米国でジョー・バイデン政権が発足して約7か月が経過し、同政権の政策運営の枠組みが明らかになってきた。
足許のバイデン政権にとって最重要目標は来秋の中間選挙で上下両院の過半数を確保し、同政権第1期の後半も政策運営をより円滑に実施できるための条件を整えることである。
そのためには米国民の最大の関心事である新型コロナウイルス感染症の早期終息と経済の早期立て直し、そして米国の政治・社会の分裂を改善し統合に向かわせることが最優先課題となる。
それには議会の協力を得て政策遂行に必要な法案を成立させる必要がある。
その議会において与野党超党派で一致して支持しているのが強い反中感情に基づく対中強硬外交である。このため、議会との協力関係を重視すれば、当面この対中政策方針を修正することは難しい。
ドナルド・トランプ前政権の中枢には中国の政治経済社会の実情や米中関係に詳しい人物がいなかったため、中国専門家の多くが、中国に対する誤った理解に基づく不適切な政策が実施されていると評価していた。
対中貿易関税の引き上げや民生品など広範な製品分野を対象とする技術摩擦などがその典型である。
中国専門家の多くはバイデン政権になれば、そうした非合理的な政策運営は徐々に改善されると期待していた。
しかし、政権発足から7か月が経過し、その期待は失望に変わりつつある。
バイデン政権が目指しているコロナの終息については、6月から7月初旬にかけて新規感染者数が1万人を割る日も見られ7日平均でも1万人台にまで低下したが、その後増加に転じた。
最近(8月中旬)は20万人を超える日もあり、7日平均でも10万~15万人に再び急増している。こうした状況が続けば、経済にも再び悪影響が及ぶことは避けられない。
その背景にあるのは政治・社会の分裂状況の深刻さである。
ミシシッピ、ルイジアナ、アラバマ、アーカンソーなど南部の所得水準の低い州を中心にトランプ前大統領の支持者の多くがこの状況においてもマスクの着用とワクチン接種を拒否しているため、感染力が強いデルタ株のコロナ感染が急速に拡大している。
政治面ではバイデン政権が経済立て直しのために必要としている、雇用創出および低・中所得層向け減税、子育て・教育支援のための2つの重要法案に共和党が反対し、審議が停滞しているため、政策も停滞せざるを得ない。
バイデン政権発足前から米国の中国専門家の多くが、対中政策に関する最低限の改善内容として期待していたことは、中国政府との対話の増加とトランプ前政権が実施した不合理な関税政策や民生品に関する技術摩擦の是正だった。
一方、安全保障に関する技術摩擦、国際的な市場経済・自由貿易・投資環境の条件整備、人権問題などに関してはより洗練された精緻な手法で中国を厳しく追及することが予想されていた。
米中間の対話については、互いに歩み寄りができる要素があれば、対話を重ねるインセンティブにもなり、一定の成果も期待できる。
しかし、現在の米国国内政治の状況を考慮すれば、中国に対して少しでも融和姿勢を示せば議会から厳しく批判をされるのは目に見えている。
この米国の国内政治が制約条件となっているため、米中双方が歩み寄ることを前提とする対話は成立し得ない。
特に最近は、米国側が米中国交樹立の前提である「一つの中国」の合意を無視する行動をとっていることが両国の関係を一段と悪化させている。
こうした状況下で中国に一方的に譲歩を求めても、中国国内でも対米強硬論が根強いため、中身のある対話にはならないのは目に見えている。
以上のような制約条件から、米中間の対話を通じた米中関係の改善、実務的な協力を促進することは期待しにくい。
この問題は、民生品を含む幅広い品目を対象とする不合理な技術摩擦の是正の難しさに関しても同様に当てはまる。
この間、期待されていた不合理な貿易関税の是正についても中間選挙前の是正は難しそうである。
選挙のたびに民主党と共和党が激しく争うスイング・ステート(あるいは、パープル・ステート=民主党カラーの青と共和党カラーの赤の中間の紫という意味)の代表であるオハイオ、ミシガン、ペンシルバニア各州では、大多数の選挙民が地元の鉄鋼・自動車等の重工業の衰退は自由貿易の拡大のせいだと固く信じているため、自由貿易寄りの関税引き下げは猛反対される。
このため、当面、対中関税の引き下げは話題にすることすら難しい。
以上のように、バイデン政権が発足以来目指してきた政策はほとんど実現していない。
本来であれば、早急にコロナの終息と経済の立て直しに関して一定の成果を示し、中間選挙での勝利の道筋にめどをつけ、それを踏まえて米中関係に関する懸案も徐々に改善していくというシナリオが期待されていた。
現在のように重要政策課題への取り組みが停滞している状況下、議会が超党派で強い反中感情に支配されていることを考慮すれば、米中関係に関する不合理な政策の是正に着手できる状況ではない。
米国製の製品、部品、技術、ソフトウエアが米国からある国(たとえば日本)に輸出された後に、第三国(たとえば中国)に再輸出される場合、再輸出先、製品などの使用者、輸出貨物・提供技術の種類、米国製品や技術が輸出品目に占める比率(たとえば25%)などにより米国法の規制を受ける。
これは米国輸出管理規則(EAR=Export Administration Regulations)に基づく再輸出規制の「域外適用」と呼ばれる措置である。
これは米国のみが米国国内法による規制を海外の企業・個人の活動にも適用しているもので、国際法に違反すると指摘されている。
バイデン政権発足後の米中対立の深刻化を背景に、中国に進出している日本企業の多くが、自社製品がこの域外適用の対象になるのではないかと心配している。
日本政府は当初、この米国の措置に対しては、個別企業が米国の弁護士事務所などに相談して、自力で解決すべき問題と捉えていた。
しかし、最近のバイデン政権下における米国政府の規制がエスカレートする状況を考慮し、日本企業保護のために日本政府も支援する方向で体制を整備中である。
米国企業は自社製品が輸出規制の対象に含まれるか否かについて、米国政府関係機関に照会すれば1日程度で回答が得られるため、この規制があまり大きな障害になっていない。
これに対して日本企業は、現在日本政府が体制整備中であることもあり、自社製品が米国政府再輸出規制の適用対象かどうかを判断する方法が分からず、とりあえず慎重に行動する傾向が強い。
この結果、中国企業との取引決定の判断が遅れ、欧米企業にビジネスチャンスを奪われるリスクが高まっている。
この問題は、一見すると日本政府の対応の不備のように見えるが、根本的な問題は日本企業の本社側の対応にある。
本来、海外市場における投資環境や競争条件に影響する各種規制や現地政府の政策運営方針などを正確に把握することは、海外でビジネスを展開する際の重要な前提である。
外国の法律、規制、政策運営は日本国内とは異なる制度設計やビジネス習慣の前提の下に運用されているため、日本の常識が通じないのが普通である。
ところが、多くの日本企業は上記ルールの法律条項の文言を日本流に解釈して判断するケースが目立つ。
各国の個別ルールの運用実態にまで踏み込んで調査し、現地政府と交渉して運用実態を確認し、それを前提に各国において日本とは異なる対応を柔軟に採るといった努力が不足している。
そもそも本社の法務、経営企画、財務などの海外事業の審査関連部門には中国に詳しい人材がほとんどいない。
このため、中国現地の責任者が本社に対して中国でのビジネス運営の実態を説明して理解、協力を求めると、自分自身の中国に関する理解不足を反省することなく、「お前は中国に染まったのか」といった感情的な返答が返ってくることがしばしばである。
根本的な欠陥は本社の審査・管理部門の人材のグローバルな視点の欠如にある。
そもそも海外勤務の経験が乏しく、海外と日本の違いに関する基本認識が不十分なため、グローバルな視点に立つ柔軟な対応の必要性を認識できないのである。
欧米のグローバル企業では本社関係部門が現地責任者と緊密に連携し、現地の実態を十分把握したうえで、進出先の政府とも積極的に交渉する。
必要に応じて自らの本国政府にも働きかけ、助力を得ながら問題解決を図る。
そうしたプロセスの中で、本国政府も進出先相手国の政府との交渉を重ね、自国企業へのサポート力を強化させている。
2020年以降の世界的なコロナ感染拡大の状況下、中国政府のコロナ対策が有効に機能しているため、中国経済の回復も順調である。
その結果、日米欧の一流企業は、世界各地の拠点の中で中国拠点の収益率が世界でトップになっているケースが多い。
このため、欧米企業は今年になって対中投資姿勢を一段と積極化している。
これは米国政府が目指す方向とは明らかに逆方向に向かっているが、米国政府、EU・欧州各国政府ともこうした自国企業の積極的な中国事業展開を抑制しようとはしていない。
中国に進出している日本企業も基本的には欧米企業と同じ方向に向かってはいるが、欧米企業ほど積極的ではない。
その一つの原因になっているのが、米国政府の域外適用に対して本社関係部門が神経質になっていることが指摘されている。
神経質になっているだけで、本社自身は問題解決のための情報収集努力は行わず、日本政府の対応を待って様子見の姿勢の企業が多い。
これでは厳しい中国市場での競争において欧米一流企業に勝てるはずがない。
今後米中対立が長期化するのは避けられない。一方で、グローバル市場において欧米企業との競争の中で日本企業が生き残るには、巨額の利益を生み出す中国市場での競争で勝ち抜かなければならない。
米中対立の下で、グローバルな情報収集努力を大幅に強化し、的確な情報に基づいて柔軟かつ合理的な経営判断を下していける経営組織を構築することが日本企業の重要課題である。