メディア掲載  エネルギー・環境  2022.05.16

IPCC報告の論点56:予測における排出量が多すぎる(後編)

アゴラ(2022年4月26日)に掲載

エネルギー・環境

米国のロジャー・ピールキー・ジュニアが「IPCCは非現実的なシナリオに基づいて政治的な勧告をしている」と指摘している。許可を得て翻訳をした。


非現実的なRCP8.5シナリオ

前回からの続き)

さらに悪いことに、3つの研究はそれぞれ、2100年の気候変動を予測するために、時代遅れでかつありえない極端なシナリオ、RCP8.5シナリオを利用している。つまり、社会が現時点で適応できずそのままになるだけではなく、将来の気候変動が極端なシナリオに基づいて予測されており、これもまたありえない話である。

ありえないことの上に成り立つありえないことは、脆弱性を減らし、回復力を高めるという適応の役割について、何の実際的な洞察も与えていない。このようなことは、熱狂的な支持団体が自らの主張の演出のために科学を利用する際にはあり得ることかもしれないが、IPCCにおいてはあってはならないことである。

将来の洪水リスクと影響の予測において、実際に温暖化への適応を考慮するとどうなるのか。IPCCは、適応を含む別の研究によれば、適応がない場合の洪水被害予測の95%は回避できることを本文で指摘している(4-69)。「予測される洪水被害は、適切な適応を行えば、絶対値で1/20に減らすことができる。」と。この主張を裏付ける研究(Winsemius et al.2015)もRCP8.5シナリオを使用している。ありえないような気候の未来であっても、効果的な適応策を講じれば、洪水による被害のほとんどを回避することができるのだ。

さらに、補足資料として、より適切な上限排出シナリオ(RCP4.5)の下での適応に関する分析が含まれており、気候や社会の変化を想定しても、実際に洪水被害は現在より減少する可能性があることがわかっている。適応は重要なのである。

もちろん、気候政策や政治において、適応については長い間問題視されてきた。しかし気温の上昇に伴って影響がますます悪化するだろうという終末論的な見方を支持するのではなく、気候が変化しても、適応の機会によって人間にとって好ましい結果をもたらすことができるのである。

2作業部会(WG2)による洪水に関する文献の誤記は、他の現象についても報告書全体において繰り返されている。適応についてはしばしば無視されるか、あるいは最小限の言及となっており、気温が上昇し続けることによって影響が悪化するように示されている。実際には、適応は、将来の排出量と気温の変化の幅広いレベルにおいて、人類の未来をプラスに導く大きな可能性を持っている。緩和と適応はどちらも重要であり、IPCC 2作業部会(WG2)は緩和に重点を置いたことで、自身と我々皆に大きな損失を与えたのだ。

そして、さらに悪いことに上記の洪水のケースで現れたRCP8.5シナリオは、この報告書の至る所にちりばめられてしまっている。実際、今回RCP8.5シナリオは、過去のどのIPCC報告書よりも大きな役割を果たしているのだ(下に示す表は、報告書で明示的に言及された各シナリオの数を示したもの)。このことが重要なのは、RCP8.5や同様の極端なシナリオは、現在ではありえないことだと広く理解されているからだ。

IPCC1作業部会は昨年、このような極端なシナリオは可能性が低く、RCP4.5のようなシナリオの方が実現の可能性が高いと認めてさえいる。それでも、第2作業部会(WG2)の報告書ではRCP8.5シナリオが将来の予測を支配している(その中でRCP4.5シナリオはしばしば不適切にも「緩和の成功した場合」として提示されている。現在の諸国の政策では、世界はRCP4.5シナリオをさらに下回る方向にある)。

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実際、このような極端なシナリオがあり得ないことを示す科学的文献―例えば2017年の研究で「RCP8.5は今後の科学研究の優先事項ではない」と結論づけられている-が多く蓄積される中、が、IPCCがなぜこのように信用できないシナリオへの依存を高める選択をしたのか不可解である。

下図のグラフは、IPCC5次評価報告書(2013/14)から第6次評価報告書(2021/22)にかけて、ありえないシナリオへの依存度が高まっていることを表している。IPCCの執筆者たちにこの決定の正当性を明確にするよう求めたが、今のところ誰もその申し出に応じてくれてはいない。

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IPCCコミュニティ内部では以前からこうした問題が指摘されていたため、ありもしないシナリオに頼っていることはますます不可解なことである。例えば、シナリオの第一人者による2016年の論文では、世界が実際に向かっている場所に対する現実的なシナリオの欠如は、「IPCCの第6次評価報告書における緩和と影響の研究から包括的な結論を引き出すことは困難である」ことを意味すると、先見の明をもって警告している。それが正しいことが証明されたのだ。

これまでのところ、IPCCは時代遅れのありえないシナリオに依存していることについての問題点をほとんど無視しており、このことがIPCCの仕事の信頼性を根本的に損なってしまっている。

熱心な研究者による多くの優れた研究が、第2作業部会(WG2)によって評価されていることは間違いない。だが第2作業部会(WG2)が扱ういくつかの分野の専門家である私にとっては、私が熟知している文献の表現に不足があることと、文書のあからさまな唱道姿勢が、この報告書全体に不信感を抱かせることになってしまった(そして、私はまだ、自分自身の研究を含め、極端な事象の扱いについては触れていない)。

これは非常に残念なことであり、IPCCが自らに課した高い要求基準を満たすことができていないことの現れである。気候変動緩和については本来担当である第3作業部会(WG3)に任せるべきだ。そして、報告書を評価ではなく主張(advocacy)のために使うという誘惑に負けず、つまるところ物事を正当に扱うべきである。


最後に杉山注:RCP8.5シナリオがありえないぐらい排出が多い点については、以前、本連載でも書いた(IPCC報告の論点①:不吉な被害予測はゴミ箱行きに)。それにも関わらず、最新のIPCC報告の被害予測の大半がこのようなありえないシナリオに基づいてしまっている、というのがここでのロジャー・ピールキー・ジュニアの指摘である。

参考までに、下図をご覧頂きたい。これは拙著「15歳からの地球温暖化」からの抜粋(詳しい説明はここでは省略)。

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1つの報告書が出たということは、議論の終わりではなく、始まりに過ぎない。次回以降も、あれこれ論点を取り上げてゆこう。