メディア掲載  グローバルエコノミー  2020.07.27

香港問題が中国経済に及ぼす甚大なリスク:放置すれば世界経済にも深刻な影響、打開策は「共感」にあり

JBpressに掲載(2020年7月17日付)

国際政治・外交 中国

香港問題:先進国の批判と世界の分裂

6月30日、中国の全人代(全国人民代表大会、日本の国会に相当)常務委員会が香港国家安全維持法(以下、国安法)案を可決し、即日施行した。

翌7月1日、香港でこの法律に対する抗議運動が広がり、370人が逮捕され、うち10人が国安法に違反した疑いがあるとされたと報じられた。

これに先立つ6月18日、日米欧主要7カ国G7の外相は次のような共同声明(外務省HPからの抜粋)を発表し、中国政府に対して国安法の再考を強く求めた。

「提案されている国家安全法は,「一国二制度」の原則や香港の高度の自治を深刻に損なうおそれがある」

「(中略)この行動が法の支配や独立した司法システムの存在により保護されるすべての人民の基本的権利や自由を抑制し,脅かすことになると著しい懸念を有する」

「我々は中国政府がこの決定を再考するよう強く求める」

中国政府が国安法を施行した翌日の7月1日には、日英独仏など27カ国が国連人権理事会の会合で中国に対して国安法の再検討を求める共同声明を発表した。

しかし、同会合において、キューバなど53カ国が国安法に関して中国への支持を表明し、国際社会は香港問題への対応を巡り分裂している。

この間、米国ドナルド・トランプ政権では、6月29日、マイク・ポンペオ国務長官が、これまで香港に認めてきた優遇措置の一部停止を発表した。

日米欧先進国内部でも意見は対立

以上から明らかなように、国安法制定・施行に関し、日米欧先進国は中国に対する批判的立場で一致しているが、世界の中で中国が孤立しているわけではない。

また、日米欧先進国の間でも、温度差が存在する。

米国、英国、カナダ、豪州の外交は中国に対する厳しい強硬姿勢が顕著だ。

一方、独仏伊等欧州諸国は最近の新型コロナウイルス感染症問題に関する中国の姿勢に対して不満を強めてはいるが、上記4カ国の厳しい強硬姿勢とは一定の距離を置き、中国を警戒しながらも引き続き中国との協調を重視している。

さらに経済分野に目を転じれば、グローバル市場で高い競争力を有する一流企業に関しては米国企業ですら中国市場に対する積極投資姿勢を崩していないほか、欧州企業、日本企業、韓国企業等も同様の積極姿勢である。

グローバル社会全体を見れば、米国の対中強硬姿勢が突出しており、大半の欧州諸国はここまで強い強硬姿勢には同調していない。

逆に、米国トランプ政権の「アメリカ・ファースト」の方針に基づく、パリ協定離脱、WTO(世界貿易機関)軽視、WHO(世界保健機関)への資金拠出停止などの外交姿勢に対して欧州諸国は批判的である。

国安法を強行した中国への厳しい批判声明で米国に同調した英国ですら、今年の1月末時点では、米国の強い圧力に抵抗して、5G基地局などに関して英国企業がファーウェイと契約を結ぶことを容認すると発表していた。

その後、英国内で、コロナ問題に関する中国の姿勢に対する不満の強まりと香港問題により対中反発が表面化し、契約容認姿勢を見直したが、英国企業はこれに強い不満を抱いている。

ちなみに独仏伊などの欧州諸国は5Gでもファーウェイとの契約を継続する見通しである。

ゼロサムゲーム対ウィン・ウィン関係

このように最近の国際関係は複雑であり、様々な分野において一つの政策が相反する政策効果を生み出し、各国はそこから生じる矛盾に直面している。

その多くは政治・外交上のニーズと経済・文化上のニーズの間に相容れない矛盾が生まれやすいことに起因する。

政治・外交面から国際関係を考える時はゼロサムゲームの論理が支配的であり、相手国が利益を得れば自国の不利益につながると考える傾向が強い。

一方、経済・文化面から国際関係を考える時には、自国と相手国の利害が一致する、すなわちウィン・ウィン関係が成立することが多い。

国安法を例にとれば、中国は香港の治安の悪化と民主化の動きが中国本土に波及することを懸念して、政治・外交上の判断から国安法の制定・施行を急いだと考えられる。

しかし、国安法は副作用として、中国に対して経済・文化面の不利益を及ぼすことが懸念されている。

香港における治安の悪化と民主化の高揚を抑制することを重視するあまり、言論の自由、報道の自由などを厳しく制限すれば、香港出身および香港駐在の外国ビジネスマンが情報制限や民主主義的な法治体制の動揺に不安を抱き、家族を含めた身の危険を強く感じるようになる。

そうなれば、中国政府が香港における経済活動の自由を確保しても、優秀なビジネスマンは香港を離れ、海外へと移住する可能性が高まると考えられる。

それは香港の金融機能の低下をもたらす。

香港は今も中国企業にとって重要な外資調達拠点である。米国が中国企業に対して金融面での締め付けを強めており、今後米国での資金調達が極めて難しくなることが予想される中、香港の金融機能は中国企業にとってますます重要となる。

1997年香港返還時、香港の経済規模は中国全体の18%に相当していたが、現在は隣の深圳市にも抜かれて、中国全体の3%未満となっている。

このように香港の経済的価値は小さくなったとの見方もあるが、それは過小評価である。

長期的な視点に立てば、さらに深刻な問題が生じる可能性もある。

隣の深圳市の重要な魅力の一つは中国大陸では手に入らない欧米先進国の自由な空気をいつでも気軽に香港に行って味わえることにある。

その魅力が多くの優秀な若い技術者を引き寄せ、世界中が注目するIT関連の先進的スタートアップ企業の集積を深圳に生んだ。

もし香港の自由な空気が失われ、金融機能まで低下すれば、深圳経済へのダメージは避けられず、香港とともに深圳までも地盤沈下に向かうことになる。

香港と深圳は広州とともに広東省中心のグレートベイエリアの中核都市である。香港と深圳の衰退はグレートベイエリア全体にダメージを与える。

広東省中心のグレートベイエリアは上海を中核とする「長江デルタ」(江蘇・浙江・安徽省を含む長江下流域)とともに中国経済の2大エンジンの役割を担っている。これが今後の中国経済発展基盤の基本構造である。

その2大エンジンの片方が機能不全に陥れば、中国経済全体への悪影響も避けられない。

このように今後の中国経済の中長期展望の視点に立てば、香港の持つ意味は決して小さくないのである。

以上から明らかなように、国安法は政治・外交上のゼロサムゲーム的観点に立てば、これを厳格に運用することが中国社会の安定確保に資する。

しかし、経済政策の観点から見れば、香港と中国がともに享受してきたウィン・ウィン関係を台無しにするリスクを内包している。

政治・外交上の安定と経済の持続的発展基盤の確保はいずれも中国にとって致命的に重要な国家政策目標であることから、どちらか片方だけを取ることはできない。

両方とも必要不可欠である。

国安法を制定・施行した以上、これを前提に2つの重要目標の実現を目指すしかない。その唯一の方法は国安法の運用の工夫である。

中国政府は、様々な要素を考慮しながら慎重に国安法を運用することにより、政治・外交および経済・文化両面のバランスを確保し続けるという難しい政策運営が求められる。

民主主義の限界を補う「共感」

以上のように、ゼロサム型発想の政治・外交面の政策とウィン・ウィン関係の経済・文化面の政策の間には常に矛盾が存在する。

このため、各国政府は両者の間のバランス確保という難題にチャレンジし続けなければならない。

最近のコロナ問題でも、グローバル社会全体の感染拡大防止のためには国際間協力が不可欠であるにもかかわらず、米中両国は政治・外交上の利害を巡って対立している。

その影響でWHOの機能まで低下している。

また、地球環境問題でもグローバル社会全体の協力が極めて重要であるにもかかわらず、米国はパリ協定から離脱したほか、各国も自国の利益追求のためにグローバル社会全体の利益に反する主張をすることが少なくない。

このほかにも、グローバル社会全体の利益と個別国家の利益が相反する事例は多い。

グローバル化の進展とともに、各国間の関係が緊密化するため、グローバル社会の問題と個別国家の問題の間の矛盾も深まる傾向にある。

この矛盾を従来の民主主義に基づくルールで解決することはほぼ不可能である。

民主主義のルールでは、国家の政策を担う政治家を選ぶのは選挙民であり、選挙民は通常グローバル社会の問題解決より自国内の利益を優先する。

このためグローバル社会の問題が認識されているにもかかわらず未解決のまま放置される。

グローバル化とともに各国間政策連携の必要性が高まれば高まるほど、民主主義制度の機能不全が表面化する。

この問題を克服するには、従来の国家主体のルールに基づく世界秩序形成に加えて、民間組織主体のモラルに基づく秩序形成補完機能の拡充が必要である。

各国や民間組織の立場や環境の違いに基づく異なる考え方を相互に理解し合い、相手を尊重し、協調する、つまり「和」の姿勢である。

これを実現するための基本理念は「共感sympathy」である。

仏教には華厳の思想という考え方がある。

華厳の思想によれば、この世界には中心がなく、個々の人物や組織がそれぞれ光を放ち、互いに照らし合うことで世界全体が大きな輝きを生み出している。

国家でも民間組織でも個人でも構わない。一つが動き光を放てば周囲も連動してそれぞれに輝きを放つ。国家を越えて、自分が動けば世界中で共感してくれる人たちが動く。

民間組織がモラルベースで連動することにより、国家主体のルールベースの世界秩序形成を補完する。その原点を説くのが華厳の思想である。

ここで改めて今後の日中関係のあり方について考えてみたい。

一部の国会議員は国安法に反対して、習近平主席の訪日中止を主張している。これは日中両国首脳が相互理解を深める貴重なチャンスをつぶせと主張しているに等しい。

今グローバル社会に必要なことは、互いの違いを認め合い、尊重し、協調することを通じて、モラルの力も借りて世界の秩序安定に貢献することである。

それを実現するための基本理念となる「共感sympathy」は仏教、儒教、道教、禅など東洋思想に源があり、日中共通の文化基盤に根差している。

いまこそ日中両国の首脳はモラル重視の発想に立ち、政治・外交面と経済・文化面の矛盾の問題をうまくバランスさせるよう「共感sympathy」により和するべきである。

習近平主席の訪日はその格好の機会となる。

明確なルールに基づく従来型のゼロサム外交だけではなく、モラルをベースとする「共感sympathy」のコンセプトも加えて、グローバル社会が直面する難題克服の方向を日中両国が示すチャンスである。