コラム  国際交流  2020.09.28

「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第138号(2020年10月)

小誌は大量の資料を網羅的かつ詳細に報告するものではない-筆者が接した情報や文献を①マクロ経済、②資源・エネルギー、環境、③外交・安全保障の分野に関し整理したものである。紙面や時間の制約に加えて筆者の限られた能力という問題は有るが、小誌が少しでも役立つことを心から願っている。

欧州で最多発行部数を誇る雑誌Der Spiegelは、オンラインで実施された欧中サミットの当日(914)、「欧中ビデオ・サミット: 新たなる試練(EU-China-Videogipfel: Neue Härte)」と題する記事を掲載した。

この記事の中に“具体的成果は? 期待出来ず (Greifbare Fortschritte?Fehlanzeige)”という言葉を発見し、筆者は思わず吹き出してしまった。というのも先月1日にドイツ政府が発表した小冊子「インド太平洋地域に関する政策ガイドライン」を読んでいたので、「さもありなん」と思ったからだ。ドイツに加えフランスも中国に対して厳しい見方を強めている—例えば、パリに在るシンクタンクInstitut Montaigne6月に発表した報告書(Europes Pushback on China)を参照されたい。日本は米国だけでなく欧州主要国やインド太平洋諸国と共に如何なる対中姿勢を採るべきか、この事に関し再考を求められている。その意味でドイツの友人達との緊密な対話が求められている(p. 4の図を参照

当然のこととして日本にとって最重要パートナーである米国の対中姿勢を正確に見極める必要があるが、米国自身も対中戦略を正確に定めている訳ではない—その証左として米国議会に設置された米中経済安保調査委員会(USCC)は、99日、ハーバード大学行政大学院(HKS)のアンソニー・セイチ教授をはじめ多くの中国専門家に証言を求めている次の2を参照

2016年、韓国の囲碁棋士であるイ・セドル氏が人工知能(AI)に完敗した事に、囲碁発祥の地である中国をはじめ全世界が震撼したが、同様の驚きを8月下旬から先月上旬に筆者は体験していた。

小誌前号で触れた米Wired誌の記事(A Dogfight Renews Concerns about AIs Lethal Potential)や米議会調査局(CRS)の報告書(Navy Large Unmanned Surface and Undersea Vehicles、次の2参照を読み、AIRobot技術の広範な軍事利用に驚いている。また国防高等研究計画局(DARPA)が8月に実施したF-16戦闘機を使ったAIによるヴァーチャル格闘戦(AlphaDogfight Trials)の成果にも驚いた。筆者自身は当該技術を高齢社会のために自立支援・介護サービスを中心に適用する事を考えているが、軍民両分野での米中両国の動向から目を離す事が出来ず、例えば、MIT Technology Review誌最新号の特集(Technonationalism)The Economist誌の記事AI,Captain: America Wants More Shipsand Fewer Sailors to Compete with Chinas Navy (Sept. 21, 2020)や“Battle Algorithm: Artificial Intelligence Is Changing Every Aspectof War (Sept. 7, 2019))を読み直している。

さて新内閣で日本は現下の危機を乗り越えようとしている。適時・適確な政策が打ち出され、経済・社会がそれに即座に反応して成果を出し、新たな成長経路を出現させる事を願っている。

残念だが、安倍首相は病のために任期途中で辞する事になった。しかし、リーダーの健康状態は国家の最重要事項の一つだ。米国史に詳しい人ならご存知の通り、ウィルソン大統領やルーズヴェルト大統領(FDR)の病は特に有名だ。ウィルソン大統領はヴェルサイユからの帰国後、条約批准のための遊説中に倒れ、大統領夫人と主治医がその状況を隠蔽し国政をないがしろにした(Hidden Illness in the White HouseMortalPresidency等の本が詳述している。日本の歴史と関係が深いのはFDRだ。第二次世界大戦中、1942年夏頃までの対独戦に関するFDRの判断は筆者が“くやしい”と思うぐらい見事だ。だが、19431月のカサブランカ会談あたりから「あれ?」という状態になる。

カサブランカでは、後年専門家が指摘した通り“無条件降伏(unconditional surrender)”という言葉を弄し、継戦を枢軸側に必要以上に煽った。19452月、ヤルタ会談でのFDRは動脈硬化症が悪化して“こらえ性”を失い、側近やチャーチルの懸念をよそに、スターリンの要求に唯々諾々と応じてしまった。その結果として日本帝国は悲劇的結末を迎える事となるのだ。歴史学者の故ロバート・フェレル教授は著書(The Dying President: Franklin D. Roosevelt 1944-1945)の中で、末年のFDRに厳しい判断を下している—曰く“In his final year, a yearin which he faced crucial responsibility regarding World War II and American foreign policy, Franklin D. Roosevelt failed to serve the nation as a healthy president would have”、と。

FDRがヤルタ到着後にソ連兵の栄誉礼を受けた時の写真は衝撃的だ朦朧としたFDRは歩けずジープに乗り、横でチャーチルが心配しつつ歩いている。当時の飛行機は与圧装置が無く、上昇に伴って機内気圧が低くなるため、高血圧のFDRのために大統領機は低空で飛行する必要があった。ヤルタまで6機の戦闘機(P-38)が護衛する予定であったが、途中で1機がエンジン不良で離脱したため、独軍が占領するクレタ島付近だけは敵機との遭遇という危険を回避するため航路を変更し、高高度で飛ばざるを得なかった。この偶発的急上昇がFDRの健康に致命的な打撃を与えたのだ。筆者は想像力をたくましくして、山本五十六提督機を撃墜した憎き)P-38がもしも全6機で護衛を完遂していたならば、FDRはチャーチルや側近の助言を聞き入れ、スターリンの要求にも細心の注意を払ったかもしれない、と考えている。

現在、国際社会は暗雲に包まれ、COVID-19と不況に対する不安の中で明るい展望が見出せない状況だ。

今こそ、互いが信頼出来るような言動が指導者に求められている。そして新内閣の活躍を願う毎日だ。

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「東京=ケンブリッジ・ガゼット:グローバル戦略編」第138号(2020年10月)