メディア掲載  グローバルエコノミー  2022.01.24

日中国交正常化50周年:日中経済関係の変遷

メディア報道が招いた誤解による損失と向き合う

JBPressに掲載(2022年1月18日付)

中国

1.改革開放に向かう中国への支援

1972年9月、田中角栄総理と大平正芳外務大臣が訪中し、国交正常化を実現した。

当時の日本経済は高度成長時代の末期であり、1969年度に実質GDP(国内総生産)成長率が12.0%に達したのが最後の2桁成長だった。

その後、1971~90年までの20年間は実質成長率の平均が4.5%の安定成長期である。

1972年は日本経済が新たな時代に移行した直後だった。この20年間に日本は先進国の仲間入りを果たすとともに、社会保障基盤の整備を進めた。

その直前の1960年代には公害問題が国民の大きな関心事となり、環境保護意識も高まるなど、国民の生活意識が大きく変化した時代だった。

現在の中国経済も高度成長期の末期を迎え、2017年の第19回党大会以降、従来の量的な経済成長重視の国家目標を転換し、経済社会の質向上を目指すようになった。

地域間の経済格差は残っているが、中国全体としては国際社会ではすでにほぼ先進国並みに扱われている。

社会保障制度や公共インフラの整備が進みつつあり、中国国民の環境保護問題に対する国民意識も高まるなど、1970~80年代の日本と重なる点が多い。

米国との経済摩擦に苦しんでいる状況も当時の日本との共通点である。

そんな時代背景の中で日中国交正常化は実現し、日中経済交流が進展した。

当時の日本の経済界は中国政府が戦争賠償を放棄したことに対して深い感謝の念を抱き、日本を代表する大企業が中国企業に対して技術を教え、中国経済の復興への協力を惜しまなかった。

中国のカリスマ的リーダーである鄧小平氏は1978年12月に改革開放を国家目標に掲げ、経済の自由化と市場化へと大きく舵を切った。

その直前の10月に日本を訪問し、日本企業の技術力の高さ、公共インフラの充実、企業の経営管理や労務管理など日本経済の実力を目の当たりにして、先進国と中国との経済格差を痛感したと言われている。

その後の改革開放推進の下で、多くの日本企業が中国に進出し、技術を伝え、雇用を生み、税収拡大に貢献した。

1989年の天安門事件で西側諸国が中国政府を厳しく批判し、日本もいったん関係が途切れそうになった。

しかし、1990年11月には日本が西側諸国の先頭に立って対中経済援助を再開し、91年夏に海部俊樹首相が天安門事件後初めて先進国の総理として訪中した。

1992年には天皇皇后両陛下が訪中され、日本は中国ブームに沸いた。

日本の政府関係者や日本企業の経営者が中国を訪問すれば、熱烈な大歓迎を受け、夕食会では乾杯の連続だった。

当時、北京の日本大使館で書記官だった筆者は、毎週何度も北京首都空港で日本からの訪問団を迎え、様々な面談や行事のアレンジやサポートに追われて、旅行会社の社員のような毎日を送っていたことを思い出す。

2.日本経済の失速から長期停滞

しかし、その蜜月時代はあまり長くは続かなかった。

日本は1990年にバブル経済が崩壊し、不良債権問題に苦しみながら、長期経済停滞に陥る。1991年から2010年までの20年間、日本の実質成長率の平均は0.9%。

日本の一人当たりGDPは、1990年代にはOECD諸国の中で2~3位だったが、2010年代は20位前後にまで低下した。

1990年頃まで、日本は中国にとって経済発展のモデルだったが、バブルの崩壊とともに、その経済の輝かしい発展は急速に色褪せ、中国が学ぶべきモデルではなくなった。

逆に米国の圧力の下で、プラザ合意による急速な為替円高、その後の資産バブルの形成と崩壊、そして長期停滞という不安定な経済変動は、中国にとって反面教師のモデルとなった。

戦後の焼け野原から1980年代まで、あれほど目覚ましい発展を遂げた日本経済が短期間のうちに長期停滞へと転落する様子は、中国にとって決して同じ轍を踏んではならないモデルだった。

このため、中国政府の幹部や経済専門家は日本のバブルの形成と崩壊の過程を熱心に研究し、同じ政策判断ミスを犯さないよう細心の注意を払いながら経済政策運営に取り組むようになった。

1990年代に日本経済に対する尊敬の念が急速に低下するのと並行して、中国の核実験に対する日本からの厳しい批判、歴史問題を巡る対立などが続発し、日中関係は急速に冷めた。

一方、中国政府は米国との関係強化を重視し、米国も冷戦後の国際社会の中で中国を資本主義・民主主義陣営に引き込むため、対中融和の「関与政策」に注力した。

米国のビル・クリントン大統領は1998年に中国を訪問した際に日本を訪問せず素通りするなど、日中関係の冷却と米中関係の緊密化が進んだ。

両国間の人材交流も進展し、留学生から政府高官まで多くの中国人が米国で学ぶようになった。

2001年には米国の支援により中国のWTO(世界貿易機関)加入が実現し、それが中国の自由貿易の恩恵享受の土台となり、輸出主導の中国経済発展を加速した。

3.政冷経熱から尖閣問題へ

2001年には小泉純一郎内閣が成立するが、小泉首相は毎年のように靖国神社を参拝し、中国政府がこれを厳しく批判したため、外交関係は冷え込んだ。

しかし、日本企業は安くて豊富な中国の労働力によるコストダウンを目当てに、労働集約型産業を中心に中国への進出を積極化した。

政治は冷たく経済は熱い、という意味で「政冷経熱」の時代と呼ばれた。

中国は2001年のWTO加盟後、かつての日本のように欧米との貿易摩擦に悩まされず、輸出を急速に拡大し、驚異的な経済成長を実現した。

2008年9月のリーマン・ブラザーズ・ショックの直後に実施した巨額の内需刺激策による需要創出が世界経済を大恐慌から救い出し、中国経済の実力が世界中から注目された。

それとともに中国国民の間では、ナショナリズムが高揚した。

鄧小平が提唱した韜光養晦(十分な能力を備えるまでは力を表に出さずに内に蓄える)の時代が終わり、中国は外国に対して言いたいことを主張しても構わないと考えるようになった。

これが中国外交の対外強硬姿勢を後押しした。

そうした変化を背景に、2010年には中国漁船が日本の海上保安庁の艦船に衝突したことを契機に日中関係が悪化。

そして2012年9月、尖閣諸島領有権問題が生じ、日中関係は戦後最悪の状態に陥った。

4.米中対立深刻化と経済関係の複雑な情勢

その後、日中関係は2018年5月の李克強総理訪日に至るまで、厳しい状況が続いた。

その一方、米国はバラク・オバマ政権第2期(2013~16年)に中国に対する警戒を強めるが、安全保障政策や通商政策面で具体的な対中強硬策は実施しなかった。

2017年1月にドナルド・トランプ政権が発足するとともに、米国は極端な対中強硬姿勢に転じ、貿易・技術摩擦の両面で次々と制裁措置を生み出した。

中国もこれに対抗して報復制裁を実施し、米中摩擦は2019年に最悪の状況に陥った。

しかし、その頃から米国企業の多くが米国政府に対して、ビジネスに悪影響を及ぼす対中経済制裁を緩和するよう要望し始めた。

中国側では引き続き外資企業誘致を重視し、米国政府からの要望を受け入れる形で、中国国内で外資企業と中資企業の待遇格差を縮小することや外資企業の海外送金の自由化などを法律で明文化した。

ところが、2020年になると中国政府のコロナ対応、マスク外交、人権問題などに対する欧米諸国の批判が強まり、外交面では対立が強まった。

この間、2020年後半以降は、コロナの影響で東南アジア等の工場が稼働停止に追い込まれたため、欧米諸国向けの製品を中国企業が代替生産した。

これにより日用品やコロナ禍の下での生活必需品(PC、スマホ、マスクなど)の供給が中国からの輸入増加により支えられ、日米欧諸国と中国の相互依存関係は強まった。

中国政府によるコロナ感染の抑制の成功により、中国経済が世界で最も顕著な回復を示した結果、欧米の一流企業は中国市場での積極的な投資拡大を続けている。

このように最近は外交・安保関係と経済関係が逆方向に向かうなど、中国を巡る国際情勢は複雑化している。

各国のメディア報道はこうした状況をあまり正確に伝えていないため、一般的にはこうした実態が理解されていない。

5.50年の反省に立ち、次の50年を考える

以上から明らかなように、中国はこの50年間、日本政府・企業から様々なことを学び、支援を受け、それを政策運営面で的確に活用し、驚異的な経済発展を遂げた。

しかし、こうした経済面の緊密な相互依存関係と裏腹に、日中関係は1990年代半ば以降、両国民の間の相互理解、相互尊重、相互協力の姿勢が弱まったままである。

50年間を振り返ってみれば、その半分以上は良好とは言えない状態が続いている。日中関係の悪化により経済文化交流がマイナスの影響を受けてきた。

特に両国のメディア報道が相手国のネガティブな面を強調し、双方の国民感情を悪化させたことによるマイナス効果は大きい。

多くの日本企業が中国に対する誤解や国民感情への配慮から中国ビジネスへの取り組み姿勢が消極的になり、収益機会を失った。

これは日本経済のOECDでの地位低下の一因でもある。

メディア報道を鵜呑みにして強い反中感情を抱く親たちが青少年の日中交流に反対し、多くの若い世代の相互理解の機会も失われた。

この10年間は、メディアが対中ネガティブ情報を強調する風潮が日本から欧米諸国全体にも広がり、米国や欧州の対中感情も日本並みに悪化している。

これが客観的な事実に基づく結果であれば致し方ないが、中国のことをよく理解していない記者が思い込みや不正確な伝聞を基に書いた記事に各国国民が振り回されていることが多いのは極めて残念である。

このメディア報道の問題点はビジネスや文化交流を通じて中国人と直接交流のある外国人の共通認識である。

最近はIT化やAI技術の進展により、ネットを通じた情報収集に際して、自分の見方に近い情報が自動的に選別される仕組みになっている。

このため、反中感情を抱く人には、中国に関するネガティブな情報が集中し、中立的な情報が入らなくなっている。

これが誤解によるコミュニケーションの分断を一段と悪化させている。この種の技術進歩は国際的な相互理解にとってマイナスの影響が大きいように見える。

50年の日中関係を振り返り、以上のような問題と真摯に向き合い、改めて次の50年のあるべき日中関係を考えることで、新たなアイデアも湧いてくる。

日中国交正常化50周年の今年がそうした冷静で前向きな姿勢を回復する1年になることを期待したい。