メディア掲載  財政・社会保障制度  2021.10.29

今年のノーベル賞 「光」と「影」を冷静な目で

共同通信より配信

秋の訪れとともに毎年恒例となるノーベル賞の受賞者が発表された。今年のラインアップを見渡すと、私たちが直面する今日的問題へのメッセージが読み取れる。世界最高の栄誉とされるノーベル賞がそれらに「光」を当てた意義は大きい。

特に日本出身で米プリンストン大上席研究員の真鍋淑郎氏の物理学賞に注目が集まった。ノーベル賞では異例となる地球温暖化研究の受賞で、高まる危機感が反映された。

文学賞は植民地主義と難民を描いたタンザニア出身の作家。平和賞は強権的な政権への批判を続けるフィリピンとロシアのジャーナリスト2氏。経済学賞は最低賃金や移民が雇用に及ぼす影響などを研究した米国の3氏。いずれも現代社会を象徴する問題ばかりだ。

日本関係の受賞は医学生理学賞5人、物理学賞12人、化学賞8人、文学賞3人(カズオ・イシグロ氏含む)、平和賞1人となったが、喜んでばかりいられない側面もある。

科学3賞は基礎科学分野が多い。日本の基礎科学への資金支援が十分でないことや、頭脳流出を招く不自由な研究環境がメディアなどで指摘される。真鍋氏も記者会見でそうした点を述べた。

だが支援が必要なのは基礎研究だけではない。特に日本は欧米に比べ、医療につなげて患者の治療に役立てる臨床研究が大きく立ち遅れている。

新型コロナウイルスのパンデミックでは、日本の企業や研究機関はワクチンや治療薬の新規開発や臨床試験で存在感を示せていない。欧米から輸入したワクチンの接種率の高さを喜んでいる場合ではない。臨床研究も支援が必要なのだ。

今年のノーベル賞では、新型コロナのmRNAワクチン研究の受賞が有望視された。結局お預けになったが、短期間での実用化を可能にした患者データに基づく臨床研究はもともと受賞対象になりにくい。患者本位の医療がうたわれる現代に、基礎研究に偏るノーベル賞の「古さ」を見る思いがある。

今回の経済学賞のように実証的な労働経済分析が対象になるならば、臨床研究を主としたデータサイエンスや医療経済の分野にも将来、医学生理学賞の「光」が当たるかもしれない。

ノーベル賞には「影」が存在することも忘れてはならない。2018年に選考委員会のスキャンダルで文学賞の発表が見送られたのは記憶に新しい。1926年には後になって誤りが判明した研究に医学生理学賞が贈られた。

25年に文学賞を受賞したバーナード・ショーは「恐ろしいダイナマイトを発明したのはまだしも、ノーベル文学賞を考え出すような発想を許せるだろうか」と皮肉った。フランスの有名な哲学者サルトルは64年の文学賞を辞退している。

ノーベル賞の「影」を強調しすぎて「光」を見失うべきではないが、科学の進歩は、確立された権威の意見を疑う自由な精神と環境から始まる。賛辞を贈りつつも冷静な目で見ること、それがノーベル賞への敬意であろう。