メディア掲載  エネルギー・環境  2021.11.01

ノーベル物理学賞の政治利用憂う

産経新聞 2021年10月26日付「正論」に掲載

エネルギー・環境

今年のノーベル物理学賞に、真鍋淑郎先生=米プリンストン大学上席研究員=の受賞が決まった。地球温暖化の将来予測計算の先駆としての業績が認められた。筆者も真鍋先生の理論にはお世話になった。東大の理学部で物理学を学んだ大先輩でもある。真鍋先生を日本人として誇らしく思う。

だがいまや温暖化は科学というより政治問題になっている。今回の物理学賞も利用されている。


「科学」は決着したのか

今回の受賞をもって「温暖化の科学は決着した」「CO2削減は待ったなし」と言う人々がいる。だがそれは違う。

真鍋先生は気候変動モデルを開発し、温暖化の計算をした。だが地球の気候は複雑なので、その計算は、多くの便宜上の仮定を置いたものにすぎない。その後の多くの研究でも、将来の予測は誤差が大きいままだ。

真鍋先生は、多くの仮定に依存するモデルの限界を認めていて批判者の意見を聞き議論をする。本当の科学者は「科学は決着した」などとは言わない。CO2削減についても真鍋先生は合理的だ。新しいエネルギー技術の開発に投資することが大事で、今すぐ排出を減らすために大金を使うのは効率が悪い、と述べている。

さて今般、グーグルは温暖化には「確立された科学」があり、それに反するネット記事が広告収入を得ることを禁止する、という方針を発表した。だが「確立された科学」など、定義不能である。

地球の気温は過去170年で1度程度上昇したとされるが、これすら結構な誤差がある。今後起きることはネット支配者による恣意(しい)的な言論弾圧のようだ。ガリレオ時代の宗教裁判の復活だ。

リベラルのアジェンダ(議題)である温暖化対策の推進のためにノーベル物理学賞が利用された、という見方もある。オバマ元米大統領が何の実績もない大統領就任直後に受賞したように、ノーベル平和賞のリベラルな党派性は明らかだった。それが物理学賞にまで及んだのかもしれない。


真鍋先生の意をくむなら

日本では、ノーベル賞受賞者などの有名研究者を看板に据えて新しい研究所や大型の研究プログラムが立ち上げられることが多い。

近年の傾向としては、行政主導の下、業界の大御所たちの下に集まったいつもの仲間が、互いを批判せず、ある程度の分け前をもらって、決まった期間で研究する。

だが実は、このような日本的な研究体制こそ、真鍋先生が最も嫌うところだ。以前、一度日本に招聘(しょうへい)され、地球フロンティア研究システムで4年間を過ごしている。けれども相性が悪く米国に戻ってしまった。今も米国籍である。

真鍋先生は、米国では研究計画すら書いたことがなく、最初の8年間は論文も書かなかったが、莫大(ばくだい)な予算を好きなように使えたという。そしてすぐ役に立つのではなく、好奇心による研究が重要だ、と常々述べている。

いま日本では行政主導の大型研究プログラムが多くある。だが温暖化の科学に関連する分野では、「気候が危機にある」という「政治的に正しい」答えを出すことを陰に陽に要求されるようになっている。これでは科学の健全な発展は阻害される。

真鍋先生の意をくむなら、いまの日本型ではなく、予算が潤沢で好奇心に導かれて自由闊達(かったつ)に研究できるような、懐の深い研究体制を作ってはどうか。


気候会議と中国「超限戦」

今回のノーベル物理学賞が温暖化の科学に権威を与え、英国が議長を務める31日からのCOP26(国連気候変動枠組み条約締約国会議)に向けての応援歌になっているのも、偶然ではあるまい。

すでにG7(先進7カ国)は軒並み「2030年にCO2半減、2050年にはゼロ」を宣言している。新興国にも同様な宣言を求めているが応じる気配はない。このままでは会議は失敗でG7は焦っている。

そこで中国が助け舟を出してきた。習近平国家主席は先月、「海外の石炭火力発電事業への資金提供を止める」と発表した。

これに実質的な意味は無い。なぜなら、具体的に何を止めるのか言ってないからだ。中国が着手済みの海外石炭火力事業は2019年時点で7000万キロワットもあったが、これを止めるとは言っていない。これは日本の全ての石炭火力よりはるかに多い。

それでも、欧米の政権は中国に最大級の賛辞を送っている。のみならず、やたらと中国に好意的だ。人権問題を含め厳しい批判が聞かれなくなっていないか。

いま中国は多くの外交問題を抱える。だが温暖化対策への協力を装う間、G7に敵対的行動を自制させられる。リップサービスでCOP26の「成功」を演出することで、中国は数々の譲歩を引き出すのではないか。

温暖化問題は、中国があらゆる手段を使う覇権争い「超限戦」の主力兵器となった。今般のCOP26の裏で中国が何の譲歩を迫ってくるか、要注意である。