メディア掲載 エネルギー・環境 2021.06.14
Daily WiLL Online HPに掲載(2021年6月2日)
世間では「脱炭素」は当然…という流れで政策もビジネスも展開しつつあるが、無理な「脱炭素」を進めることによって増える負担について、本当に国民は理解しているのだろうか?実は既に英国では光熱費が払えずに冬でも毛布にくるまっている人々をさす「energy poverty(エネルギー貧困)」という言葉がある。エネルギー貧困は決して対岸の火事ではない―
実はすでに年間6万円も払っています――太陽光発電の実態
割高な太陽光発電などを買い取るために、日本の家庭電気料金には「再生可能エネルギー賦課金」が上乗せされて徴収されている。この金額は年々増え続け、ついに世帯あたりで今年年間1万円を超える見通しだ。
これでも結構大きいが、じつは、氷山の一角に過ぎない。
政府によると、賦課金は2020年度には年間2.4兆円に達した。日本の人口を1.3億人とすると、一人あたり約2万円となるので、世帯の人数を3人とすれば年間約6万円に達するはずだ。
再生可能エネルギー賦課金額の推移 via 資源エネルギー庁
では6万円と1万円の差額である5万円はどうなっているのか? これは企業が支払っている。けれども、その分人々の給料が下がったり、物価が上がったりしているので、結局は国民が負担している。
つまり、太陽光発電などの賦課金だけで、すでに国民は世帯あたり年間6万円も負担しているのだ。
家庭の電気料金は総務省家計調査によると3人世帯で毎月1万円程度、つまり年間12万円程度だから、事実上、電気料金は、すでに約1.5倍になっている。
「2030年46%削減」で年間60万円に
さて、国民の負担のもとそれだけ太陽光発電を導入して、CO2はどれだけ減ったか?
太陽光発電は日本の発電量の7%を占めるに至った。つまり日本の発電部門からのCO2を7%下げることに貢献したとみてよい。ただし、CO2のうち発電に由来するのは全体の4割であり、残り6割は工場のボイラーや自動車の排気などから出ているので、日本全体のCO2の削減という観点では7%×4割=3%しか貢献していない。
毎年3%のCO2を減らすために3兆円近くかけているということは、1%のCO2を減らすために1兆円かけていることになる。この「1%イコール1兆円」は記憶しやすいので、この際ぜひ覚えておいていただきたい。
さて、菅政権はこれまで「2013年比で26%削減」だった目標を「46%削減」まで深堀りしてしまった。これはどれだけの国民負担になるか。
20%の深堀りだから、上記の「1%イコール1兆円」を適用すると年間20兆円になる。
2030年の日本の人口は1億2千万人と予測されている。年間20兆円なら、一人あたりだと約16万円になる。世帯人数が3人なら、48万円だ。
普通の家庭の電気料金が毎月1万円、つまり年間12万円程度とすると、それに48万円が上乗せされて、電気代は5倍、合計約60万円になる。
もちろん実際には、これは家庭の電気料金だけでなく、企業の電気料金からも徴収されるだろう。しかしすべては結局は国民が負担する。それに、企業は国際競争に晒されているから、その負担は軽減される代わりに、家庭に重くのしかかることになることは十分に予想される。
「エネルギー貧困」へ陥る危険性
政府としては、「太陽光発電はもう安くなったから、今後はコストはあまりかからない」、と言うかもしれない。
さあ、どうだか。太陽光発電の置きやすい場所は減っていく一方であるし、晴れた時しか発電しないという不安定さがあるために導入が進むほど送電線の増強などの対策費用がかさむ。それに「新築住宅への太陽光発電義務付け」「公用車の電気自動車化」など、政府はわざわざコストのかかる政策を選択して実行することが得意そうなのは相変わらずだ。
そして、近年安くなった最大の理由は中国の新疆ウイグル自治区で生産されたものを輸入してきたことだ。これには強制労働の関与が疑われている。米国シンクタンクCSISの報告では、不正な貿易慣行を理由に中国製太陽光パネルの輸入を止めた米国では太陽光パネルの値段は約2倍になったという。
多くの人々は、電気代が5倍になったら、冷暖房を止めるだろう。日本でも昔は電気代が高くて冷暖房をしない人がいたが、またそのころに戻るということだ。
英国ではenergy poverty (エネルギー貧困)という言葉がある。電気やガスの値段が高いので、暖房をつけず、マフラーや帽子をして布団にくるまっているお年寄りがまだたくさんいる。(映画「チャーリーとチョコレート工場」に出てくる少年チャーリーの家もそうだ)。
「脱炭素」で電気代がどこまで上がるのか。いま政府では「46%」に辻褄を合わせるための具体的な政策の検討が進んでいる。国民は、ご無体な負担が降りかかってくることの無いよう、よく動向を注視し、声を挙げねばならない。
さもなければ、9年後には寒さに凍えるか、あるいは反乱でも起こすしかなくなるかもしれない。