メディア掲載  エネルギー・環境  2022.04.01

IPCCは非現実的なシナリオに基づいて政治的な勧告をしている

NPO法人 国際環境経済研究所(IEEI)HPに掲載(2022年3月17日)

エネルギー・環境

翻訳:キヤノングローバル戦略研究所 研究主幹 杉山大志

本稿はロジャー・ピールキー・ジュニア記事を許可を得て翻訳したものです。


「生存可能な未来への窓が急速に閉ざされつつある」

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、気候に関する科学的文献を評価し、政策に反映させることを主な目的とした重要な組織である。IPCCは、物理科学、影響、適応、脆弱性、経済学にまたがっている。私は、IPCCという組織は非常に重要であり、もし存在していなかったら新たに生み出す必要があるとしばしば述べてきたほどである。なぜなら、気候変動という課題には大きなリスクが伴うからだ。緩和(=CO2等の排出削減によって温暖化の影響を緩和すること)と適応(=防災や衛生等への投資によって気象災害や疾病の被害を軽減すること)の何れも重要であり、したがって、政策決定に情報を提供するために、厳密な科学的評価が必要なのである。今週の初め、IPCCの第2作業部会(WG2)が影響、適応、脆弱性について報告書を発表した。物理科学に関する第1作業部会は昨年発表を行い、経済的側面に関する第3作業部会は今年中に報告書を発表予定である。

残念なことに、IPCC 2作業部会(WG2)は、科学的文献を調査・評価するという目的から大きく逸脱し、排出量削減の積極的推進に熱心なチアリーダーと位置づけられ、その主張(advocacy)を支持する報告書を作成したのである。IPCCは次のように警鐘を鳴らしている。「温室効果ガス排出量の大幅な削減がさらに遅れれば、その影響は拡大し続け、今日の子どもたちの明日の生活に、更にその子どもたちの生活にはるかに大きな影響を与えるだろう…世界規模の協調行動がさらに遅れれば、急速に閉じられつつある、生存可能な未来を確保するための窓を失ってしまうだろう」。

適応の扱いが不適切

排出削減に焦点を当てたことは、これまで影響、適応、脆弱性のみに焦点を当てていた第2作業部会(WG2)からすると、大きな新しい方向性である。気候変動緩和へ新しい焦点を当てたことは明確であり、彼らはその焦点を “以前の報告書から大幅に拡大し”、”気候変動の緩和と排出量削減の便益 “を含むようにしたと述べている(1-31)。このように緩和が新たに強調されたことで、報告書全体が適応は緩和の二の次であるかのように、あるいはむしろ適応は不可能であるかのように読めるところがある。IPCCは、奇妙にも、適応と緩和を不合理に結びつけて次のように明示している。「適応を成功させるには、緊急かつより野心的で加速された行動と同時に、温室効果ガス排出の迅速かつ大幅な削減を必要とする」。

ほんの一例で説明すると(他にたくさんあるのだが)、この報告書は高い信頼性が置けるとして次のように結論付けている(TS-31)。「洪水のリスクと社会的損害は、地球温暖化が進むごとに増加すると予測される 」。これは単純に事実と異なる。“真実ではない”というのはつまり、第2作業部会(WG2)がこの主張を正当化するために引用している文献を正確に表現していないという意味である。のみならず、地球温暖化が進んでいても、洪水に対する脆弱性は劇的に減少しているので、これは経験的にも誤りである。しかしながら、このような主張は、温暖化の緩和行動を提唱する際には有効利用されるのである。

少々ややこしいことについて取り上げることをお許し願いたい(自身のTwitterでは、このような話題を数多く語っている)。洪水による被害の増加に関する第2作業部会(WG2)の知見は、報告書本文(4-69)が示すように、3つの論文(Hirabayashi et al.2021Dottori et al.2018Alfieri et al.2017)に依拠している。

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しかし、この3つの研究を実際に見てみると、彼らが主張するような将来の損害を予測したものではないことがわかる。これらの論文は2100年に予測される気候変動が現在の社会に押しつけられたらどうなるかを調べているのだ。これらの研究は、実際のところ、未来を予測する上で地球温暖化への適応の可能性を排除している。これはもちろん予測としては馬鹿げており、適応に関する報告書ではほとんど役に立たない。下の図に、3つの論文の関連する前提条件を見ることができる。第2作業部会(WG2)がこれらの研究を将来の洪水による社会的被害の予測として報告することは、せいぜい誤解を招くようなものでしかない。

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非現実的なRCP8.5シナリオ

さらに悪いことに、3つの研究はそれぞれ、2100年の気候変動を予測するために、時代遅れでかつありえない極端なシナリオ、RCP8.5シナリオを利用している。つまり、社会が現時点で適応できずそのままになるだけではなく、将来の気候変動が極端なシナリオに基づいて予測されており、これもまたありえない話である。ありえないことの上に成り立つありえないことは、脆弱性を減らし、回復力を高めるという適応の役割について、何の実際的な洞察も与えていない。このようなことは、熱狂的な支持団体が自らの主張の演出のために科学を利用する際にはあり得ることかもしれないが、IPCCにおいてはあってはならないことである。

将来の洪水リスクと影響の予測において、実際に温暖化への適応を考慮するとどうなるのか。IPCCは、適応を含む別の研究によれば、適応がない場合の洪水被害予測の95%は回避できることを本文で指摘している(4-69)。「予測される洪水被害は、適切な適応を行えば、絶対値で1/20に減らすことができる」と。この主張を裏付ける研究(Winsemius et al.2015)もRCP8.5シナリオを使用している。ありえないような気候の未来であっても、効果的な適応策を講じれば、洪水による被害のほとんどを回避することができるのだ。さらに、補足資料として、より適切な上限排出シナリオ(RCP4.5)の下での適応に関する分析が含まれており、気候や社会の変化を想定しても、実際に洪水被害は現在より減少する可能性があることがわかっている。適応は重要なのである。

もちろん、気候政策や政治において、適応については長い間問題視されてきた。しかし気温の上昇に伴って影響がますます悪化するだろうという終末論的な見方を支持するのではなく、気候が変化しても、適応の機会によって人間にとって好ましい結果をもたらすことができるのである。第2作業部会(WG2)による洪水に関する文献の誤記は、他の現象についても報告書全体において繰り返されている。適応についてはしばしば無視されるか、あるいは最小限の言及となっており、気温が上昇し続けることによって影響が悪化するように示されている。実際には、適応は、将来の排出量と気温の変化の幅広いレベルにおいて、人類の未来をプラスに導く大きな可能性を持っている。緩和と適応はどちらも重要であり、IPCC 2作業部会(WG2)は緩和に重点を置いたことで、自身と我々皆に大きな損失を与えたのだ。

そして、さらに悪いことに上記の洪水のケースで現れたRCP8.5シナリオは、この報告書の至る所にちりばめられてしまっている。実際、今回RCP8.5シナリオは、過去のどのIPCC報告書よりも大きな役割を果たしているのだ(下に示す表は、報告書で明示的に言及された各シナリオの数を示したもの)。このことが重要なのは、RCP8.5や同様の極端なシナリオは、現在ではありえないことだと広く理解されているからだ。IPCC1作業部会は昨年、このような極端なシナリオは可能性が低く、RCP4.5のようなシナリオの方が実現の可能性が高いと認めてさえいる。それでも、第2作業部会(WG2)の報告書ではRCP8.5シナリオが将来の予測を支配している(その中でRCP4.5シナリオはしばしば不適切にも「緩和の成功した場合」として提示されている。現在の諸国の政策では、世界はRCP4.5シナリオをさらに下回る方向にある)。

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実際、このような極端なシナリオがあり得ないことを示す科学的文献―例えば2017年の研究で「RCP8.5は今後の科学研究の優先事項ではない」と結論づけられている-が多く蓄積される中、IPCCがなぜこのように信用できないシナリオへの依存を高める選択をしたのか不可解である。下図のグラフは、IPCC5次評価報告書(2013/14)から第6次評価報告書(2021/22)にかけて、ありえないシナリオへの依存度が高まっていることを表している。IPCCの執筆者たちにこの決定の正当性を明確にするよう求めたが、今のところ誰もその申し出に応じてくれてはいない。

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IPCCコミュニティ内部では以前からこうした問題が指摘されていたため、ありもしないシナリオに頼っていることはますます不可解なことである。例えば、シナリオの第一人者による2016年の論文では、世界が実際に向かっている場所に対する現実的なシナリオの欠如は、「IPCCの第6次評価報告書における緩和と影響の研究から包括的な結論を引き出すことは困難である」ことを意味すると、先見の明をもって警告している。それが正しいことが証明されたのだ。これまでのところ、IPCCは時代遅れのありえないシナリオに依存していることについての問題点をほとんど無視しており、このことがIPCCの仕事の信頼性を根本的に損なってしまっている。

熱心な研究者による多くの優れた研究が、第2作業部会(WG2)によって評価されていることは間違いない。だが第2作業部会(WG2)が扱ういくつかの分野の専門家である私にとっては、私が熟知している文献の表現に不足があることと、文書のあからさまな唱道姿勢が、この報告書全体に不信感を抱かせることになってしまった(そして、私はまだ、自分自身の研究を含め、極端な事象の扱いについては触れていない)。これは非常に残念なことであり、IPCCが自らに課した高い要求基準を満たすことができていないことの現れである。気候変動緩和については本来担当である第3作業部会(WG3)に任せるべきだ。そして、報告書を評価ではなく主張(advocacy)のために使うという誘惑に負けず、つまるところ物事を正当に扱うべきである。