製造業におけるイノベーションに、新製品を開発する「プロダクト・イノベーション」と既存の製品の製造方法を変更して生産費を引き下げる「プロセス・イノベーション」があることはよく知られている。そして第二次世界大戦後の日本の経済について、後者は活発だが前者は相対的に弱いという評価がしばしば与えられる。こうした評価の妥当性はさておき、身の回りにあるさまざまな製品がかつての発明品であったことを考えれば、プロダクト・イノベーションの重要性は論をまたない。
最近、セルゲイ・ブラギンスキー(メリーランド大)、大山睦(一橋大)、チャッド・サイバーソン(シカゴ大)と私は、技術や製品が比較的単純で、しかも詳細なデータが利用できる、明治時代の日本の綿紡績業を対象として、プロダクト・イノベーションのメカニズムに関する研究を行った(American Economic Review, 近刊)。綿紡績業の主な製品は綿糸であり、それは太さ(番手)によって技術的にも市場でも区別されている。1890年代末以降の日本の紡績企業で顕著なのは、製品の種類を増やしながら成長するパターンであった。興味深いことに、このパターンで成功する企業は、まず技術的に難しい細糸の生産を試行錯誤のうえ実現し、そのうえで比較的容易な太糸について製品の種類を増やして行く場合が多かった。難しい技術的課題に挑戦し、その過程で蓄積された技術・ノウハウを多様な製品に応用して行ったと考えられる。
こうした製品開発の順序は、明治期の綿紡績業のものだけではなく、例えばHondaの創業者、本田宗一郎は、F1用のレーシング・カーを、乗用車開発のための「走る実験室」と呼んだ。日本の産業が引き続き成長のエンジンとして機能するためには、困難な技術的課題に挑戦する企業群の存在を欠くことができない。