ケタの違う中国の石炭火力発電
CO2排出を減らすために日本は石炭火力発電を止めるべきだという意見がある。だがこれは大きな間違いだ。
石炭には大きく2つの用途がある。発電と製鉄だ。この規模を日中で比べてみよう。
下記図1は、石炭火力発電の設備容量である。(データ出典はこちら)
縦軸は100万キロワットである。100万キロワットとは、だいたい原子力発電所1基分だと思ってよい。
日本は48だから、4800万キロワットである。これがCO2を排出するから、止めるべきだという意見がある。だが、中国を見てみると良い。1043とあるから、原子力発電1000基分もある。日本と比較すると、実に20倍もあるのだ。
では中国は石炭火力を減らしているのか?全く逆である。
続く図2は、新規の石炭火力発電設備容量を、中国と、「中国以外の世界合計」で比較したものだ(データ出典はこちら)。縦軸の単位は図1と同じである。
何と中国は世界の残り全部を足したよりも遥かに多くの石炭火力発電所を建てている!
中国の2020年の新規設備容量は84.2とあるから、8420万キロワット、つまり原子力発電所84基分であった。これは日本の総発電設備容量のほぼ2倍である。これだけを僅か1年で新規に増大させているのだ。
※なお、図2は「申請ベース」であるが、「建設開始ベース」などの数値はデータ出典のリンク先を参照されたい。莫大な量が新規に建設されていることには変わりない。
空洞化する日本の生産体制
次に製鉄業を見てみよう。粗鋼生産量を日中で比較したのが下記の図3である。
日本は83とあるから、8300万トンである。これに対して、中国は1053とあるから、10.53億トン。日本の10倍以上もある。
これに加えて、日本では産業空洞化が進行している。例えば日本製鉄は3月5日、国内の高炉休止を含めた生産体制の見直しを発表した。
すなわち今後5年間で、現在5400万トンある国内の粗鋼生産能力を4400万トンに引き下げる。他方で現在1600万トンの海外の粗鋼生産能力を2兆4000億円の投資によって増強し、5000万トン超とするという。
このような状況にも拘わらず、日本政府が「2050年CO2ゼロ」を目指していることを受けて、日本製鉄はカーボンニュートラル製鉄プロセスの研究開発に着手している。
CO2ゼロ製鉄は、技術的にも困難だし、膨大な費用が掛かる。これには少なくとも5000億円の技術開発費がかかり、万事上手く行っても製鉄コストは倍増するという。この経済的な問題点については池田信夫氏が分かり易くまとめている(「小泉進次郎環境相は日本経済の疫病神」)。
中国を止めなければCO2対策は無意味
中国は膨大な石炭火力発電を使って、安価な電力を供給している。また莫大な鉄鋼生産によって道路、ビル、工場などのインフラを作っている。太陽光発電パネルや電気自動車用のバッテリーも、石炭を大量に利用した結果として安価に製造され、世界中に輸出されている。
地球温暖化防止のためにCO2を減らしたいなら、この中国のCO2こそ減らさねばならない。
日本が石炭火力発電所を全て無くしたとしても、中国はそれを上回る量の石炭火力発電所を毎年建設しているのだ。日本がCO2を理由に石炭火力発電所を減らすのは、愚かなことではなかろうか。
また粗鋼生産量でも中国は日本の10倍以上もある。のみならず、日本の製鉄業は年々空洞化している。なぜここで、更にコストの嵩むCO2対策に日本が邁進せねばならないのか?
安定・安価なエネルギー確保は国の根幹だ
地政学的に見て、日本は中国と対峙している。自由、民主といった普遍的価値を守り、領土を保全するためには、経済力を含めた総合的な国力が必要だ。
このためには、安定・安価なエネルギーが必須である。原子力と並んで、石炭火力発電は堅持すべきだ。
また、有事に対するエネルギー安全保障は万全でなければならない。再生可能エネルギーとLNGに頼った電源構成では脆弱なことは今年明けの電力危機ではっきり露呈した。この冬、日本は大停電寸前まで行ったのだ(参考記事 Daily Will Online・朝香豊 「ひそかに迫る電力危機:政府は国益第一の判断を」)。
再生可能エネルギーはいざというときに天候が悪ければ使い物にならなかった。LNGは絶えず気化するために長期の貯蔵は出来ず、絶えず海上輸送による輸入が必要だった。
対照的に、原子力発電所はいちど燃料を装荷すれば1年以上発電を継続できる。また、石炭火力発電所では一定期間石炭を貯蔵できる。
今回はまだ悪意ある攻撃を受けた訳では無かったが、その予行演習には期せずしてなった。大事な教訓は、原子力と石炭火力の堅持が必要であり、それがあれば、万一海上輸送路が攻撃を受けても、ある程度は持ちこたえて電力供給を続けることが出来る、ということだ。
CO2を理由として日本が石炭利用を自滅的に止めるのは、全くの愚策である。