気候変動の農作物への影響は、気温上昇だけで決まるほど単純ではない。その影響は人間の適応能力によって軽減されるので、過去に起こった適応の事象を知らなければ真の影響評価には至らない。都市農業の一つである東京の野菜栽培は、江戸時代から現在に至るまで技術革新などによって環境変動に抗い、適応してきた人間の歴史そのものである。
1.都市の野菜は地球温暖化に適応できるのか?
葉物野菜が安い。2020年12月、新型コロナウイルスの再拡大や家庭での鍋物需要の減少と暖冬による豊作が重なり、東京市場の卸値が平年(過去5年の平均)を2割下回ったという注1)。このように気温上昇は冬場の野菜の生産力自体には便益となるが、一部の野菜についてはこれが転じて悪影響となる場合がある。例えば、キャベツはある程度の大きさになった後の低温で花芽が形成されるため、春キャベツは厳寒期に余り大きくなってしまわないような限界播種期を地域ごと・品種ごとに設定して、それ以前に播種しないようにしている。しかし、温暖化が進行すると従来の限界播種期では厳寒期に大きくなりすぎてしまい、低温感応・花芽形成が起こり、出荷できなくなるかもしれない注2)。パリ協定(2015年COP21において採択)や気候変動適応法(2019年制定)でも、農作物の品質低下などは現在生じており、将来予想されるさらなる被害の防止・軽減に積極的に「適応」する必要性が述べられている注3)。
東京のような大都市は、ヒートアイランドの進行(都市化昇温)によって将来世界的に起こりうる地球温暖化を先取りして経験しているはずである注4)。地球温暖化や都市化による農作物への影響は、どの程度だったのだろうか?また、その時人間はどのような対応(適応)を行ってきたのだろうか?
2.東京コマツナ適応の歴史
戦後、大規模な都市化が進んできた東京では「都市農業」と呼ばれる形で野菜栽培が生きながらえてきた。中でも、豊富な労働力を基盤に集約的な栽培がなされ、高い収入を達成してきたのはコマツナであり注5)、その出荷割合は全国の13.5%に達する注6)。コマツナの発祥は江戸時代の小松川村(現在の江戸川区)といわれており、400年以上の歴史をもつ「江戸東京野菜」の一つである注7)、注8)、注9)。当時は「冬菜」の名称で秋冬期にのみ栽培されていたので、寒さにあたることでその菜は甘味を増し、香りも良かったという注10)。
図1(a)1960年から現在までの東京都におけるコマツナの年間収穫量、(b)年平均気温(気象庁アメダス)、(c)単収(10アールあたりの収量)および(d)作付面積の推移。○印+点線:東京都経済局農林緑政部農芸緑生課(1976)による推計(1965–1974年)注11)、○印:農林水産省野菜生産状況表式調査結果(1976, 1978年)、東京農林水産統計年報(1980–2006年)および東京都農作物生産状況調査結果報告書(2007年以降)。(a)の(1)–(5):コマツナ生産に影響した可能性のある様々な要因(野呂、2004注12);石原、2015注13);石原、2019注5)を参考に著者が推定)。(b)赤線および赤字:単回帰直線と決定係数。
近代の東京都のコマツナ生産に関する統計データは、1965年から存在する(図1a, cおよびd)。現在に至るまでに、年々の収穫量が大きく変動していることがわかる(図1a)。収穫量そのものはコマツナの単収(図1c)と作付面積(図1d)の積で決まり、これらの要因は農業の技術革新や気温上昇などの環境変動(図1b)で変化する。この変化をもたらした可能性のある過去のイベントを野呂(2004)注12)や石原(2015)注13)に基づいて推測すると、次のようになる(野菜生産の品種改良や普及プロセスの重要性については、CIGS研究ノート注14)を参照):
(1)周年栽培技術の導入(1967年頃に収穫量の推計値が急激に増加):1955年頃までは秋冬期にのみ栽培されていたコマツナであったが、コマツナなどの葉菜類に特化した専作経営が出現し、施設(トンネル・ハウス)を用いた栽培が導入された。その結果、夏季の高温・乾燥・強光による生育阻害や冬季の低温による生育不良・枯死などの問題を解決し、一年中栽培できる「周年栽培技術」が確立された。
(2)病虫害などによる被害(1980年まで収穫量が低下):1974年以降、当時コマツナ生産の中心であった江東地域で白さび病・炭そ病や害虫による被害が増加した。また、1987年には萎黄病も発生している。これらの病菌や害虫は高温期に繁殖しやすく、(1)の周年栽培の開始とともに生じた問題といえる。当時の被害の規模を示した論文はないが、この時期の収穫量低下に少なからず影響していると考えられる。
(3)防除対策・耐環境品種の開発(1983年の収穫量の急激な増加):(2)への対応(適応)として、東京都の農業改良普及センターや農業試験場による生産者への指導により、耐病性品種の導入や土壌消毒が実施された。また、1978年に坂田種苗株式会社(現 サカタのタネ株式会社)が晩抽性で品質も良好な初の一代交配品種(F1)の「みすぎ」を育成し、周年栽培が急速に普及した。これをきっかけに、春夏期には生育が緩慢で葉色が濃く、節間伸長も少なくて徒長しにくい品種や、秋冬期の生育が早くて1株が重く収量性の高い品種などの開発が急激に進んだ。
(4)気温上昇の影響?(1994年以降の収穫量の緩やかな減少):(1)と(3)の技術革新の後、年平均気温の増加に対してコマツナ単収が減少する傾向がみられた(図1a, bおよび図2a;信頼度水準99%で統計的に有意)。単収が減少するメカニズムとしては、地球温暖化や都市化昇温による高温日数の増加や近隣の建物の高層化に伴う日陰の増加(主に日照の低下)などが考えられる。夏季などの高温下では、コマツナは軟弱徒長しやすく乾物重が減少し品質も下がると言われているが注12)、気温だけでなく品種・ハウス管理・農家の力の入れ方などの様々な要因が単収に影響しうるので原因を特定することは難しい。このような不確実性を踏まえた上で、夏季の気温上昇の悪影響の「上限」を考察するべく、本稿では予備的にこの期間の単収の減少はすべて地球温暖化や都市化昇温によって生じたと仮定する。
(5)市街化による農地減少(現在までの収穫量の減少):コマツナの作付面積に伴う顕著な収穫量の低下を反映している(図1a, dおよび図2b;信頼度水準99%で統計的に有意)。2003年までは市街化により大幅に低下したが、それ以降は緩やかな減少または横ばいが続いている。この横ばい傾向は、人手不足・高齢化を課題とする生産者がコマツナの栽培の容易さや周年栽培・専作化による高い収益性を評価していると同時に、消費者もコマツナのカルシウム・鉄分・ビタミン類など高い栄養価を評価しているということを反映しているのかもしれない。
図2 (a)東京都の年平均気温とコマツナ単収(10aあたりの収量)および(b)作付面積と収穫量の散布図。赤線および赤字:単回帰直線と決定係数。(a)の単収のデータには、気温だけでなく品種・ハウス管理・農家の力の入れ方などの様々な影響も含まれている。
3.気温上昇への適応は30年以上前になされていた
過去の地球温暖化や都市化昇温による農作物への影響と人間の適応速度を比べるために、図1の(1)–(5)のイベントに対して収穫量を決める単収や作付面積の増減率を計算した(表1)。これによれば、図1 の(4)気温上昇の影響でコマツナの単収が37年間に4%減少した可能性がある。前章で述べたように、これは最大見積もりと考えるべきであり、実際の地球温暖化と都市化昇温の影響はさらに小さいと考えられる。一方、(2)の病虫害による被害は単収の減少率にして43%と8倍以上である。そして、この問題は(3)の技術革新によっておおむね解決し、逆に単収の増加(+118%)が生み出された。そして、近年の市街化による作付面積の低下は(4)の気温上昇の影響よりも深刻であり(–30%)、東京のコマツナ生産を維持する観点では早急に解決すべき問題である。行政による農業振興施策などによって農地や緑地が増えれば注5)、植物の蒸散作用により気温上昇も抑えられるので注15)、結果的に気温上昇への適応策にもなるであろう。
表1 図1の各イベントが及ぼすコマツナ生産(作付面積・単収)の増減率への影響と推計対象期間。(4)の気温上昇と仮定した影響には、品種・ハウス管理・農家の力の入れ方などの様々な影響も含まれている。
コマツナ生産の歴史は、収益性の向上などを目的とした過去の技術革新によって将来の地球温暖化に対する適応がなされていたことを示す好例である。もともと暑い時期の栽培に向いていなかったコマツナの経済効果を高めるために周年栽培を試みて、高温時に発生する病虫害の問題に出くわしたが、人間はたった3年でその問題を解決した。東京では、30年以上前に全く別の目的で気温上昇への適応がなされていたのである。近年では、夏季の猛暑時におけるハウス内の作業員の効率低下などが問題視されているが注16)、周年栽培可能なコマツナについては栽培時期をずらすなどの対応が自然に起こり、いつのまにか解決しているのではないだろうか。
4.適応はシミュレーションではなく環境史に学べ
江戸時代以降の東京でのコマツナ生産の歴史では、人間が経済的利益を得るために自然に対して「逆らう」ことで病虫害などの問題が生じ、それによる適応もまた行われてきた注9)、注17)。ところが、気候シミュレーションなどの地球温暖化の影響予測で「人間社会の適応能力は時間とともに変化しない」という前提に立っており、将来の悪影響を過大評価している注18)。現実には、表1のように人間社会の変化の速度は地球温暖化の進行速度よりもはるかに速いはずであるが、このような複雑なプロセスをシミュレーションに反映するのは非常に難しい。
ここは発想を変えて、東京のような将来の地球温暖化を先取りしている大都市を舞台にして、過去の適応の歴史を学ぶべきではないだろうか?人口や土地利用の変化などの気候変動以外の様々な社会的要因を含めて解析することは容易ではないかもしれないが、近年では、古気候学者・歴史学者・考古学者が一堂に会して気候と歴史の関係を解明する学際プロジェクトも進んでいる注19)。本稿の予備解析にも、収穫量データの解釈や現場の農家の意識、さらには東京以外の状況の把握など、人間社会の動きを定量化しない限り解けない難問が含まれている。このような問題に正面から取り組むことこそ、地球温暖化によるリスクが土地改変などの人間活動による様々なリスクと比べてどの程度深刻なのかを明らかにするために最優先すべきではないだろうか。
【謝 辞】
コマツナの単収データの解析にあたっては、近藤純正東北大学名誉教授に助言いただいた。本稿で使用した統計データの一部は、農林水産省関東農政局東京都拠点に提供いただいた。東京(大手町)の気温データは、気象庁ホームページから取得した。
注1)日経(2020)野菜急落、11年ぶり安値 12月、「緊急需給調整」も発動
注2)岡田邦彦(2017)地球温暖化がもたらす野菜生産への影響、その評価と推定について,野菜情報,2-4
注3)環境省(2019)気候変動適応法(平成 30 年法律第 50 号)
注4)堅田元喜(2020)猛暑日は都市化によって増大している
注5)石原肇(2019)都市農業はみんなで支える時代へ:東京・大阪の農業振興と都市農地新法への期待,古今書院,pp. 254
注7)大竹道茂(2009)江戸東京野菜 物語篇,農山漁村文化協会,pp. 159
注8)吉村聡志(2010)産地紹介 東京都足立区,葛飾区,江戸川区(こまつな)―シャキッとした新鮮なこまつなを栽培,野菜情報,70,10-14
注10)仲宇佐達也(2008)野菜でたどる東京農業の歴史,まちと暮らし研究,第3号,17-22
注11)東京都経済局農林緑政部農芸緑生課(1976)東京都野菜生産流通関係資料
注12)野呂孝史(2004)コマツナの特性と品種、作型,野菜園芸大百科(17)第2版 ハクサイ/ツケナ類/チンゲンサイ/タアサイ,農山漁村文化協会,237-242
注13)石原肇(2015)東京都江戸川区における市場出荷型コマツナ産地の存続戦略,地球環境研究,17,83-100
注14)堅田元喜(2021)品種改良と普及プロセスを考慮した適応研究の必要性,CIGS研究ノート
注15)堅田元喜(2019)水田の減少は、日本の気温を上昇させている?
注16)齋藤雄司, 樫村修生, 野田恒行, 桜井政夫(2016)夏期暑熱環境下ハウス栽培作業時における農業従事者の体温調節反応,日本生気象学会雑誌,17,83-100
注17)杉山大志(2012)環境史から学ぶ地球温暖化,エネルギーフォーラム新書,pp. 243
注18)杉山大志(2018)地球温暖化問題の探究 リスクを見極め、イノベーションで解決する,デジタルパブリッシングサービス,pp. 368
注19)中塚武, 鎌谷かおる, 渡辺浩一(2020)気候変動から読みなおす日本史 (5) 気候変動から近世をみなおす―数量・システム・技術,臨川書店,pp. 296