コラム  国際交流  2020.11.06

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第139号(2020年11月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

人材交流 米国

米大統領選で暫定的だがバイデン氏が勝利した。だが、開票の最終結果、また連邦議会や来年任命される主要閣僚を見るまで世界にとって良い方向が見出せるかどうか、確信を持って判断するには未だ早い。

諸兄姉も賛同して頂けると思うが、9月末の候補者討論会にはmannersもmoralsも無かった。Wall Street Journal紙は翌日の社説(“A Depressing Debate Spectacle”)で、「1858年のリンカーンvsダグラス討論会のようなものは期待していなかったが、今回の討論はプロレスの試合よりも品格を欠いた」と酷評した。筆者はCNNで見ていた時、両候補の背後—ジェファーソン直筆の独立宣言—に気を取られ、番組途中からジョン・ミーチャム氏の有名な本(Thomas Jefferson: The Art of Power)を読み始めてしまった。

米国が“善意に満ちた覇権国(benevolent hegemon)”として模範的に振る舞い、各国に“責任感の強い利害関係国(responsible stakeholders)”として協調的に行動するよう誘導する大国となるかどうか。これに関しハーバード大学のジョセフ・ナイ教授は、年初に著した本(Do Morals Matter?)の中で、米国大統領が道義的課題(moral challenges)に直面する事を指摘している。また元世銀総裁のロバート・ゼーリック氏は、夏に発表した本(America in the World)の中で、20世紀初頭の米国外交政策を具現化したエルフ・ルートやチャールズ・ヒューズといった優れた国務長官等に言及しつつ、今後の外交課題を論じている。

米中対立が激化するなか、我が国をはじめアジア太平洋諸国、更には欧州や南米諸国は難しい対応を迫られている。その意味でも、米国の動きは中国の動きと同様、片時も目を離す事は出来ない。

小誌で頻繁に取り上げている米中関係であるが、一向に友好ムードへと転じる様子が見られない。

両国の指導者が和解の方向性を示さない限り、緊張関係は高まる一方だ。危険なのは、指導者の発言によって国民が対抗心を燃やせば燃やす程、緊張関係の“冷却化”が困難になる事だ。これに関して今春までハーバード燕京研究所に滞在したシンガポール国立大学(NUS)の莊嘉穎教授は、第一次世界大戦の例を挙げて教訓を語っている。即ち独露関係が制禦不能な緊張状態に達した結果、独露両帝国の皇帝は開戦による結果を憂慮するよりも、遅疑逡巡して開戦‘しなかった’事によって国民の不満が爆発する事を恐れた理由から、世界大戦に突入したのだ (“The Lessons of 1914 for East Asia Today: Missing the Trees for the Forest,” International Security, Summer 2014を参照)。

習近平主席の言葉—例えば9月の抗日・世界反ファシスト戦争勝利75周年記念大会や10月の抗米援朝70周年記念大会の時の演説—は、米国に対する反感に満ちている(例えば「民主、自由、人権等の名を借りた理不尽な内政干渉に断乎反対する(坚决反对打着所谓“民主”、“自由”、“人权”等幌子肆意干涉别国内政)」や朝鮮戦争時の中国は「鋼鉄製の武器は少ないが強い精神で、鋼鉄が豊富だが精神は薄弱な宿敵である米国を圧倒した(以‘钢少气多’力克‘钢多气少’)」と述べた)。他方、米連邦議会下院は、9月に報告書(China Task Force Report)を纏めた。中国を「現世代における最大の総合安全保障的課題(the greatest national and economic security challenge of this generation)」として、6つの分野—①イデオロギー、②サプライ・チェーン、③安全保障、④技術競争、⑤経済・エネルギー、⑥競争力—について100ページを超える報告書を発表した。特に5Gに関するHuawei(华为)の存在や米国高等研究機関における中国人留学生は、その規模故に米国側の懸念材料となっている(p. 4の図表を参照)。

筆者はプロテニス選手の大坂なおみさんがUS Openで見せた勇気ある行為に感動した人間のひとりだ。

米国で再燃した差別問題が、国境を超えて世界中に影響を与えている。マイケル・サンデル教授は、近著(The Tyranny of Merit)の終章で、プロ野球選手で大打者のハンク・アーロンに触れた。だが、教授は彼の差別の壁を超越して活躍した偉業には多くを語らず、彼のように“卓越した才能”で偉業を成さなければ差別を克服出来ないような“能力至上主義の社会”こそが問題だと、我々に語りかけている。

実はこの社会問題は“古くて新しい”ものだ—例えばハンナ・アーレントは本(Crises of the Republic)の中で、トクヴィルが既に『米国の民主主義(De la démocratie en Amérique)』を通じて予言していた事を指摘している。即ち「合衆国の未来を脅かすあらゆる病弊のうちで、最も恐るべきもの(Le plus redoutable de tous les maux qui menacent l'avenir des États-Unis)」は、トクヴィルが当然廃止されると考えた奴隷制ではなく、「領土内の黒人の存在(la présence des Noirs sur leur sol)」から発生する、と。また故ハンチントン教授も著書(Who Are We?)の中で米国社会の分断に触れている。

小誌8月号で触れたが、プリンストン大学からWoodrow Wilsonの名が消える事態に驚いた。プリンストン大学と言えば隣接する高等研究所(IAS)に居たアインシュタイン博士や小平邦彦先生、そして帝国海軍大尉時代、同大学に留学した山口多聞提督の姿を思い浮かべる。悲しい差別問題の過去を克服し、美しいキャンパスを持つこの大学が今後とも質の高い知的発信を続けてくれる事を願って止まない。

米国東海岸に多年住んだ筆者だが、よほど周囲の人々に恵まれたせいか、筆者は差別を受ける事は殆どなかった。このため米国社会における差別に“鈍感”であった事は否めない。私事で恐縮だが、約15年前、ニューオーリンズに旅する直前、旅行の事を父親に話した時、1965~66年に米国で過ごした彼は「昔、ニューオーリンズでの人種差別は酷かった」と語った。しかし現地では差別を全く目撃・体験せず、問題を感知しなかった。確かに米国は広い—南部で筆者が得た“旅行者の見識(a traveler’s knowledge)”が浅薄だった事を悟り、猛省している。

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