メディア掲載 財政・社会保障制度 2020.06.26
コロナ感染拡大の第1波では日本は欧米に比べて、また毎年の季節性インフルエンザに比べても人口対比の死者数を少なく抑え込むことができた。しかし、第2波への不安がある。東京大学公共政策大学院の鎌江伊三夫特任教授は、医療政策は科学的根拠に基づき、かつ、社会的価値も考慮したものであるべきとして、第2波への具体策を提言している。緊急事態宣言は必ずしも出す必要はなく、大量のPCR検査による集団スクリーニングは科学的根拠がなく不適切だという。鎌江教授に今後のあるべき政策について話を聞いた。
科学的根拠と社会的価値に基づく政策であるべき
――新型コロナの感染拡大が始まってからの政府の対応やメディアの報道について、キヤノングローバル戦略研究所のコラムでさまざまな問題を指摘されています。
私の専門は医療政策・技術評価で、まず政策は科学的根拠に基づいたものでなければならないと考える。それに加えて、社会的価値があるかどうかで政策の妥当性を判断していく。例えば、臨床試験で有用性が科学的に証明されたとしても、それが社会的に求められるものかどうかという観点でも議論しなくてはならないということだ。
患者にとっての価値が重要であり、すべての国民は私も含めて患者予備軍なので、それは国民にとっての価値ということになる。社会的価値に基づく医療を実践していくということが基本。今の新型コロナへの対応は「社会的価値に基づく医療」を実現できるのかの試金石だ。その意味で感染第1波を通じていろいろな問題が噴出したと思う。
その1つが誤った認識に基づく大規模検査を求める声だ。一般の人が検査に期待し過信してしまうのは無理もないが、驚いたのは、検査の精度の問題についてのきちんとした説明や検査を過信することへの警告が、専門家からも発せられなかったことだ。専門家会議はクラスター対策班の北海道大学西浦博教授の疫学モデルによる感染拡大の予測の話が中心に議論され、その前提となる検査について科学的な説明がなかったように思える。
――とりわけテレビ番組では説明のないままにやみくもな検査論を喧伝するものがありました。
テレビでコメントする専門家も、検査を大量にすると陽性者が大量に出て医療崩壊を起こすといった話をする人はいたが、偽陽性や偽陰性の問題はほとんど議論していなかった。メディアの報道を通じては、専門家といわれる医療関係者でも多くの人が検査の科学を理解していないように見えた。検査では「病気の有無」はわからず、病気の「有無の可能性」がわかるだけだ。100%完全な検査は存在しない。
検査を受ける人の観点からは陽性適中率(以下、注参照)あるいは陰性適中率がどのくらいかが問題となり、検査の正確性という点では感度(真陽性率)、特異度(真陰性率)が重要となる。症状のある人に治療のためにPCR検査を行う場合は、陽性適中率や陰性適中率が90%を超えていれば実臨床上は問題ないが、対象集団が多くなると、偽陽性や偽陰性に該当する人が無視できない数になってくる。
(注)検査ではある程度のエラーが起き、①真陽性(陽性で実際に感染している)、②偽陰性(陰性だが実際は感染している)、③偽陽性(感染していないのに陽性)、④真陰性(感染しておらず陰性)の4つが出る。
陽性適中率:陽性のうちの実際の感染者の割合=①÷(①+③)
陰性適中率:陰性のうちの非感染者の割合=④÷(②+④)
感度(真陽性率):感染者数のうち検査で陽性と出る割合=①÷(①+②)
特異度(真陰性率):非感染者数のうち検査で陰性と出る割合=④÷(③+④)
PCR検査の正確性については、まだ、国際標準のエビデンスがないが、感度70%、特異度は99%という想定値がリスク分析上妥当ではないかと考えられる。
だが、感度95.0%、特異度99.9%とさらに高い数字を仮定しても、1000万人について検査を行えば、有病率が10%の場合で偽陽性は9,000人、偽陰性は5万人出る。有病率が50%の場合で偽陽性は5,000人、偽陰性は25万人出る。
(注)有病率10%、50%の場合の計算は以下。
・有病率が10%の場合、1000万人中の感染者は100万人、非感染者は900万人。
想定の偽陽性率は 1-0.999=0.001, 偽陰性率は 1-0.95=0.05。よって、偽陽性は900万人×0.001=9000人、偽陰性は100万人×0.05=5万人
・有病率が50%の場合、1000万人中の感染者は500万人、非感染者も500万人。
よって同様に、上記の偽陽性率と偽陰性率を用いると、偽陽性は500万人×0.001=5000人、偽陰性は500万人×0.05=25万人
これでは、多くの人が誤って感染していると判断されて無用な差別や偏見を受けることにつながりかねない一方、膨大な数の感染者が陰性結果に安心して日常生活を続け、ウイルスの拡散を見逃す結果になる。そうした検査の限界を踏まえないと政策は議論できない。ところが、これを理解しないままに、PCR検査による集団スクリーニングを主張する人が多かった。
間違いは基本的なところから起きていて、政府や自治体、NHKの報道でも日々グラフを出して「感染者数」を発表しているけれど、科学的にみれば明らかに間違い。正確には検査の「陽性者数」だ。行政も「感染者数」と言っているので、誤情報があふれてしまう。
医療においては「人権」は絶えず意識する問題
もうひとつ、私が驚いたのは、医療の問題を議論しているのに、語る人々の人権意識が非常に低いことだ。検査の精度に問題があるということが理解されれば、次には偽陽性で隔離されてしまった人の人権問題にどう対処すべきかが当然、テーマになるはずだ。ところが、平時なら人権に対して敏感であるかのように話すテレビのコメンテーターも、「精度の問題はさておいて」といった軽い調子で話す場面が見られた。
医療の専門家としてテレビに出ている人もその点、あまり変わらないように見えた。医療は深く人権問題と関わっている。例えば、臨床における医者と患者との関係において、今流にいえばパワハラがあってはいけないとか、果たしてその医療は本当に患者のためのものなのかとか、絶えず人権は問題になる。
公衆衛生ではそこのジレンマがとくに強く起きる。最大多数の最大利益を考えると個人の利益の毀損が起こる場合がある。そこをきっちりと議論して、私権制限を最小にしていかなければならない。仮に、大規模に検査をしたいと政治家が言い出したとしても、「偽陽性の人が大量に出てそういう人を隔離すると人権問題が生じる、果たしてそこまで必要ですか」と問いかけるのが医療関係者の本来あるべき姿だ。
私は「大規模な検査に基づく隔離」などという提案には一貫して反対の立場を述べてきた。科学的根拠がないという意味でも間違いだし、社会的価値という観点でも数兆円のコストがかかるのに費用対効果が見込めず、人権侵害が起こる点でも間違っているからだ。
――第1波の経験を生かした第2波への具体策を提言されています。
日本がPCR検査をやみくもに広げず、クラスター追跡を行ってきたやり方は一定の成果を上げた。これは評価できる。
クラスター潰しは、どこの国でも取り組めるわけではない。保健所のようなインフラ、そこで働く人たちの高い意識や仕事に対するロイヤルティー、医療に限らずさまざまな世界で指摘される日本人特有の生真面目さが発揮されたのではないか。スタッフや経費が制限された状況下でも、保健所をはじめ、現場の行政・医療関係の人たちが昼夜を問わずにクラスターの追跡を続けた。アメリカのようにエリートと現場とが乖離している社会では難しい面がある。素直に誇っていい。
ただ、ここから先、経済活動の緩和に伴って感染者の行動範囲が広がることを考えると、感染者の濃厚接触者、そのまた濃厚接触者まで追跡する、つまり、従来のやり方を拡大した「メガクラスター追跡作戦」の展開が望まれる。鎖国状態がいつまでも続けられないので、入国制限を緩め始めていることも心配だ。南半球は冬になっているし、空港での水際作戦も含めて、航空機がメガクラスターだという前提で取り組みを進める必要がある。
それが成果を上げれば、経済的痛みを伴う休業要請や外出自粛など日常生活の制限はほとんど不必要だ。よって、感染防止か経済優先かといったジレンマは起こらない。だだ、それを行うには、今の体制は十分ではない。新作戦への政府による覚悟と重点化が必要だ。
検査の組み合わせにより短期間で追跡可能
歴史的に医学的な診断検査を感染抑止に使うということは初めての経験だ。がん検診は集団のスクリーニングだが、あくまでも目標は治療で、早期に発見することが早期の治療につながるということだ。感染症の拡大を防ぐために検査が行われたというようなことはなかったので、どういう検査能力があれば効果的かは議論されてこなかった。
第1波では基本にPCR検査を据えていたが、精度と結果が出るまでに時間を要し場合によっては数日かかってしまうことを考えると、単独、あるいは日をおいての2回のPCR検査をしても、感染抑止は効率的に行えない。もっと良い方法がある。10~30分で検査結果が出る抗原検査と組み合わせることだ。
ただし抗原検査はPCRの感度70%に対して50~60%と低いようだ。厚労省は保険適用の検査のやり方として、当初、抗原検査を行って陰性だったらPCRでもう一度検査をするという制度を導入した。しかし抗原検査1回だけでもPCR検査と結果があまり変わらなかったという理由で、抗原検査1回だけで確定診断してよいと変更された。これは臨床診断としては容認できるが、本当に検査を抑止に使うつもりなら問題である。
検査による感染抑止の場合、見逃しをなくす必要がある。抗原検査の感度を60%と仮定した場合、抗原検査を2度繰り返してから、PCR検査を行えば、1回の抗原検査だけでは60%程度にすぎない陰性適中率を、90%以上に高めることができる。つまり、見逃しにあたる偽陰性を40%から1桁に減らせる。
ただ、偽陰性を減らすために繰り返し検査を行えば、どうしても偽陽性が増える。これはトレードオフの関係にある。きちんとデータを踏まえれば、偽陽性や偽陰性、感染者数は推計できる。それに基づいて、検査の理論と人権の問題をどのようにバランスさせるのかをしっかり議論して、戦略を立てていくべきだ。
この戦略は検査のことをよく知っているエキスパートたちが議論して練り上げなくてはならない。また、検査数が増えるので、それができる技術者の体制も作らなくてはならないし、追跡を行う保健所等の人員も拡充していく必要がある。
費用は実現可能な額で効果も高い
――しかし、費用は納得できる範囲に収まりそうですね。
およそ費用対効果に見合わないようなマスク2枚の全戸配布に400億円余りもの費用をかけるくらいであれば、このメガクラスター追跡作戦に予算をつけることのほうが、現実的に求められる対策だ。年100億円ぐらいの予算をつけても4年間維持できる特別作戦チームを設置することができる。陽性者の隔離に関しては、指定感染症の縛りをもっと緩くすべきだ。2週間の観察は必要だが、症状のないときは原則自宅で待機してもらい、ITを活用しつつプライバシーに配慮した観察を行えばいい。
空港の水際作戦については、空港周辺の大学や病院などと連携してコロナ対策病棟を集中して作れるのではないか。ダイヤモンド・プリンセスのときの反省を生かして、有症状の陽性者には入院してもらい、無症状の場合は、待機観察の場所として空港周辺のホテルが利用できれば、観光客が減っているホテルの支援策にもなる。
北大の西浦教授は空港で10人見逃せば数カ月後に感染爆発が起こると警告しているが、そうならないためにも、空港の水際を含めたメガクラスター追跡作戦が必要だ。ただ、これまで、空港に限らず国内で10人程度の偽陰性は見過ごされてきたと推測されるので、それで感染爆発になるなら、すでにわが国でも感染爆発が起こっていたとしても不思議ではない。実際はそうなっていないので、感染モデル予測が必ずしも当たらない別の理由があるように思える。
――第1波のときの対応について良い点・悪い点を検証しないと、このままでは感染者が増えると緊急事態宣言を繰り返すことになりそうです。
それでは経験に学べてないのでいかにもよくない。経済か医療かといった、いわば神学論争を続けるのでは第1波の繰り返しになってしまう。
――そうした恐れから、大規模検査をやれという極論に突っ走ってしまう人たちが多いんですね。
コロナは危険で怖いからと、全員で一方向を向いてしまって突っ走る傾向があるようだ。SARSの経験がないので、台湾や韓国のようにPCR検査をたくさんやれる体制になかったのは確かだが、そこで検査体制の不備を理由に政府批判ができあがってしまうと、そもそも検査をそんなにやるべきなのかどうかといった冷静な話や、検査科学の常識も通用しなくなったようだ。テレビでは、一部の専門家も交えて大規模検査の大合唱が見られたが、そういった声が正しかったのかという検証も必要かと思う。政府批判をするにしても、科学的根拠を踏まえないと、正当性がないことになる。
アメリカはパニックになっている
――そして、ハーバード大学の倫理学センターでも、大規模検査をやって隔離せよという提言が出てきました。日本ではありがちですが、それを受けて、鹿島平和研究所から経済学者や安全保障関係の専門家の一部が、同様の案を緊急提言といって出しました。
ハーバード大学の提言にあるように1日500万件、あるいは1000万件も検査をやれば、毎日何十万人もの偽陽性や偽陰性者を出すのに、「安心」のために「隔離」と言っている。しかも、感染症の検査の場合、たとえ陰性結果が100%正しいとしても、それは検査を受けた時点での陰性に過ぎず、検査後に感染しない「安心」を何ら保証しない。
胃がん発見のための胃カメラ検査は年1回程度受けていればまず安心といった一定期間の保証を与えてくれる。しかし、感染症の検査はまったく異なる。例えば、検査を受けた時点では感染していなくて、検査直後に知らず感染した場合、2日後の検査結果が陰性であっても、その判定結果は無意味だ。
人類が人権概念を確立してきた歴史の中で、アメリカの独立宣言は宝だが、その知性を代表するはずのところから、およそ人権意識に欠ける提言がでることは驚くべき状況だ。アメリカでは、日本の指定感染症のように検査陽性すなわち隔離ではないようなので、偽陽性の場合の人権問題は薄まっているかもしれない。そうだとしても、本来、倫理学センターは最も人権に敏感でなくてはならないはずなのに。
ハーバード大学の提言を出した人たちの多くが、文系、あるいは医学系でも検査科学の知識が十分でないようだ。科学的知識を欠くと、論理が感覚的に飛躍するのではないか。アメリカ流の、特にトランプ政権の力でねじ伏せるという発想が反映しているのかもしれない。危機のときには、普段は隠されていた本来の感覚が噴き出してくるのではないか。白人警察官による事実上の黒人暴行殺人事件に対する米国の分断を見るとそう思える。
――日本はノーベル賞の権威に弱いですが、経済学賞受賞者のポール・ローマー教授も提言しているなどを金科玉条にしています。先生もハーバードのご出身ですが、どういう事態になっているのですか。
この件に関してハーバードの知人たちと話したが、ハーバード内にも賛否があるようだ。私も提言の基本骨子は賛成だが、大規模検査については反対で、卒業生として残念に思う。やはり、この数カ月で200万人以上が感染し、10万人以上の死者が出て、検査もトータルで2000万件を超える状況なので、アメリカ全体がパニックになっているようだ。経済系の人たちの主張が強くて、医学関係者も反対できない雰囲気なのではないか。
私は当初日本にもアメリカのCDC(Centers for Disease Control and Prevention、疾病予防管理センター)のような組織が必要だと書いたのだが、アメリカでCDCの専門家たちの意見が通ってない現実を見て、一方でCDCがなくても対処してきた日本を見ると、必ずしもCDCの有無の問題ではないのだと思った。
医療の専門家ではない人たち、あるいは医療の専門家ではあっても、検査の科学をよく知らない人たちが政策を議論しているようだ。そこを改めないといけない。科学的なエビデンスに基づき、かつ、文理学際的に、人権上の問題も含めて公衆衛生学上の合理的意思決定を行うにはどうすればよいのか、それを検討することのほうが先だ。
新型コロナの実効再生産数は1を切っていた
――そもそも第1波での緊急事態宣言の発出は妥当だったとみていますか。
検証するべきだ。専門家の間でどういう議論がなされて、政府はそのプラスの効果とマイナスの効果をどう受け止めて、緊急事態宣言を出したのか。新規陽性者のグラフをもとに、実は宣言の前にピークアウトしていたのではないかとの指摘もある。後付けの議論は行政当局にとっては無理筋の面もあるが、当時の判断がどうだったかは、今後のために、科学的根拠に基づく政策決定の事例として検証しないといけない。
なんといっても、政府による「人の接触を8割減らす」という達成目標は説明不足だったと思う。引用された実効再生産数は、一定の免疫をもつ集団で1人の感染者が他の人にうつすと予想される人数であり、1を切れば感染は収束に向かうとされる。
北大の西浦教授が人の接触を8割減らせば、それが1を切って1カ月で収束すると試算したことが、政府方針の根拠となった。西浦教授はその論拠をYouTube上で説明していたが、政府から示された3月の段階で実効再生産数はすでに1を切っており、その後1を超えることはなかったようだ。緊急事態宣言を出す前から実効再生産数が1未満だったなら、なぜ接触8割削減が必要だったのか、論拠が明確でないと思える。
また、私はキヤノングローバル戦略研究所のコラムで試算を示しているが、毎日の新規陽性者数の移動平均を求めて予測を行えば、多少のタイムラグはあるが、遅くとも緊急事態宣言の発出後の早期に、新規感染者数が減少傾向に転じていることが判明したはずだ。そのあたりの予測を逐次、丁寧に行えばもっと早く宣言の解除が可能だったのではないだろうか。
感染抑止と経済再開へ、明確な戦略と議論の公開を
――日本では専門家会議の議事録をとっていなかったことがたいへん問題だと思います。開かれた議論の土台すら提供していません。
議事録がないのは奇妙だ。専門家は自らの専門的知識に責任をもって発言するのが役割だから、通常、議事録を残したら困ることはないはずだ。感情的になる議論もあったとの話が聞こえてきたことにも違和感がある。これまでに例をみない感染症への不安の中で、緊張感が張り詰めていたのであろうが、それでも冷静に科学的な議論をするのが専門家の役割だ。
専門家会議のメンバーは、ほとんどが感染症専門家のようだが、診断検査のサイエンスや、EBM(Evidence-Based Medicine;根拠に基づく医療)のエキスパートが選ばれていないようにも見受けられる。
病院の一線で活躍する臨床医師の中にも、EBMの観点から、インターネット上でPCR検査の正確性に関する科学的な情報発信をしている専門家がいる。そのような人が専門家会議のメンバーに入っていないとしたら改善すべきだ。
また、緊急事態宣言による制限解除のロードマップを見ても、専門家会議の提言は、西浦教授の感染予測の疫学モデルに依拠した接触8割削減論と経済解除推進論の政治的妥協の産物のように思えた。今後、経済活動をできるだけ維持しながら感染抑止をする検査戦略をどうすべきかの視点と論議を欠いている。第2波対策では、そこが最も重要だ。
大阪府の吉村洋文知事は、自らリーダーシップをとって独自の専門家会議を招集して、国に先駆けて府民にわかりやすいロードマップを示した。しかし、国では、専門家会議や諮問委員会といった仕組みはあっても、結局、その意思決定プロセスの透明性が低く、誰がどのようなリーダーシップをとっているのかが国民の目にははっきりしていない。そこは、これから第2波に備える国の危機管理の課題だ。