メディア掲載  エネルギー・環境  2020.10.06

中国の「2060年CO2ゼロ」地政学的な意味 日米欧の分断

Global Energy Policy Research HPに掲載(2020年8月1、2日)

エネルギー・環境

国連総会の一般討論演説において、中国の習近平国家主席は「2060 年迄にCO2排出量をゼロ」ように努める、と述べた。これは孤立気味であった国際社会へのアピールであるのみならず、日米欧を分断し、弱体化させるという地政学的な効果を持っている。

これに対抗するために、日本は先ず第一に、地球温暖化を安全保障より重視する誤った世論を正す必要がある。


1. 習近平のCO2ゼロ宣言

2020年9月22日の国連総会の一般討論における習近平国家主席の演説が話題を呼んだ。内容は主にコロナ禍に関するものだったが、その中でCO2ゼロ宣言があったからだ。該当部分を抄訳すると以下のようになる:

“気候変動に対処するためのパリ協定は、世界的な低炭素化の方向性を表しています。中国は、より強力な政策措置を採用し、2030年までにCO2排出量のピークに到達するよう努め、2060年までに炭素中立を達成するよう努めます。各国は、コロナ流行後の世界経済の「グリーン回復」を促進し、持続可能な開発のための強力な力を結集する必要があります。”

ここで「炭素中立」と言っている意味は、化石燃料の燃焼によるCO2排出と、植林などによるCO2吸収を、差し引きゼロにする、という意味である。だいたいは、CO2排出をゼロにすること、つまりゼロエミッションと思ってよい。

今回の習近平の演説は、「多国間主義による国際協調」、「コロナ禍からのグリーン回復」、そして「ゼロエミッション」といった、近年になって欧州を中心に流行しているレトリックをそのまま踏襲したものだった。国連、欧州連合、英国および米国民主党の指導者は、相次いで、この演説を歓迎するコメントを出した。

ここのところ、南沙諸島での軍事基地建設、新彊における人権問題、香港における民主運動への対応、コロナ禍を巡る対応等で、相次いで国際的な非難を浴びてきた中国が、久しぶりに好感されることとなった。


2.日米欧の分断

さて中国がゼロエミッションというポジションを取ったことで、日米欧では2つの分断が深まった。

第1は米国内の分断である。米国では地球温暖化問題は党派問題である。民主党は地球温暖化は深刻な脅威だとして、欧州と足並みをそろえて大幅に排出を削減すべきとしている。これに対して共和党は、地球温暖化はそれほど重大な脅威ではなく、極端な排出削減は必要無い、とする。とかくトランプ大統領だけが例外だと思われがちだが、決してそうではない。地球温暖化問題が論題に上れば上るほど、米国内の党派間の分断はますます深まる。

第2は自由陣営である米国と欧州の分断である。ドイツ・イギリスを始めとした豊かな欧州諸国では、環境運動の影響で、ここ数年で地球温暖化問題が政治的に最も重要な課題に押し上げられた。少なくとも、コロナ禍の直前まではそうだった。中国は、これに協力姿勢を見せることで欧州の好感度を増すことになり、米国共和党の非協力的な態度は欧州に嫌われることになる。

もともと、欧州の環境運動家は、中国に好意的な一方で、反米的な人が多い。歴史的に見ても、共産主義や社会主義の活動として反公害運動があり、その延長で環境運動が起きた。彼らは一貫して、資本主義を嫌い、その権化である米国を憎んできた。国際環境NGOは自由陣営の企業に強烈な圧力をかけてきたが、中国企業がその対象となることは無かった。

このように、中国にとってゼロエミッションというポジションを取ることは、孤立しがちだった国際社会からの好感を得るのみならず、米国内の分断を深め、また米欧の分断を深めるという効果がある。

情報戦によって、敵を一枚岩にせず、出来るだけ深刻な分断状態にすることは、国益を追求するための有効な手段となる。敵の団結を削ぐことで、人権、領土、技術、経済等にまつわるあらゆる国際問題に関する圧力を弱めることが出来るし、敵が国力を蓄えることも阻止できる。

このような戦術は、中国の軍人によって20世紀末に「超限戦」の一部として提言された。超限戦の思想では、平時においても、常に敵国と競争状態にあることを意識して、自国の国力増強と敵の分断化・弱体化を図る。中国はこれを実践してきたとされており、自由陣営ではシャドー・ウォー、ハイブリッド戦、グレーゾーン戦等と呼ばれて防衛のあり方が議論されてきた。


3.日米欧の弱体化

今回のゼロエミッション目標についての論評をネットで調べてみると、「中国の目標は、地球温暖化を2℃以下にするというパリ協定の目標と整合的である」、とするものが幾つかある。他方で、「今後も続々と石炭火力発電所を建設する計画がある等、どのようにしてゼロエミッションを達成するのか具体的ではない」という批判もいくつかある。

けれども、これはどちらも中国の指導者にとってはどうでもよいことだろう。

まず、リアリストの彼らだから、2060年ゼロエミッションなど、不可能なことは先刻承知であろう。現在知られている技術でこれを実現することは出来ない。

世界中どこでも、太陽光発電と風力発電と電気自動車に補助金をつければゼロエミッションが達成できると信じる向きがあるが、これは技術も経済も全く分かっていない人の言うことで、馬鹿げている。

ここでのトリックは、2050年ゼロエミッションという、更に実現不可能な目標を、欧州諸国が既に掲げていることである。日米の多くの自治体も、よせば良いのに、これに追随している。そしてこの全てが、具体的な計画など持ち合わせていない、不真面目なものだ。従って「具体的ではない」といって、中国を批判すれば、自分に跳ね返ってくる。

欧州はどうせいつかは約束を反故にするだろうから、中国はそれを厳しく批判した後で、自身もひっそり反故にすればよい。万一、欧州が2050年ゼロエミッションを達成するとしても、それはCO2を出さない技術が安価に利用できるということだから、その10年後にゆっくり達成すればよい。

そして何より、中国もゼロエミッションにすると言ったことで、欧州は引っ込みが付かなくなってしまった。これから巨額の温暖化対策投資を余儀なくされるだろう。これは経済的には自殺であり、欧州の国力は大いに弱まる。米国も、民主党が力を持つようになったら、同じく弱体化するだろう。このようにして敵の世論を利用して重いコストを課することも、「超限戦」の戦術の一つだ。

もちろん中国も、温暖化対策をすればコストはかかる。だが2030年や2060年までは時間があるので、欧州はその間に音を上げるだろう。もし本当にCO2を減らさねばならなくなったとしても、欧州が実現することを10年遅れでやれば良いということで、費用は大幅に少なくて済む。

それだけではない。温暖化対策と言えば、太陽光発電、風力発電、それに最近は電気自動車が流行りである。この何れも、いまや中国が世界最大の産業を有している。欧州が巨額の温暖化投資をするとなると、中国経済は大いに潤うことになるだろう。

2060年ゼロエミッション目標は、どう転んでも、中国には良いことばかりで、悪いことは何もない。


4. 地球温暖化より安全保障を重視すべきだ

中国の指導者が気にしているのは、何よりも共産党独裁体制の維持である。彼らが地球温暖化を本気で心配しているとは思えない。というのは、彼らはリアリストなので、地球温暖化のリスクなど、さほど大きくないことをよく知っていると思われるからだ。

中国には温暖化予測の計算機実験をホラーとして伝え、自然災害があるごとに温暖化のせいにするメディアが無いので、惑わされることは無い。温暖化対策をしていないといって政府を批判する学者やNGOもいないので、対応する必要も無い。

その一方で彼らは、国益を増進するために、何を言えば自由陣営を分裂させ、弱体化させることが出来るか、よく研究している。今回のゼロエミッション宣言は、自由陣営の弱点を見事に一突きしている。

では日本はどうすれば良いのか?慌てて2050年ゼロエミッション宣言などをすると、術中に嵌ってしまう。それは経済的自殺であり、国力を大きく損ない、日本の基本的価値を危機に陥れることになる。すでに日本は2050年までにCO2の8割削減という努力目標があり、これですら不可能だから、深堀りする必要は無い。

日本にとって最も重要なことは、我が国に迫る安全保障上の脅威は現実かつ重大なものであり、中国にとって日本を含む自由陣営の弱体化は国益であるという事実を直視することである。

そして、それに比べるならば、台風豪雨、猛暑等の地球温暖化の環境影響のリスクは小さいことを理解する必要がある。それが温暖化に関する政策と外交を間違えないための基盤となる。