日本体験の語り部不在/“外国”知る機会も減少
残念な事ではあるが、オリンピック・パラリンピックにおける海外からの観客受け入れを断念する事が決定された。このために海外の友人から届く電子メールには、最近「残念だ」という言葉が必ず入っている。
海外からの観客受け入れ断念によって被る損失は計り知れない。様々な経済的損失や大会組織委員会による開閉会式などの周到な準備が水泡に帰する事に加え、政治的・社会的損失も考慮する必要がある。
政治的にはパブリック・ディプロマシー上の機会損失が懸念される。第一の問題は各国を代表するアスリートたちの活躍を伝える海外ジャーナリズムの活躍が限定的になってしまう点だ。訪日した外国人ジャーナリストが、プライムタイム帯のマスメディアを通じ、また大きな影響力を持つ各自のソーシャル・メディアを通じて、自国に伝える多種多様の日本情報が限定的になる点だ。
当然の事ではあるが、外国人による日本情報には日本側の努力と演出を必要としない。こうした利点に加え本国の人々に共通した価値観と言葉で伝えるがゆえに日本側の努力と演出以上に「日本のイメージ」を効果的に伝えてくれる事が期待できる。この海外メディアの発信に関する機会損失は想像以上に大きいのだ。
第二の問題は訪日外国人が帰国後に生み出す中長期的なパブリック・ディプロマシー上での機会損失だ。「日本のイメージ」を伝える効果は前述した大会期間中に発生するものに限定されない。訪日した外国人は、様々な日本人と対話し、銀座などの近代的な街並みや、浅草などの伝統文化をたたえる歴史的な街並みを観る事であろう。さらには極めて正確な運行時間に加え、丁寧なアナウンスが流れる清潔な公共交通機関に驚くであろう。彼らは「日本のイメージ」の“語り部”となり、この体験を“思い出話”として様々な機会に語り、パブリック・ディプロマシー上、役割を果たしてくれるであろう。こうした中長期的効果も失う事になるのだ。
社会的損失として残念な事は、日本人が国内にいながらにしてグローバリゼーションを体感する機会を失う点だ。国際公用語でない日本語を話す外国人は極めて限られる。このため訪日する大多数の外国人は自国語以外では英語を中心とした国際公用語で準備して訪日する。こうした状況のもと、多くの日本人が“ナマ”の外国語に接して外国語習得の必要性を実感するはずだったのだ。この種の機会損失は非常に大きいのだ。
訪日外国人に接するのは日本人アスリートや組織委員会関係者、そしてボランティアだけではない。宿泊・飲食などの施設や交通機関の従業員も訪日外国人と接する事により、外国の価値観や言葉に直接接する事ができるのだ。
筆者は少しずつ慣れて話し方に上達が感じられる新幹線内の英語でのアナウンスに期待していただけに、新幹線に乗車する外国人が限られる事を残念に思っている。また幼い子供たちは偶然訪日外国人と接する機会を通じ、外国語の学習に興味を持つかも知れない。
こうした社会的機会損失と前述した政治的損失を考慮する時、海外からの観客受け入れの断念は問題で、我々は様々な代替案を考えなくてはならないのだ。