新築の公共建築物を対象に、太陽光発電設備設置の原則義務化が決まった。
新築住宅への義務化は見送られたが、議論を巡りさまざまな意見が出ている。
設置義務化の愚かしさコスト踏まえ政策判断を
日本政府はCO2削減目標を26%から46%へ20%も引き上げた。固定価格買い取り制度(FIT)の実績からいえば1%当たり毎年1兆円の費用がかかっており、単純計算しても毎年20兆円の費用が追加でかかる。政府がほのめかす太陽光発電の設置義務化を実行すれば国民は疲弊し、産業は高コストになり、日本経済は弱体化する。
太陽光パネルは確かに従前よりは安くなったが、まだ電気料金への賦課金を原資に寛大な補助を受けている。太陽が照ったときしか発電しない間欠性という問題は解決していないため、いくら太陽光発電を導入しても火力発電所は必要なので二重投資になるし、火力を減らしてしまえば停電のリスクが高くなる。
安価に太陽光発電を設置できる場所も減ってきており、これも今後の高コスト要因になる。小泉進次郎環境相は、まだ空いている屋根があるから設置をすればよいと言ったが、なぜまだ空いているのか理由を考えないのだろうか。これまでも莫大な補助が与えられたにもかかわらず、採算が合わなかったのだ。
太陽光も強制労働の産物か? パネル価格高騰の懸念も
そもそも太陽光発電はCO2排出こそ少ないが、本当に環境に優しいかも疑わしい。大変頻繁に誤解されているが、太陽光や風力発電は「脱物質化」などでは決してなく、むしろその逆である。太陽光や風力発電は、確かにウランや石炭・天然ガスなどの燃料投入は必要ない。一方で、広く薄く分布する太陽や風のエネルギーを集めなければならない。このため原子力や火力よりも多くの発電設備が必要で、大量のセメント、鉄、ガラスなどの材料を投入せねばならず、結果、廃棄物も大量になる。
屋根ではなく地上に設置する方がコストは安くなるが、広い土地を使う。農地や森林がその代償で失われる。施工が悪ければ台風などで破損したり土砂災害を起こしたりして近隣に迷惑が掛かる。日本には1993年を最後に、中心気圧が940ヘクトパスカル以下の横綱級の台風は不思議と来なくなった。だが、またいつ来るか分からない。日本の太陽光発電設備はいまだそのような台風を経験していないので心配が募る。
太陽光発電設備は安くなったというが、その理由は何か。太陽光発電にはさまざまな方式があるが、いま最も安価で大量に普及しているのは結晶シリコン方式であり、世界における太陽光発電用結晶シリコンの80%は中国製である。そして、うち半分以上が新疆ウイグル自治区における生産であり、世界に占める新疆ウイグル自治区の生産量のシェアは実に45%に達する。
高いシェアの理由は、安価な電力、低い環境基準、そして低い賃金である。多結晶シリコンの生産には大量の電力が必要で、新疆では安価な石炭火力で賄っている。また、製造工程では大気・土壌・水質に環境影響が生じ得るので、規制が厳しいとコスト要因になる。
では賃金が低い理由は何かと考えると、強制労働に太陽光発電産業も関わっている疑いがある。コンサルタントのホライゾンアドバイザリーの報告によると、世界第2位の多結晶シリコン製造事業者・GCLポリエナジー、および同第6位のイーストホープが、強制労働の疑いのある「労働者の移動」プログラムに明白に参加している。ほかにも複数の中国企業の名前が挙がっている。海外の太陽光発電関係企業は、米国のウイグル強制労働防止法や、それに追随するであろう諸国の規制への対応を検討している。既に、米国の大手電力デューク・エナジーやフランスのエンジーなど、175の関係企業が、サプライチェーンに強制労働がないことを保証する誓約書に署名した。米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)によれば、中国製の輸入を止めると太陽光パネルの価格は倍増する。日本もこの覚悟が必要だ。
政府は住宅への設置義務化は見送るが、官公庁の建築物へは設置を義務化する方針だという。だが官公庁だからコストを度外視してよいという発想は誤りではないか。おおよそ技術は進歩してみな安くなるが、政府はわざわざコストのかかる政策を選んで実施するのが得意だということを忘れてはいけない。
国民の納税は公務のためであり、太陽光発電のためではない。筆者は以前から「政策のカーボンプライシング」を提案している。政策の実施に当たっては、1tのCO2削減に何円かかるのかを明らかにし、それによって実施の可否を決めるというものだ。コスト無視の官公庁には炭素税も効果がなさそうだが、「政策のカーボンプライシング」によって無駄遣いに歯止めをかけることができる。