米国の経済的な輝きがあせてきたため、民主主義における同国の主導的地位がぐらつき始めている。
英The Economist誌は“Walking Away: The Republican Party and Democracy”と題した米国の絵で本年1月1日号の表紙を飾った。また昨年11月、米国の調査機関Pew Research Centerは世界16ヵ国が抱く対米イメージと米国の自己イメージに関する資料を公表した(p. 4の表1参照)。これに拠ると、“米国が優れている”という印象を世界が抱く分野は技術力と芸能娯楽の2つ。そして軍事分野がそれらに次ぐ。世界は米国がハイテク兵器を装備した軍事力とハリウッド映画に代表される芸能に優れた技術を生かしている事を認めている。その一方で、生活水準や健康保険制度に関し、欧州諸国を中心に米国の現状に対して厳しい見方が支配的だ。即ち折角開発した技術に基づくイノベーションを、米国は国民の経済生活や健康に役立てていないと世界が考えているのだ。
米国経済の“system error”を反映するかのように同国の経済格差は著しい。パリのWorld Inequality Labが発表した資料に拠れば、同国の所得・資産両方の経済格差が国際的に見て著しい事が理解出来よう(p. 4の表2参照)。この経済格差はカリフォルニア大学バークレー校のエマニュエル・サエズ教授の著書(The Triumph of Injustice, 2019)が示す通り、“つくられた”ものである。経済格差は社会に“拝金的で軽薄な快楽主義”と“はけ口を探し求める激しい憎悪と敵意”を生み出し、民主主義を危険に晒してしまう。
この危険はドイツの1930年代を顧みると明白である。しかもドイツでの大混乱は米国にまで波及し、German American Bundを活動させ(1936~1941)、米国の民主主義ですら脅かした過去がある(だからこそ当時の日独接近は米国にとって危険に映ったのだった!!)。我々は経済格差の著しい拡大を決して過小評価してはならず、また見逃してはならないのだ。
勿論、米国内でも現況に関し多くの識者が声を挙げている。例えばシンクタンクBrookings Institutionの研究者は先月著書を発表した(Shifting Paradigms、次の2参照)。また筆者は3人のStanford大学教授(哲学者、コンピュータ・サイエンティスト、政治学者)が2020年秋に発表した素晴らしい著書(System Error)に注目している—3人は(1)技術者に倫理観を徹底させ、(2)巨大ハイテク企業に対し税制を含む適正な規制を課し、(3)市民と政治制度に対して“技術を利用し技術に翻弄されない能力”を具えさせる事を主張している。
これに関連してドイツ経済研究所(Deutsches Institut für Wirtschaftsforschung (DIW))は、同国の資産格差(Vermögensungleichheit)が税制によって縮小されているとして、昨年12月に小論を発表している(„Grunderbe und Vermögensteuern können die Vermögensungleichheit verringern“, DIW Wochenbericht)。他方、日本は表2に拠れば経済格差は比較的小さい。とは言え我々は決して安心してはならない。
ウクライナをはじめ世界各地で米欧諸国と中ソ両国との対立が激しくなっている。
新型コロナウイルス危機第6波到来直前の昨年12月、或る国の大使公邸での会合でウクライナ人と言葉を交わす機会を得た。恥ずかしながら筆者はウクライナに関し殆ど知らない。ただ作家のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏がノーベル文学賞を受賞する直前に原発事故に関する彼女の本(『チェルノブイリの祈り』)を小誌で触れていた(2015年4, 6, 11月)。それをきっかけにして、幸運にもウクライナ住民のロシア系・ウクライナ系間の関係を聞く事が出来た—そして国家・地域・個人の各レベルで、交流の度合いに大きな差が有る事を知り、主要諸国の指導者達が深謀遠慮に基づき平和的解決を図る事を願っている次第だ。
ウクライナに関しケイ=アヒム・シェーンバッハ独海軍中将の辞任には驚いた—ニューデリーのシンクタンク(MP-IDSA)がネットに公開した発言は、“講演会場での失言”というよりも寧ろ別室での少数のインド人専門家達との“off-the-record的な発言”のように映る。中将はあの場面までネットに公開されるとは予想しなかったのではないか。いずれにしてもICTが高度に進化した現在、我々は全員、発言の内容・タイミング・伝達媒体・受信する人々の考え方に関し注意しなくてはならない時を迎えていると感じた次第だ。
如何なる理由であっても戦争は悲劇だ。アレクシエーヴィッチ氏の別の著書(『戦争は女の顔をしていない』)の中で引用された、第二次大戦の独ソ戦で軍曹として高射砲を指揮した女性の証言は印象的だ—「神様が人間を作ったのは人間が銃を撃つためじゃない、愛するためなのよ(Бог не создал человека для того, чтобы он стрелял, он создал его для любви)」。この言葉を今一度思い出している。
経済の相対的弱体化に直面する米国は、最先端の軍民両用技術で難局を乗り越えられるだろうか。
国際関係の悪化は、小誌前号でも述べた通り技術開発を危険な方向に向かわせる。英King’s Collegeのケネス・ペイン氏は著書(I. Warbot: The Dawn of Artificially Intelligent Conflict)を昨年6月に発表して、人工知能(AI)・ロボットが際限無く軍事利用される事態を警告し、同時に米中露等主要国が軍事利用に関して合意する事に悲観的な見解を示している。筆者は米国の国防総省(DoD)が昨年公表したGhost Robotics社製軍事ロボット(Vision 60)を見て、自律制御技術の進歩に驚くと共にkiller robotsの本格的登場に恐怖感を感じ、ペイン氏の意見に首肯点頭している。そして今、最先端の軍民両用技術(dual-use technology (DUT))が、平和利用の側面も有する点を強調し、高齢化対策や環境保全という分野での技術開発の努力を積み重ねるよう発言を続けてゆきたいと考えている。