メディア掲載 エネルギー・環境 2021.07.26
Daily WiLL Online HPに掲載(2021年7月8日)
"EUが脱炭素のイノベーションに邁進しており、日本はこのままだと国際的な大競争に負ける、EU同様の産業政策が日本にも必要だ"—こんな言説をよく聞くようになったが、本当だろうか。実態としては、EUはアンチ・テクノロジーの規制でがんじがらめになっていて、イノベーションどころではないのだ。日本がEUの轍を踏むことが全く愚かである理由を、2回にわたってお届けする。
EUの"グリーン・ディール"に経産省が危険な追随
日本の政策論議には、「ドイツでは、イギリスでは、EUでは」といった「出羽守(「では」のかみ)」信仰がある。「先進的な海外の事例では」こうなっているから、日本でもそうすべきだ、といった類の話だ。だがそもそも、その「先進的な海外の事例」なるものが、分析の欠落したご都合主義の切り取りであることが多い。
EUは「グリーン・ディール」なる産業政策で脱炭素に邁進しており、日本も同様なことをしないと世界に取り残される、という意見もその一つだ。
経産省もこの危険な考えにかなり毒されている。
すなわち、政府資料「経済産業政策の新機軸~新たな産業政策への挑戦~ 令和3年6月 経済産業省」では欧州のグリーン・ディールを紹介し(図1)、日本でも「社会的要請に応える」「ミッション志向」の「産業政策」「イノベーション政策」が必要であるとして、グリーンはその第一の柱となっている(柴山桂太氏:経産省が「産業政策の再評価」に舵を切った理由)。
図1 欧米の経済対策例(グリーン関係) via www.meti.go.jp
EUでも官僚は「規制」が大好き
EUの研究・イノベーション計画の中心には「ホライゾン」と呼ばれるプログラムがある。そこでは確かに巨額の研究予算がブリュッセルの研究総局などから配分されてきた(図2)。いまこれを更に拡大することが議論されている。
図2 EUからの助成資金 via www.meti.go.jp
けれどもプログラムの運用の仕方を見ると、ずいぶんと官僚的だし、リベラルな(=左翼的な)価値観に満ちている(図3)。曰く、気候変動などの「社会課題」に寄与するものでなければならず、研究の各段階で「ステークホルダーを巻き込んで」ゆかねばならない。ステークホルダーには当然に行政官も含まれる。
図3 欧州の研究・イノベーション動向まとめ via www.meti.go.jp
このような政治エリートの強力な介入のもとでは、本当のイノベーションなど滅多に起こらない。ブリュッセルはそのことを全く解っていないようだ。
図2を見るとEUは研究予算をずいぶん増やしてきたとようだが、それで過去に使った莫大な予算はどのような成果を出したのか。この間、主要なイノベーション(注:イノベーションとは発明・発見だけでなく、その本格的な普及を含む)はアメリカやアジアなど、悉くEUの外の国々が先行してきたのではないか?
また、図3にもあるように、EUはイノベーション自体を担う以上に、その標準化競争に勝ちたいという意欲が強いようだ(解説 新たな環境市場を創出する欧州グリーン・ディール:欧州技術の国際展開、NEDO TSCトレンド)。国際金融情報センターのブラッセル事務所長であった金子寿太郎氏の著書『EU ルールメイカーとしての復権』にあるように、EUは法律作りがお得意である。
ところで≪標準化≫というのは、まじめに技術を育てて儲けるためだけでなく、その上前をはねるためにも使われる。これまでも、日本企業がまじめにモノを作ってお金を稼いでいるときに、ISOの認証やコンサルなどで欧州企業が儲けるということがよくあった。EUはこのパターンの拡大再生産を狙っているのだろうか。
ブリュッセルはとにかく「規制」や「標準」が好きで、何か空白があると規制しないと気が済まない体質だという。規制が無ければ、そこでは自由な経済活動が許される、という自由主義的な発想がそもそも欠落しているのだ。
イノベーションを阻害するEUの「規制」たち
よく「EUの規制はやがて世界の標準になるから日本も早々に合わせた方が賢明だ」という意見があるが、これは全く事実と異なる。
欧州発の愚かな規制は数多くあり、イノベーションを阻害している。その中には、欧州は施行しているものの、世界では受け入れられておらず、国際標準と呼ぶには程遠いものも多い。
★例1 CO2回収貯留技術(CCS)の禁止
CO2回収貯留技術(CCS)は本当に脱炭素を目指すならば必要不可欠な技術とみなすのが普通である。だが、CCSはドイツでは禁止されている。「化石燃料を用いるので本質的な解決でない」とか、「地中に埋める場合の環境問題がある」などが理由のようだ。脱炭素を目指すと言っておきながら、このちぐはぐ具合は何とも言えない。
★例2 遺伝子組み換えなどのバイオテクノロジーの実質禁止
米国の農家はバイオテクノロジーを駆使して穀物を大量に生産しEUの畜産農家にも輸出している。遺伝子編集などの最新技術もEUでは研究すら出来ない。このもっとも将来性の高い分野でEUは技術進歩を禁止している。
★例3 ディーゼル車=クリーンの嘘
ディーゼル車がクリーンであるということをドイツ自動車業界はブリュッセルの規制当局を巻き込んで宣伝し、一時はこれが世界を席捲するかと見られた。だが、当のドイツ自動車業界の排ガス試験不正が発覚し、このシナリオはあっけなく崩壊した。いまではディーゼル車がクリーンだ等とは口が裂けても言い出せない状態になった。
★例4 シェールガス採掘の禁止
シェールガス採掘技術は米国で発達し、米国は世界一の産ガス国になった。これは経済性が高くなり、石炭火力を代替していった。この結果米国ではCO2は大幅に削減された。だがドイツ、イギリス等ではシェールガス採掘は、地下水への環境影響があるなどとして、禁止されている。
★例5 サイクロン式掃除機の排除(現在は認定)
ダイソン社のサイクロン式掃除機は、既存の掃除機メーカーのブリュッセルでのロビーイングに遭い、不当に「省エネ性能が劣る」と判定されてなかなか市場に普及できなかった。5年越しで認められた時には、すでに競合メーカーが似た製品を出すようになっていた(マット・リドレー著「人類とイノベーション」)。
以上は直接に規制によってイノベーションが妨げられた例だ。
まだあるEUの「アンチ・テクノロジー」例
さらに、禁止はされていなくても、EUはリスボン条約に規定された「予防原則」を筆頭に、多大な便益をもたらしうる新規技術であっても、何等かの問題を見つけては否定するという「アンチ・テクノロジー」の雰囲気が強く、イノベーションを阻害された技術は多い。
★例1 原子力発電
よく知られているように、ドイツなどでは脱原発を決めている。
★例2 風力発電
景観・騒音などの問題があるため、ドイツやイギリスでは陸上での風力発電は事実上建てられなくなった。それでいま洋上に展開しているが、これも景観の問題があるため浅い海から深い海に移動していおり、大きなコスト要因になっている。野鳥への悪影響もかなり言われ始めていることから、深い海であってもそのうち禁止されるかもしれない。
★例3 デジタル技術
図3にもあるように、EUはグリーンと並んでデジタルも重点的な分野だとしている。だが、一般データ保護規則(GDPR)に代表されるように、個人情報の保護などに重点があり、どう産業を育てるかという視点より、どう規制するかという関心の方が高いようだ。EUにはGAFAMのような大企業は育たなかったし、これからも育たないだろう。また図3にはスタートアップ支援とも書いてあるが、EUでは何か事業を始めるとすぐに膨大な規制や書類書きに直面する。これではスタートアップは大企業に比べて圧倒的に不利である。
もちろん個人情報保護などが全く野放しで良いというのではない。だがバランスの問題である。EUはすでに規制でがんじがらめになっていて、あらゆるイノベーションが進まない。
古来、自由な経済活動が妨げられるとき、技術進歩の停滞はよく起きた。中国の明朝はその代表例とされる。EUもそうで、官僚主義と規制が強すぎて、やはりイノベーションは起きなくなっている。
後編では、「EUの戦略」なるものの正体を深堀するとともに、日本がイノベーションを起こすために取るべき選択について、より詳しく述べる。
~つづく~