コロナ禍のさなか、グローバルな人の動きが停滞する一方で情報は今まで以上に地球を駆け巡っている。
1984年以来、毎年仕事で世界各地を訪れる生活をしていた筆者だが、今年初めて一度も海外で知人・友人と直接面談する事が無かった。その一方で以前には経験したことのない程、オンライン会議や電子メールでの情報交換に忙殺される毎日を送っている。このため日本で米国の東部時間(EST)や太平洋時間(PST)、更にはグリニッジ標準時(GST)や中央欧州時間(CET)に体を合せる必要に迫られ、国内に居たまま時差に苦しんでいる。先月16日、ハーバード大学のアンソニー・セイチ教授がロンドン大学中国研究院で講演を行った。講演会はGSTで17:00(日本時間で17日02:00)に開始したため、睡魔と戦いつつ、同教授と共通の友人である日本銀行の福本智之国際局長と共に参加した(次の2参照)。このように米国東部の日中時間帯に合わせた会合は、質の高い情報を得る事が出来る一方、身体的には厳しいものがある。
10月18日、ノーベル賞受賞者でハーバード大学のアマルティア・セン教授が、ドイツ出版業界平和賞(Friedenspreis des Deutschen Buchhandels)を受賞し、フランクフルトのパウル教会で授賞式が開催された。中継放送された受賞講演で同教授は「権威主義の世界的流行(a pandemic of authoritarianism)」に警鐘を鳴らした。講演終了後、筆者はドイツの友人達からドイツを中心とする欧州政治経済情勢を聞く事が出来た。
技術大国としての中国の将来に関し、ジョージタウン大学のウィリアム・ハンナス教授が編纂した本(China’s Quest for Foreign Technology: Beyond Espionage, September)について、米中欧亜の友人達と意見交換を行った。
情報通信技術(ICT)や生命科学に関し、世界の主要国同様、我が国は中国との協力・競争関係を正確に理解すべき時に来ている。先月、友人達と、米中での人工知能の研究に関し意見交換を行った—例えば①MITコンピュータ科学人工知能研究所(CSAIL)と米国空軍との共同研究(USAF-MIT AI Accelerator)、②米国インド太平洋軍でのAI・IoTに関する試み(Combined Joint All-Domain Command and Control (CJADC2))、③中国の軍民融合政策に基づき、大学が近年設立したAI研究機関(精華大学(2018)、ハルピン工業大学(2019)、北京航空航天大学(2020))等に関する意見交換だ。
こうしたなか米国の国防高等研究計画局(DARPA)は9月にギリシァ生まれのAI専門家であるヴィクトリア・コールマン氏を局長に迎えて、AIを積極的に実用化しようとしている。米中両国と良好な関係を望む一方で、経済・技術両面では現在取り残されそうな日本は、守勢になるあまり、露骨に警戒心を表す事は避けるべきだが、最新の情報を常時収集して採るべき戦略を検討しておく必要があろう(p. 4の図参照)。このため政治経済に加え、様々な技術分野の専門家との情報交換を通じて、日本の国際的立ち位置を正確に捉えなくてはならない。
日独関係に関し或る雑誌の情報に驚いている—いまだに不正確な歴史認識を抱く人が何と多い事か!!
或るドイツの知日家が『日本語版 ニューズウィーク』(11月3日号)に公表した小論「ドイツは日本の『戦友』か『戦争反省の見本』か ドイツ人はどう見ている?」を読んで驚いた。この方は次のように語っている—よく年配の日本人から「ドイツと日本は第2次大戦の『戦友』ですから!」「次回はイタリア抜きで!」など、自信満々の「ドイツ愛」アピールを頂く。昭和的な好意の表れではあるが困る。なぜなら、それは彼らの「脳内ドイツ」イメージに基づく好意だからだ。一方、この「脳内ドイツ」には別バージョンも存在する。それは、立派な「戦争反省大国」「再生エネルギー大国」としてのドイツ。… 逆にドイツ人は…「趣味人」「研究者」以外は(日本に対して)無関心。
小誌で時折触れているが、この小論の中の“年配の日本人”の「脳内ドイツ」は“虚構”でしかない。勿論、個人的に親密な交流はあったかもしれないが、1936~45年の国家レベルの関係は“Der Schein des Bündnisses(見かけだけの同盟)”だったのだ(小誌7月号参照)。この小論の内容をドイツの友人に語ったところ、彼は大笑いして「今度、独日同盟を結ぶとしたら、ボクは躊躇するなぁ、ジュン」と言われてしまった。
恥ずかしながら筆者もこの“虚構”を長年信じていた。“虚構”だと確信したのはドイツ人外交官との会話の時だ。彼はハイデルベルグで国際法を学び、ロンドンで経済学を学んだ後、ハーバードで欧米関係を学んでいた。彼は筆者に対して、「いったいなぜ独日同盟が結ばれたのだろうか? ジュン」と尋ねたのだ! 「英語に加え露仏西の言語を巧みに話す優れた外交官の彼が日独関係史に関心が無いとは!!」と驚いた筆者はそれ以来、日独関係の文献を読むようになった。そして文献を読めば読むほど“見かけだけの同盟”であった事を覚ったのだ。
即ちNazi Germanyに関し、少数の日本人—西田幾多郎先生や矢部貞治教授等—はヒトラーの“下心”に気付いていたが、日本の指導者は、日本を蔑視した記述を含む『我が闘争(Mein Kampf)』すら、まともに読んでいなかった。1936年の防共協定の頃には、ドイツもさすがに表立って日本をバカにする事が出来ず、日本人を「文化的に不毛な人種(kulturell sterilen Rasse)」と呼ぶ事をやめ、「緊密な関係にある英雄的人々(artverwandte Heldenvolk)」と呼ぶ事にした、と或るドイツ人外交官が後年記している。そして1940年、西欧をほぼ手中にしたヒトラーは、白人至上主義に基づき独英両国で世界制覇を考えていたが、賛同しないチャーチルに怒り、英国に警告するためにシンガポールを日本に攻撃させる事を考えたのだ。ヒトラーの言葉「ロシアが崩壊し英国が講和を求めてくれば日本は邪魔になるだけ(Denn wenn Rußland nun zusammenbricht, und England mit uns Frieden machen will, könnte Japan nur hinderlich sein.)」がそれを物語っている。