保理決議を採択できなかった。
2020年には、新型コロナ感染拡大抑制のために国連加盟国が一致団結して協力することを世界中の人々が願っていた。しかし、米中対立の影響を受けて国連傘下の世界保健機関(WHO)は期待された有効な対策を実行することができなかった。
国連において加盟国が具体的な施策の実施を義務づけられる決定を行う権限を持っているのは、唯一安全保障理事会だけである。
安全保障理事会では常任理事国(米英仏中露)だけが拒否権を行使できる。
米英仏と中露ではイデオロギー、政治体制が異なるため、多くの場合、重要課題において合意に達することが難しく、しばしば拒否権が行使され、重要な決議を採択できなくなる。
これが国連が機能不全に陥る根本的原因であり、今後もこの欠陥を改善できる展望はない。
次善の策として、国際社会に対して国連加盟国の意志を伝えるため、総会決議の採択という方法が採用される。
これには法的拘束力がないが、大多数の国が賛成すれば、間接的な影響力を発揮することが期待されている。
今回のウクライナ侵攻に際しては、こうした国連総会決議の影響力以上にロシアに対して大きなインパクトを与えた新たな動きが見られた。
それはグローバル市場をリードする主要民間企業による自発的な対ロ経済制裁である。
前述の国連総会決議前日の3月1日、アップル、ナイキ、フォード、BMWなどが製品の販売停止や生産停止を発表した。
ビザカード、マスターカードもロシア系の銀行が発行したカードの利用を停止した。
エクソン・モービルは同日に石油・ガス開発事業「サハリン1」からの撤退を表明。BPやシェルはそれ以前にロシア事業からの撤退を発表していた。
このようにグローバル市場の一流企業のうちロシア事業の停止あるいはロシア市場からの撤退に踏み切った企業は600社以上に達した(イェール大学経営大学院研究チーム調べ、4月12日発表)。
グローバル市場の主要民間企業のこうした動きは即座にロシア経済に甚大な影響を及ぼす点で、国連総会決議よりインパクトが大きい。
これらの動きは国家や国際機関による強制ではなく、各企業の自主的な判断に基づく自発的行動である。そうであるがゆえに決定も迅速である。
何がこうした動きをもたらしたのか?
グローバル主要企業は自国市場よりグローバル市場を重視している。
そのグローバル市場の消費者や顧客企業の間で、ロシア軍のウクライナ市民に対する非人道的な攻撃の事実が認識され、世界中の人々が短時間のうちにウラジーミル・プーチン大統領とロシア軍に対する強い反感を共有した。
そうしたグローバル市場の大多数の顧客が反ロシアの感情を共有する状況下、ロシアでのビジネスをこれまで通り継続すれば、自社に対する批判を招きかねない。
このようなレピュテーションリスクを強く意識せざるを得ないグローバル企業は即座に重大な決断を下した。
それが今回の生産停止や撤退といった厳しい対ロシア経済制裁につながったと考えられる。
ウクライナにおけるロシア軍の非人道的攻撃の実態を世界中に鮮烈に伝えた主役は従来のメディアではなく、SNSに代表されるソーシャルメディアだった。
その主な利用者は30代以下の若者世代である。
米国では「ミレニアル世代」(1980年代~90年代半ばに生まれた世代)および「Z世代」(1990年代半ば~2000年代初頭に生まれた世代)、中国では「90后」(ジォウリンホウ、1990年以降に生まれた世代)および「00后」(リンリンホウ、2000年以降に生まれた世代)などがその中心だ。
この世代は日本、欧州などでも共通した特徴が見られる。
彼らは新聞、TVなど従来のメディアのニュースよりスマホやPCを通じたソーシャルメディアのニュースに主な情報源を求める傾向がある。一般的に情報伝達はより速く、より詳細である。
ソーシャルメディアには情報選別機能が備わっているため、得られる情報は受け手の好みに合うものに偏る傾向がある。
しかし、ロシア軍による非人道的攻撃のような事実は即座に全世界で伝わり、国家の決定を待つまでもなく、人間の基本的なモラルとして許せるものではないという認識が国を超えて短い間に共有される。
中国ではウクライナ侵攻開始直後、新聞・TVなどのメディア上ではロシアの国営放送の情報だけが報じられていたため、世論はロシア支持が圧倒的だった。
しかし、SNSを通じて若者たちがウクライナにおけるロシア軍の非人道的攻撃の実態を知り、その事実が瞬く間に世代を越えて共有された。
4月にはロシア支持とウクライナ支持に世論が2分されていたが、5月の連休明けには中国人の大半がウクライナ支持に傾いたと中国の国際政治の専門家が教えてくれた。
ソーシャルメディアの影響力がグローバルな情報共有を促し、それが世界の主要企業にレピュテーションリスクを意識させ、国家間の合意に基づくルール形成を超えて世界を動かした。
こうした新たな世界秩序形成のメカニズムの存在がウクライナ侵攻を巡るグローバル企業の対ロ経済制裁の急速な拡大によって明らかになった。
今後のグローバル社会では、若者世代を中心とする情報共有が、グローバル企業に影響を及ぼし、国家や国際機関の秩序形成機能の不全を補う動きを発揮するようになることが予想される。
これは、これまでの国家とルールによる世界秩序形成の仕組みを民間企業とモラルが補完することを意味する。
その土台を支えるのが若い世代を中心とするソーシャルメディアを通じた情報共有である。
これまで国家単位で分断されていたグローバル社会の枠組みが、ソーシャルメディアのネットワークによる情報共有を通じて、国境によって分断されることがないグローバル・コミュニティへと変化した。
1つのコミュニティだからこそ、国を越えて共有されるモラルがグローバルな共通規範として機能し、新たなグローバル・ガバナンスを形成しつつあると評価できる。
人間として尊重すべきモラルが人為的なルールを超える規範を形成するメカニズムが動き出したのである。
グローバル社会の将来を長期的に展望すれば、世界経済における米国経済の相対的縮小に伴うリーダーシップの低下、米中対立、世界の多極化などが続く中、既存の国際機関や国際連携による世界秩序形成がますます不安定化に向かうことは不可避である。
国家間の合意に基づくルール形成の限界が明らかになった状況下、それを補完する仕組みが必要とされている。
今回のウクライナ侵攻に際して示されたグローバル企業による秩序形成補完機能は世界秩序形成の不安定化を緩和する一つの重要な柱として機能することが期待できる。
今後もソーシャルメディアの発達と若者世代の影響力の増大は続く。
それに伴い、国を越えて共有されるモラルに基づく「民(non-state actors)」主導の新たなグローバル・ガバナンスが機能する領域が拡大する。
このような方向で世界秩序形成の仕組みが一段と進化し、世界秩序が安定を保持することを期待したい。